福島第一原子力発電所の事故後、飯舘村の酪農一家、志賀家では両親が村から数10キロ離れた町に移り、息子は酪農を諦めてコンクリート工場で働くことになった。長谷川家も両親と息子一家は別々の場所へ移り、母親はもとの家族に戻ることはできないと感じている。一方、避難区域の再考や除染の実験作業など、政府の対応には村人や専門家から不安や不満の声が上がっていた。