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日本映画界を担う個性派男優五人衆・再会スペシャル 10年+1年の映画界と俺たちの今

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日本映画界は果たして活性化しているのか?

――11年ぶりにお集まりいただきましてありがとうございます。 田口トモロヲ(以下、田口):でも俺、写真撮影後の打ち上げに行っていないから「10年後にまた集まりましょうよ」というのを聞いていないんですよね。 遠藤憲一(以下、遠藤):え~、居たよ(笑)。 大杉漣(以下、大杉):大漁旗が掛かっているようなお店でね。五人で集まるのが初めてだったから「取材だけで終わるのはダメだろう」と言って、飲む場所を探したんですよね。でも日曜日で、周辺のお店が空いていなかったから探しまくった。 寺島進(以下、寺島):漣さんすごい! 記憶力がいい。 田口 :じゃあ、居たってことで。どうも最近、記憶力と体力と小便のキレが悪い(笑)。 ――というわけで(苦笑)、この間、寺島さんは家庭を持ち、遠藤さんは個人事務所設立、光石さんは映画『あぜ道のダンディ』(2011年公開)で33年ぶりの主演をし、田口さんは『アイデン&ティティ』(2003年公開)で映画監督デビューをし、そして大杉さんは還暦を迎えました。

大杉 :俺だけはずみのない話をするな!――(笑)11年を振り返っていかがでしょうか? 田口 :さっき言ったように、思い出せないことが多くて。でも『色即ぜねれいしょん』には大杉さんに出演していただきました。 遠藤 :なんで俺を呼んでくれないの? 田口 :大人の役が少ない映画だったんで。できれば皆さんを……。 遠藤 :冗談ですよ(笑)。

「10年前五人で飲む場所を探した」大杉 漣

大杉 :そもそも五人そろって出演している映画はないんだよね。寺ちゃんとは今、ドラマ「京都地検の女」(テレビ朝日系)で共演しているけど。 光石研(以下、光石): 僕は遠藤さんとドラマ「SCANDAL」(2008年放送)でご一緒し、寺さんとは映画『LOVEまさお君がいく!』トモロヲさんとは『あぜ道のダンディ』、漣さんとはドラマ「ハングリー!」(2012年放送)に僕がゲスト出演したから、久々に会うという感じはしないんですけどね。

寺島 :この間、誰も死んでないだけで十分だよ。この11年間って、3.11(東日本大震災)があって社会状況が変わったし、俺自身も変わった。こんなことやっていいのかな? 役者って何をすればいいのかな? って考えるようになったし。 遠藤 :そうだよね。11年前って、まだオリジナルビデオ(OVA)を撮っていましたよね? 田口 :僕は(竹内力主演)『岸和田少年愚連隊』シリーズで不良中学生を演じていましたよ。 遠藤 :仕事は今の方が忙しい……。いや、違うか。もっといろんな作品をやっていた時代だったのかな。 田口 :役柄が変化しましたよね。以前より確実に上の年代の、父親みたいな役を求められるようになった。役の比重も多少大きくなってきたから、数をこなせなくなってきました。 遠藤 :自分のことを言うと、ここ4~5年でテレビに出るようになったんですよ。そうなると映画とのスケジュール調整が大変で。そのうちにテレビばかり続いちゃう。

大杉 :テレビの方が予定を組みやすいんですよね。映画の場合は企画の段階で話を頂いても、延期になったり、なくなることもある。もちろん、映画にこだわりはあります。でも昔みたいに撮影所システムがあってプログラムピクチャー(映画館での上映枠を埋めるために量産される映画)を作っている時代とは違い、今はテレビ局が映画を作って、自主映画や単館系映画は作りづらい状況にある。日本映画に客が入って活性化しているというけど、それはどこで活性化しているのか? クリエイティブな部分で言うと果たしてそうなの? という思いはありますけどね。

「最近、思い出せないことが多くて……」田口 トモロヲ

田口 :『アイデン&ティティ』を作ったときは、企画から製作まで4~5年掛かりました。あの映画は作品のテーマが好きだったので「他にやりたい人がいないなら、監督をやらせてほしい」と志願したんです。その後、原作者みうらじゅんさんの“マイブーム”という言葉が流行したり、僕がNHK「プロジェクトX 挑戦者たち」のナレーションで認知されたりということで、ようやく実現したんだと思います。 大杉 :さっきOVAの話が出たけど、あのころの、無防備にやんちゃしていた時期というのはOVAも予算をとっていて、製作費もそれなりにあった。今はああいう自由度の高いモノ作りができる時代ではないですよね。

俺たちが今いる世界に注目!

