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第27回:『独立愚連隊』(1959年)監督:岡本喜八 出演:佐藤允、三船敏郎、鶴田浩二

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「独立愚連隊」DVD発売中 価格:4,500円+税 発売・販売元:東宝
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 戦後70年の2015年、太平洋戦争終結の舞台裏に迫ったルポルタージュ『日本のいちばん長い日』の2度目の映画化作品が公開された。その原田眞人監督による新バージョンと比較されたのが1967年の岡本喜八監督版。岡本版の『日本のいちばん長い日』は終戦までの24時間をオールスターキャストと圧倒的なテンションで描き切って大ヒットしたが、自らも赤紙で招集され、内地で終戦を迎えたものの爆撃で多くの死を目の当たりにした喜八監督にとって戦争への思いは並々ならぬものがあった。直接、間接含めると39本ある監督作の半数以上が戦争をテーマとして扱っており、その出発点となった傑作が『独立愚連隊』(1959)だ。(村山章)

 東宝の助監督として長い下積み時代を過ごした岡本喜八の監督デビューは34歳。人気作家だった石原慎太郎が東宝で映画を初監督すると知った助監督たちが、外様の異業種監督だけでなく自分たちからも監督に登用すべきだと会社側に抗議。それではシナリオを提出しろと言われて書き上げたオリジナル企画が『独立愚連隊』だった。

 シナリオが認められて監督昇格が決まったものの、『独立愚連隊』は新人には荷が重かろうと一旦見送られてしまう。そこで遊び心あふれるラブコメ『結婚のすべて』(1958)やギャング映画『暗黒街の顔役』(1959)などを撮り上げ、念願の『独立愚連隊』は5本目の監督作になった。

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 物語の舞台は日中戦争末期の中国大陸。従軍記者の荒木(佐藤允)が前線の児玉大隊を訪ねてくる。荒木はある見習い士官が中国人女性と心中したゴシップ的な事件を追いかけており、見習い士官が所属していた独立九〇小哨、通称「独立愚連隊」を探していた。

「独立愚連隊」はゴロツキを集めた捨て駒部隊で、5,000人の敵軍が包囲する最も危険な陣地に配置されていた。自殺行為だと止められながら荒木は独立九〇小哨を訪ねる。実は、荒木の正体は実弟である見習い士官の死の真相を探る脱走兵で、はみ出し者ばかりの愚連隊の面々との間に奇妙な連帯意識が生まれていく。やがて荒木は軍内部の汚職と黒幕を突き止めるが、時を同じくして圧倒的多数の敵軍が迫ろうとしていた……。

 終戦から14年。まだ戦禍の記憶が生々しい時代にあって『独立愚連隊』はとてつもなく型破りだった。西部劇のテイストを盛り込んだアクションコメディーの体裁をとり、ストーリーの軸は主人公が肉親を殺した悪漢を探すミステリー。そんな徹底したエンタメ志向は「戦争を茶化している」「不謹慎だ」といった非難も受けた。

 今観ても『独立愚連隊』は型破りである。監督のトレードマークである小気味いいテンポの編集は湿っぽさとは無縁。出演者も和製リチャード・ウィドマークと呼ばれた佐藤允を筆頭に、面構えに一癖も二癖もある個性派ばかり。岡本喜八は助監督時代から気になる大部屋俳優たちに目を付けており、自身の監督作で大きい役を与え、いい意味で行儀の悪い独特の空気を作り上げた。

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 出演者の中で一番のビッグネームは三船敏郎だが、壁から落ちてアタマのネジがおかしくなってしまった大隊長という設定の脇役。鶴田浩二はカタコトの日本語を話す馬賊のリーダーという珍キャラで、特別出演的な扱いとはいえ当時のトップスターをギャグ担当にしているのは凄い。

 日本の戦争映画についてまわる過剰な愛国精神もサラリとスルーする。主人公の荒木も独立愚連隊の面々も、“お国のため”という大義名分より皮肉めいたユーモアを信奉しているように見える。どんな苛酷な状況も笑い飛ばす彼らの姿勢は、喜八監督が訓練兵時代に死の恐怖と戦うために必死で身につけたものだったという。

