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ジョン・レノンが思い描いていた平和は今、実現しているのか?ジョンの魂描く『ジョン・レノン、ニューヨーク』が公開!

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『ジョン・レノン、ニューヨーク』より
『ジョン・レノン、ニューヨーク』より - (C) 2010 Two Lefts Don't Make A Right Productions, Dakota Group, Ltd. and WNET.ORG (C) Ben Ross

 元ビートルズのジョン・レノンがニューヨークで過ごした1971年から1980年のあの日までを描くドキュメンタリー『ジョン・レノン、ニューヨーク』が公開される。そこには平和を心から求めたジョンの魂が描かれている。

映画『ジョン・レノン、ニューヨーク』場面写真

 1971年。それは世界中からゴシップを含めて注目を集めるようになっていたビートルズの解散騒動や、妻オノ・ヨーコへの激しいバッシングなどに嫌気が差したジョンが、母国イギリスを離れて、ニューヨークに移住した年だ。

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 当時のアメリカは、べトナム戦争への反戦運動が広がり、公民権運動や若者たちが発信する力強い社会的なうねりが渦巻いていた。そんな社会的なうねりの影響を多大に受けながら、ひとりのアーティストとして、彼がいかに自分の心に素直だったか、厳しい現実を生き抜く術として、皮肉と愛が内包するユーモアを持ち、心から平和を求めて、迷いながらも懸命に生きていた心優しい男だったジョンの本当の姿を、未発表のプライベート映像やテレビ出演の映像、チャリティ・コンサートの映像などで見ることができる。

 ジョンにとって、ニューヨークでの生活は、ビートルズのジョン・レノン”から、ひとりの人間“ジョン・レノン”を取り戻すことができた時代だった。たった9年間でさまざまな活動をしていたことも改めて驚かされる。ニューヨークに移住した同年9月、ソロ・アルバム「イマジン」を発表したが、アメリカ政府によって国外退去を命じられ、長期間の裁判闘争を続ける中で、妻ヨーコとの別居生活を送ることとなり、その後、復縁し子どもと過ごすために専業主夫となったのち、さまざまな機が熟してミュージシャンとして活動を再開しようとした矢先、狂信的なファンの凶弾に倒れたのが、1980年12月8日だった。

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 また、妻のオノ・ヨーコの存在がいかにジョンにとって大きかったことかもわかる。平和活動としての「ベッド・イン」などに代表される「愛と平和」を発信し続ける彼女の姿勢が、ジョンの魂と共鳴していたのだろう。

 平和を求めるジョンの魂は、ヨーコによって、現在も発信し続けてられている。先日、世界の恒久平和を広くアピールするために創設されたヒロシマ賞を受賞したヨーコは、原原爆死没者慰霊碑に献花した。66年前、原爆投下によって世界で唯一の被爆国となった日本、そして、先の原発事故が継続している現在に、ジョンが思い描いていた平和は今、実現しているのかを改めて考えてみる機会にもなるかもしれない。(芳井塔子)

『ジョン・レノン、ニューヨーク』8月13日、東京都写真美術館ホールほか全国順次公開

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