クラブゼロ (2023):映画短評
クラブゼロ (2023)ライター4人の平均評価: 3.3
“気づいた者”は本当に“気づいた”のか!?
良識と狂信の狭間を行くユーモラスかつスリリングなエンタテインメントだが、投げかけるテーマは歯応えアリ。
“意識的な食事”法を解く教師と、彼女に心酔していく生徒たちの物語は、保護者たちをも巻き込んで緊張度を高めていく。キャラの表情を的確にとらえる映像や、ビートのタイミングが微妙にズレる打楽器のスコアが相まって、こちらの感覚もどんどん不安になっていく。
何も食べずに生きていけるのか? 教師と生徒たちは幸せなのか? 彼らは“気づいた者”なのか? これはパンデミックを通過した今だからこそ響く問いかもしれない。現代の不穏な寓話。M・ワシコウスカの怪演に目を見張る。
さまざまな問題提起をする、考えさせる映画
いろいろ考えさせる映画。ここで語られるのは、影響を受けやすい若い人たちが、親の知らないところでいかに簡単に新たな思想に傾倒してしまうのかということ。しかも、この教師を連れてきたのは、子供たちのために良いと信じた親たちなのだ。危険はどこにあるのかわからないのである。ではどうすれば良いのかというと、答がないのがもどかしいのだが。いつの時代も流行のダイエットがあったり、どの食べ方が健康かという説が出てきたりするが、この映画は、大人のキャラクターも通じ、人、世の中が持つ「食」との複雑で時に不健全な関係にも焦点を当てる。ワシコウスカはもちろん、生徒役の子供たちの演技も自然ですばらしい。
ポップでカラフルな世界に、異物が根付く
レモンイエロー、オレンジ、ペパーミントグリーンのポップで鮮やかな色彩と、'70年代ふうのレトロなデザインで統一されたクリーンで完璧な世界に、異物が静かに根付き、世界を侵食していく。ミア・ワシコウスカ演じる奇妙な栄養学の教師が学校にやってきて、生徒たちは彼女の提唱する怪しい食事法に傾倒していく。思春期の選民意識、世代間の価値観の違い、拒食症、洗脳が、不穏な物語を紡いでいく。現代版ハーメルンの笛吹きが奏でる歌は、かなり危ない。
監督・共同脚本のオーストリア監督ジェシカ・ハウスナーは、奇妙な植物の繁殖を描く『リトル・ジョー』(2019)も色彩が印象的だったが、本作では色彩がさらに鮮烈。
若者はこうして洗脳されるのか…をスタイリッシュに
妙におしゃれな制服の高校生たち。新任教師が彼らに教えるのは「少食のススメ」で、滑り出しは爽やかな青春映画として語られる健康志向作…という印象。観ていくうちに、だんだん異常な段階へ突入していくのだが、描き方が整然とスタイリッシュなうえに、食事療法が効果を発揮したりと、つねに奇妙な感覚に襲われる。観ているこちらも静かに洗脳される一作。
ミア・ワシコウスカの“無色透明感”が教師役にぴったり。自分の指導にまったく疑問をもたず、生徒との関係もドロリと化すこの役は、彼女以外ならキワモノっぽくなったかと。
分断された考え、SNSで飛び交う陰謀論と正論など社会の「今」を重ねられるが、そこまで説教くさくはない。