――その点、WOWOWや「ハゲタカ」や「外事警察」などのNHKドラマ、「深夜食堂」や「湯けむりスナイパー」など民放の深夜ドラマがバラエティーに富み、かつ映画監督が演出を手掛けている作品もあって、骨太さを感じます。そこにまた、皆さんの活動が移行しているんですよね。 寺島 :俺も冤罪(えんざい)事件をテーマにしたWOWOW「推定有罪」に出演したけど、脚本も良いし、民放と違って規制を考えずにチャレンジができるんですよね。

光石 :僕も「推定有罪」に出演したんですけど、最初から5話分の脚本がボンとあるのが強味だと思います。視聴率など周囲の顔色をうかがいながら作っていく必要がないですからね。大杉 :僕と憲ちゃんが出演した「空飛ぶタイヤ」(2009年放送)は、今のWOWOWドラマの布石になったと思います。アプローチの仕方は映画と同じですごく面白い。鈴木浩介さんのは良いよね。先日放送された「マグマ」(香月秀之鈴木浩介:監督)も原子力開発と地熱開発の拮抗を描いていて、恐らくスポンサーが付いてできるような作品じゃないですよね。とても、やり甲斐を感じます。

「ヤクザ映画と時代劇がなくなったら映画界の状況は……」寺島 進

寺島 :出たくなると言えば、大杉さんのBSプレミア「黒い十人の黒木瞳。」(9月9日放送)の完パケを観ましたけど、あの作品も台本を読んで監督にお会いしたら、出たくなっちゃったんですよ。 大杉 :観ました? 監督はタカハタ秀太さん(映画『ホテルビーナス』)。ショートムービーみたいだよね。テレビの世界でもそうやって、何ができるか模索している監督がいるんですよね。僕自身も役者として、モノ作りでの不安さがあって、それが60歳になった今も何ら変わらない。その不安があるから、役者としてどんな楽しみ方ができるのか? ということをずっと考えながらやっている感じです。なので11年前も今も、精神は変わらない。変わったのは肉体かな。そこはリアルに実感しますけどね。 寺島 :不安という面では俺も家族を路頭に迷わせないというのもあるけど、違う不安が自分の中であるんですよね……。

プロフィール
  • 光石 研

    1961年生まれ、福岡県出身。1978年に俳優デビュー。山田洋次岩井俊二青山真治作品に数多く登場して注目を浴び、2000年、青山監督の『EUREKA ユリイカ』では第16回高崎映画祭最優秀助演男優賞を受賞した。名匠テレンス・マリックの『シン・レッド・ライン』にも出演し、海外にも活躍の場を広げている。

  • 田口 トモロヲ

    1957年生まれ、東京都出身。1989年、塚本晋也監督『TETSUO THE BULLET MAN』で、全身が鉄に覆われていく主人公を演じ、国内外のカルトファンから絶大な支持を得る。2003年には『アイデン&ティティ』で監督デビュー。俳優として活躍する一方、バンドやナレーターなど、多方面でマルチな才能を発揮している。

  • 大杉 漣

    1951年生まれ、徳島県出身。1974年から1988年まで転形劇場で活動。1978年に高橋伴明作品で映画デビュー。1993年、北野武監督『ソナチネ』に出演したことが転機となり、40歳以降数多くの映画に出演。いくつもの賞を受賞している。誠実な父親から、猟奇的な性格まで、幅広い役柄を演じることから、「300の顔を持つ男」との異名を持つ。

  • 遠藤 憲一

    1961年生まれ、東京都出身。1983年にテレビドラマ「壬生の恋歌」で本格俳優デビュー。眼力鋭いコワモテな風貌から悪役として頭角を現し、『あずみ』『クローズZERO』シリーズなど数々の映画に出演。2008年には舞台「さらば、わが愛 覇王別姫」に出演。2009年には、ドラマ「湯けむりスナイパー」で連続ドラマ初主演を果たし、精力的に活動を続けている。

  • 寺島 進

    1963年生まれ、東京都出身。三船芸術学院で殺陣を学び、殺陣師・宇仁貫三に師事。1986年松田優作監督『ア・ホーマンス』で本格俳優デビュー。北野武に才能を見いだされ、1989年『その男、凶暴につき』以降、北野映画の常連として注目を浴びる。気さくな性格がお茶の間の反響を呼び、最近はドラマやCM、バラエティーとジャンルを超えて活躍の場を広げている。

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