 ネタバレになってしまうが、日本という枷を取っ払ったラストの突き抜けっぷりには仰天させられる。無為な作戦の尻拭いを押し付けられて独立愚連隊の仲間は全滅。たった一人生き残った荒木は「もう日本にも帰れんしな」と軽く笑って馬に乗り、馬賊たちと荒野へ走り去っていくのだ。

 西部劇的であるのと同時に、日本人が勝手に作りがちな限界の壁を岡本喜八は軽々と飛び越えてしまっている。荒木が見据えるのは目の前に広がる大地であり、映画は風が吹き抜けるような爽快さとともに幕を閉じる。

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 もちろん安易なハッピーエンドではない。荒木にとっての祖国とは国家や軍隊ではなく、家族や愛する女性や気脈を通じた仲間だった。すべてを失った荒木は「死にたくない奴がみんな死んだ。生きていてもしょうがない俺だけがまだ生きている。人生はうまくいかんな」と述懐する。苦虫を噛み潰したような佐藤允の笑顔は涙よりも雄弁だ。「人生はうまくいかない」という真理を受け入れる諦念とニヒリズムは、荒木がこれからも生き続けるよすがなのかも知れない。

 全滅してしまう独立愚連隊もただの犠牲者ではない。愚連隊をまとめる石井軍曹(中谷一郎)は言う。「俺は上官がどんな奴でも命令だけは守りたい、それが俺たちの抵抗だと思っている」

 バカバカしい戦争に駆り出された以上、いつ死ぬかもわからない身。だったら自分たちがどれだけバカげた命令なのか証明してやる! 彼らに花と散る名誉を求める気持ちは一切ない。“陽の当たらない男たちの意地と反骨”は喜八作品に通底する大きな特徴でもある。

 『独立愚連隊』のクライマックスの大殺戮が好戦的だと批判されたことが腹に据えかねたのか、姉妹編の『独立愚連隊西へ』(1960)では愚連隊と中国軍の隊長が鉢合わせしながらも、示し合わせてお互いに気付かなかったことにしてしまう。シリーズ3作目の『どぶ鼠作戦』(1962)に至ってはもはや日本軍対中国軍という図式すら曖昧だ。敵味方が時に騙し合い時に協力し合い、メインの登場人物も日本人だか中国人だか判別できなくなってカオスが増していくのだ。

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 『愚連隊』シリーズに漂う無国籍感は島国根性とでも呼ぶべき偏狭さを吹き飛ばし、陽気なアナーキズムへとつながっていく。声高にメッセージを叫ぶのではなく、笑いとアクションの中に戦中派の怒りと悲しみを忍ばせたのは監督の性格でもあり美意識でもあっただろう。岡本喜八は日本映画離れしたテンポとスケールの娯楽活劇を次々と生み出したが、いずれも数歩下がって見ると痛切な嫌戦と反権力の苦い思いが浮かび上がってくるのである。

 最初に触れた『日本のいちばん長い日』は実録ということもあって、喜八戦争映画の中でも最も重厚でシリアス。出来栄えは素晴らしいが、もともと『人間の條件』5部作(1959~1961)の小林正樹が監督する予定だったこともあり、題材的に「らしくない」印象もある。喜八自身『日本のいちばん長い日』が当時の権力側にいた「エライ人」ばかり描いていることに不足を感じ、翌年には借金をしてまで製作費を捻出し、東宝を休職して16ミリの低予算作品『肉弾』(1968)を撮っている。

 『肉弾』は『日本のいちばん長い日』とは対照的に、「あいつ」と呼ばれる19歳の特攻兵の葛藤と恋を一兵卒の視点で描いたアバンギャルドな青春映画だ。特攻出撃を前にした主人公が死ぬ理由を探し求め、国ではなく一人の少女のためだと思い定めるのは喜八監督自身の実体験でもあった。

 『独立愚連隊』という娯楽活劇で権威に舌を出してみせた若手監督が、やがて日本映画史に残る大作『日本のいちばん長い日』を完成させ、最もパーソナルな自分の物語『肉弾』へとたどり着く。単体で楽しむだけではもったいない。一人の映画人の真摯な闘いの歴史として、これを機に岡本喜八の戦争映画を観直してみて欲しい。

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