シネマトゥデイ

こはたあつこのうわさの現場潜入ルポ
第29回 「ハリウッド」の地名の由来は中国人だった?の巻

取材・文・写真:こはたあつこ
映画の都としてアメリカで人気の観光地である「ハリウッド」。でも、ご存じでしたか? この地名は実はあるアメリカ人が作った「造語」で、しかも謎の中国人からインスピレーションを受けたということを! 今回は、アメリカ人も知らなかった意外な事実に迫ります!
すべてのカギの握る女性

普通の主婦だったのに、数年前に書いたハリウッド関係の本がアメリカで話題を呼び、今では「ハリウッド」に詳しい著者になってしまったゲイリン・ホイットリー・キースさん。彼女が書いた本とは、「The Father of Hollywood(ハリウッドの父)」というもの。19世紀末にハリウッドの土地開発をしたH・J・ホイットリー(H.J. Whitley)氏についての本です。

でも、なぜ普通の主婦がそんなことに興味を持ったのか? ……実はH・J・ホイットリーは彼女のひいおじいちゃんにあたる方なのです。

彼女の実家には、ひいおじいちゃやひいおばあちゃんが書いた手紙や日記、また当時の新聞記事や写真などがダンボールに40箱以上もあり、ハリウッドに何もない野原から街として成り立っていく様子がありありと書かれてあったそうです。

「自分がひいおじいちゃんのことを書かないと、他人がいいかげんなことを言いふらし、それが事実になってしまう!」とあせったことが動機となり、膨大な資料を整理しながらやっと1冊の本にまとめあげたそうです。

アメリカでも意外なハリウッドの由来が書かれてあったため、その後メディアに取り上げられたり、セミナーに呼ばれたりと注目を集めることに。

あっと驚く「ハリウッド」の地名の由来!

そのひいおじいちゃんのホイットリー氏は1800年代にアメリカに渡った土地開発業者だったそうです。「シカゴ・ロック・アイランド鉄道」で仕事をし、ハリウッドに移り住む前にすでにアメリカ中に100以上の街を建設していた成功者。セオドア・ルーズベルト大統領が友人で、ホイットリー氏も議会で発言したりと、かなり活躍した人だそうです。

そんな彼が新たな土地開発のためにハリウッドに移り住んでしばらくたった1886年のある日。まだ野原だったハリウッドの丘を奥さんのジジさんと散歩していると、中国人労働者が材木を運んでいるところに遭遇。ホイットリー氏が「何をやっているのかね?」と声を掛けたところ、その中国人はなまりのある英語で「日の出に起きる。古い木が落ちる。木を拾う。いつも、木、運んでる」と答えたそうです。

「木」は英語で「ウッド / Wood」。「運んでいる」は英語で「ホーリング / Hauling」。普通だったら「I am hauling wood.」と言うところを、中国語なまりの発音だったため、「ハーリーウッ!」と言ったそうです。

それを聞いたホイットリー氏は、「『ハーリーウッド』とは、何といい名前なんだ! ホーリー(ヒイラギ)はわたしのイギリスの祖先を象徴し、ウッド(木)はもう一つの祖先、スコットランドを象徴する。この一帯を、『ハリウッド』と名付けよう」と思い立ったそうです。

ホイットリー氏の活躍はそれだけではないと、著者のゲイリンさんは言います。

1911年10月26日。ハリウッドが発展するためには、主要な産業が必要だと考えていたホイットリー氏。たまたまハリウッドの街を歩いていると、デヴィッド・ホースリーという映画人に出会いました。彼が撮影場所を探していると聞いたため、自分の土地を撮影のために提供し、同時にハリウッドに映画スタジオを設立することを強くすすめたそうです。それがきっかけで、ホイットリー氏はハリウッド初の映画スタジオ「ネスター・スタジオ」をサンセット通りに設立。翌1912年には、ユニバーサル映画会社と合弁し、ハリウッドは映画の街へと発展していったのです。

映画スタジオをハリウッドに設立すれば、出演者やスタッフも当然のごとくこの地に集まります。でも、まだハリウッドにはホテルがなかったため、ホイットリー氏は、現在のコダック・シアターがある場所に「ハリウッド・ホテル」を早急に建てることに。完成すると当時の無声映画のスターたちが、撮影のために長期滞在したそうです。かの有名なルドルフ・ヴァレンチノもそのうちの一人だったそう!

また、ハリウッド・ホテルのレストランの天井には、スターたちが座る席の頭上にそのスターの名前が刻まれた星型プレートが飾られたそうです。後にホテルが取り壊される際、そのプレートは外され現在の「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」として、ハリウッド通りに残されています。

「ハリウッドサイン」もホイットリー氏の発案だった!

かの有名なハリウッドサインもホイットリー氏の発案だったそうです。彼の仕事のパートナーがハリウッドの土地を売るために、何とか良い宣伝方法はないかと相談してきたところ、当時はまだ珍しかった電球に注目したホリットリー氏が、「ハリウッドの土地という意味の『ハリウッドランド』という大きな看板を丘に建て、電球を使って思いっきりライトアップしたらどうかね?」とアドバイスしたそうです。

当時のハリウッドの夜はほとんど真っ暗。そんな中、でかでかとハリウッドランドのサインが輝き、一躍注目の的に。そして今は「HOLLYWOOD」だけが残り、観光名所の一つになっているわけです。

チャイニーズ・シアターのインスピレーションは日本旅行?

とにかく仕事熱心で活動的だったホイットリー氏。でも、奥さんのジジさんも負けてはいません。当時としては、まだ珍しい海外旅行を女性だけで率先して行い、1912年には日本にまで行ったそう! しかも、何と当時の天皇陛下にお花見にご招待されたとか。そして、「はい、チーズ!」人力車に乗って撮った記念写真も残されています。うわあ、時代がかっていて、面白いー!

その後、ジジさんは中国にも足を伸ばし、ハリウッドに戻ってきてから、友人のグローマン氏にアジア旅行について話したそうです。それがインスピレーションとなり、グローマン氏は、次に建てる映画館を東洋風の「チャイニーズ・シアター」にしたそうです。それが今やハリウッドの観光名所となっているんですから、旅行の自慢話も何につながるかわかりませんよね。

著者ゲイリン・ホリットリー・キースさん。
「The Father of Hollywood(ハリウッドの父)」。
H・J・ホイットリー氏。
ハリウッドの地名の由来について書かれた日記。中国人と遭遇したときのことが書かれてある。
当時のハリウッドの丘。
当時のハリウッド。
1902年に建てられたハリウッド・ホテル。現在のコダック・シアターの場所にあった。
1911年10月26日、ホイットリー氏のこの土地でハリウッド初の映画撮影が行われた。
ジジさん。日本の人力車に乗ったときの撮影写真。
ジジさん(当時45歳)。1912年に撮影。
ホイットリー氏と家族。
ハリウッドのホイットリー氏の家。この豪邸は当時の値段で約200万円ほどだった。
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