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<作品批評>『6才のボクが、大人になるまで。』【第87回アカデミー賞】(1/2)

<作品批評>『6才のボクが、大人になるまで。』
『6才のボクが、大人になるまで。』 - (C) 2014 boyhood inc. / ifc productions i, L.L.c. aLL rights reserved.

 映画にはまだまだ眠れる可能性があることを、リチャード・リンクレイター監督は教えてくれた。12年という歳月を、ドキュメンタリーとしてではなく、劇映画の中に採り入れるコペルニクス的転回によって、未だかつてない家族のドラマが誕生した。(文・映画評論家 清水 節)

 ストーリー自体は、どこの家庭にも起きそうな、他愛のない出来事の積み重ね。だが、当事者たちにとっては、決定的な瞬間ばかり。主人公の少年メイソンはみるみる姿を変えていく。6歳から18歳までの無限ともいえる歳月。少年は自我に目覚め、親たちは修羅場をくぐり、世の中は目まぐるしく移り変わる。映し出されるのは、「物語」を超え「人生」そのものだ。

 開巻、6歳のメイソンは草むらに身を投げ出し仰向けになっている。青空の向こうを見つめる眼差しは、どこか大人びている。思案顔なのだ。何が待ち受けているか分からない未来を前に、期待と不安が入り混じる。これから始まる人生を、見事に象徴させたショットだ。子供は親を選べない。不仲の両親に対する複雑な想いは、少年の表情に影を落とす。メイソンの視点で描かれる、父の身勝手、母の奮闘。イーサン・ホークが扮する父は、なかなかモラトリアムから脱しない。パトリシア・アークエットが扮する母は、男選びに難があるものの、向上心が強い。メイソンは環境に翻弄されながらも屈折することがない。賢明な母の愛情と生活能力に加え、饒舌に人の作法を説く愛すべき父のお陰だろうか。いや、愛に永続性がないことを痛切に知った少年は、逆説的に永遠を求めるのかもしれない。

リチャード・リンクレイター
リチャード・リンクレイター-Alberto E. Rodriguez / Getty Images for DGA

 ストーリーも結末を想定しない劇映画。監督の発想もさることながら、12年間も製作費を工面し続けた制作会社の存在なくして、本作は誕生しなかった。もちろん、途中リタイアすることのなかった俳優たちに支えられている。言わば、奇蹟を信じるプロジェクトだ。かつてリンクレイターは、『恋人までの距離(ディスタンス)』を皮切りに、9年後に『ビフォア・サンセット』、そのまた9年後に『ビフォア・ミッドナイト』を撮り、1組のカップルに流れる時間経過を観察した。同じ俳優を撮り続ける発想の源。それは、ジャン=ピエール・レオ主演で『大人は判ってくれない』『二十歳の恋』『夜霧の恋人たち』『家庭』『逃げ去る恋』と20年間断続的に撮った、フランソワ・トリュフォー監督の作品群である。

 ゆるやかに流れる大河のような構成は、メイソンに扮したエラー・コルトレーンと監督が話し合い、当人の人格や考え方を役柄に反映させ、脚本をフレキシブルに変容させていくことで形づくられていった。撮影を35mmフィルムで行い、ラッシュフィルムを俳優陣に見せなかったことも奏功しただろう。その場で再生チェック可能なデジタル撮影ならば、少年の自意識は、自然な演技の妨げになったに違いない。夏休みの3~4日間に約15分のシークエンスを撮ることを毎年繰り返し、巧みな編集で繋いだ2時間45分。時や場所を示すテロップすら入らず、シームレスに映画は進んでいく。そう、まるで実人生のように。


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