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今週のクローズアップ 若くして逝った永遠のスター伝説

 さまざまな作品でファンを楽しませてくれることを期待されながらも、惜しまれつつ若くして亡くなり、伝説と化したスターたち。今週はそんなスターたちの中から、ジェームズ・ディーンブルース・リーリヴァー・フェニックスヒース・レジャーを取り上げ、彼らの功績を改めて振り返る。

青春の象徴、ジェームズ・ディーン

 1931年2月8日、アメリカ・インディアナ州マリオン生まれ。1955年9月30日、カリフォルニア州で愛車のポルシェを運転中に交通事故で死去。享年24歳。

■ジェームズが残した伝説
 抜てきされた初主演映画『エデンの東』(1954年製作)でアカデミー賞主演男優賞ノミネート! 死後に同賞にノミネートされた最初の俳優に……。

 1956年3月に授賞式が開催された第28回アカデミー賞に、初主演映画『エデンの東』の演技が認められ、死後ながらも主演男優賞にノミネートされたジェームズ。亡くなった俳優がアカデミー主演男優賞にノミネートされた最初の立役者となったが、残念ながら受賞には至らず。しかし、父親の愛に飢え、葛藤する若者を等身大の演技で魅せたジェームズは大きな感動を観る者に与え、日本でも多大な人気を獲得した。

 主演2作目『理由なき反抗』では10代ならではの社会に対するいら立ちを繊細な演技で表現し、“青春の象徴”たる存在に。死の直前まで撮影していた『ジャイアンツ』ではエリザベス・テイラーロック・ハドソンと共に主役を務め、第29回アカデミー賞で再び主演男優賞にノミネートされた。亡くなった後にアカデミー賞主演男優賞に複数回ノミネートされたスターは、ジェームズのみ。

 2005年に開催された第18回東京国際映画祭では、ジェームズのいとこであるマーカス・ウィンズロー氏が来日し、「彼は運動が得意で、絵を描くことや写真などの芸術にも興味があったようです。演技には目覚めていたようですが、まさか彼がムービースターになるとは思いませんでした。普通の人だったんです。僕にとっては兄のような存在でした」とジェームズの人となりを語っている。

 

ジェームズ・ディーンのポートレート!
Hulton Archive / Getty Images

『ジャイアンツ』の撮影時!
Frank Worth, Courtesy of Capital Art / Getty Images

唯一無二のアクションスター、ブルース・リー

 1940年11月27日、アメリカ・カリフォルニア州サンフランシスコ生まれ。1973年7月20日、香港の病院で死亡を確認。享年32歳。

■ブルースが残した伝説
 武道映画の開拓者にして、謎の死を遂げた悲運のスター……。

 アメリカのカリフォルニア州ロングビーチで開かれた武術大会での演武がきっかけで、テレビシリーズ「グリーン・ホーネット」のカトー役に抜てきされ注目を浴びたブルース。彼を一躍スターダムにのし上げたのは、カンフー映画1作目にして初主演の『ドラゴン危機一発』(1971年製作)。快進撃は『ドラゴン怒りの鉄拳』(1971年製作)へと続き、カンフースターの地位を不動のものに。ブルースの活躍なくして、武道映画のジャンルは切り開かれなかったといわれるほどである。

 「アチョー!」のセリフでもファンを魅了したブルース史上最高傑作と名高い『燃えよドラゴン』(1973年製作)は、亡くなった後に日本で公開されたこともあり、世界各国からの熱狂の声をブルースが聞くことは残念ながらなかった。

 ブルースの死因の公式発表は脳浮腫。だが、女優ベティ・ティン・ペイの自宅で頭痛のため薬を飲み横たわって休んでいたところ意識が混濁し、その後運ばれた病院で死亡が確認されたという経緯があり、多くの専門家がその死に疑問を持っていたという。

 
1970年ごろのブルース・リー
Michael Ochs Archives / Getty Images
見よ!この腹筋!これぞブルース
Michael Ochs Archives / Getty Images
永遠の美少年、リヴァー・フェニックス

 1970年8月23日、アメリカ・オレゴン州マドラス生まれ。1993年10月31日、ロサンゼルスのバーの外で、薬物の過剰摂取により死去。享年23歳。

■リヴァーが残した伝説
 若手演技派のホープ! さらなる飛躍が期待された矢先に……。

 映画『スタンド・バイ・ミー』(1986年製作)で描かれた少年たちの冒険劇の中でも、際立った存在感を放ったリヴァー。テロリストとして指名手配されている両親を持つ少年の自立と成長を描いた『旅立ちの時』(1988年製作)では、第61回アカデミー賞助演男優賞にノミネート。親友のキアヌ・リーヴスと共演した『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年製作)では、第48回ベネチア国際映画祭の男優賞を受賞した。

 実力が世界で評価される輝かしい経歴を持ちながら、23歳という若さでこの世を去った当時の衝撃は計り知れない。クランクアップ目前に急死したため未完のままお蔵入りし、幻の遺作となっていた『ダーク・ブラッド(原題) / Dark Blood』は、昨年9月にオランダのネザーランド・フィルム・フェスティバルでプレミア上映、今年2月の第63回ベルリン国際映画祭に出品され話題を呼んだ。

 プライベートでは環境保護活動に力を入れていたことやビーガン(菜食主義者)としても知られ、ミュージシャンとしても才能を発揮。弟のホアキン・フェニックスは先日の第85回アカデミー賞で『ザ・マスター』での演技が評価され主演男優賞に2度目のノミネートを果たしたばかり。ちなみに、リヴァーが亡くなった日は、イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの没日でもある。

あどけない!
George Rose / Getty Images
第61回アカデミー賞授賞式!マーサ・プリンプトンと。
Barry King / WireImage / Getty Images
偉大なカメレオン俳優、ヒース・レジャー

 1979年4月4日、オーストラリア・パース生まれ。2008年1月22日、薬物の過剰誤飲によりニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去。享年28歳。

■ヒースが残した伝説
 映画『ダークナイト』で第81回アカデミー賞助演男優賞を受賞! 故人俳優の受賞は32年ぶり……。

 今回取り上げた中では、一番最近に「なぜ……」と世界を絶句させたスター、ヒース。映画『ネットワーク』(1976年製作)のピーター・フィンチ以来、32年ぶりにアカデミー賞を受賞した故人俳優となったが、受賞作『ダークナイト』(2008年製作)のジョーカー役は受賞の栄誉にふさわしい怪演で、観る者をとりこに。

 人気と実力を兼ね備えた俳優としての地位を確固たるものにした映画『ブロークバック・マウンテン』(2005年製作)では、ジェイク・ギレンホールと共に秘められた男同士の純愛を体現してみせ、第78回アカデミー賞主演男優賞にノミネート。そのほか、『カサノバ』で史上最強のプレイボーイを、『キャンディ』で薬物常習者を演じるなど、役が憑依(ひょうい)したかのような熱演が印象的だった。

 私生活では、婚約者だった女優ミシェル・ウィリアムズとの間に娘をもうけているヒース。顔つきにヒースの面影を残すその娘が両親同様にスクリーンデビューする日は来るのか? 将来が楽しみである。

ジョーカーよ、永遠に……
Paul Kane / Getty Images


第78回アカデミー賞授賞式ではミシェル・ウィリアムズと一緒でした。
Jeffrey Mayer / WireImage / Getty Images

文・構成:シネマトゥデイ編集部 小松芙未

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