作品評:『キャプテン・フィリップス』

文=鬼塚大輔

 2009年4月。ソマリア沖でアメリカ籍のコンテナ船が4人組の海賊に襲撃される。乗組員たちを逃がした後、ただ一人の人質となったリチャード・フィリップス船長を救出するため、アメリカ政府は大々的な作戦を展開していく。

 事件が起こった当時、全米の耳目を集めていた事件を映画化。もっとも、ハリウッド映画の場合、“実話の映画化”といっても、実際の事件の大筋をなぞってはいるものの、ドラマチックな要素をあれこれと勝手に詰め込んで、現実とは似ても似つかなくなってしまう作品も少なくないから油断はできない。

 その点、『キャプテン・フィリップス』は、ドキュメンタリー作品をテレビで数多く手掛けて評価され、『ブラディ・サンデー』(日本未公開・2002)、そして9・11の犠牲となった旅客機に起こったことを、(誰も知らない機内の出来事まで含めて)徹底的なリアリズムで描き切った『ユナイテッド93』(2006)のポール・グリーングラスが監督を務めているので、手持ちカメラの揺れる映像の効果も相まって、限りなくリアルな、緊迫感あふれる作品に仕上がっている。

 ただリアリズムだけを強調すると無味乾燥な作品にもなりかねないが、グリーングラスは大ヒット・フランチャイズ『ボーン・スプレマシー』(2004) 『ボーン・アルティメイタム』(2007)も手掛けているため、事実から遊離せず迫真の映像を維持しながら、船長が乗組員たちを逃がそうとする前半、人質となった船長と海賊たちとのやりとりが緊迫感を呼ぶ中盤、そして救出作戦が実行に移されるクライマックスと、一瞬のたるみもなく観客の心をわしづかみにしていく。

 たった一人の人質を救出するために膨大な数の人間と装備、そして間違いなく莫大な費用が掛けられている様子をスクリーンで目の当たりにし、そしてこれが実話であるということをあらためて思い出すと、最近何かと話題になる“愛国心”についてあらためて考えさせられる。“愛国心”とは、盲目的無条件なものではなく、自分や自分の愛する者たちの命を守るためには国家は全力を尽くす。それゆえ、国民はいざとなれば国のために命をささげることもいとわない、という相互信頼に基づいて生まれてくるのだ、少なくともアメリカ的な愛国心とはそういうものなのだ、ということが、この映画を通じてしっかりと伝わってくる。

 しかも、ただ単にアメリカ的な愛国心を一方的に称揚するだけでなく、それしか生きる道の残されていない海賊の側の事情や心情も描かれている。船長と微妙に心を通わせるようになる海賊を演じたソマリアからの移民バーカッド・アブディはアカデミー最優秀助演男優賞ノミネートも当然と思える熱演で、リチャード・フィリップス船長を演じた主演のトム・ハンクスを支えている。

 そう、『キャプテン・フィリップス』は優れた実録映画であるが、同時に、スーパースター、トム・ハンクスを愛(め)で、堪能するための作品でもあるのだ。どういう訳かハンクスは今回オスカーにノミネートされていないが、トム・ハンクスが主演していなかったとしたら『キャプテン・フィリップス』がアカデミー最優秀作品賞候補になっていたとは思えない。

 中盤は動きのない役なのだが、それでもこの人の存在感がスクリーンを満たし、物語を引っ張っていく。救出後の医務室での芝居は圧巻である。

 実話を映画化する際の最も理想的な姿が、この作品にはある。

筆者プロフィール:

鬼塚大輔(おにづかだいすけ) / 静岡英和学院大学人間社会学科教授。アメリカ文学・文化研究。映画批評家。訳書に『セルジオ・レオーネ 西部劇神話を撃ったイタリアの悪童』(フィルムアート社)、『ポール・ニューマン アメリカン・ドリーマーの栄光』(キネマ旬報社)。ブログ「おにがしま」やってます。