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蔦監督−高校野球を変えた男の真実− (2016)

1950年に、北海道日本ハムファイターズの前身である東急フライヤーズの投手となるものの解雇され、故郷の徳島県池田町(現・三好市)に帰った蔦文也さん。翌1951年に徳島県立池田高等学校の教諭となった彼は、野球部の監督に就任する。独自の理論に基づいた指導を行い、1971年夏に野球部を甲子園に初出場させ、最終的に10回を超える甲子園出場、3回の優勝、2回の準優勝を成し遂げる。その風貌と戦略の志向から「攻めダルマ」の愛称で呼ばれ、高校野球における名将として名をはせるようになる。そんな元監督に、孫である蔦哲一朗監督が迫る。


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