ミッシング・チャイルド・ビデオテープ (2024):映画短評
ミッシング・チャイルド・ビデオテープ (2024)
ライター3人の平均評価: 3.7
悪は存在しないが、悪魔は存在する
導入部がいい。夜、山中で遭難していた子供を主人公(杉田雷麟)が見つける。そして、のべつ音が鳴っていた「クマ除けの鈴」を説明するも、「アクマ除け?」と聞き返す子供。このズレ。微細だが、大きな違い。
「ビデオテープ」の映像の質感もまた、現実とは違いを作り出す。かの黒沢清監督は昨年、『蛇の道』(98)をデジタルにてセルフリメイクした際、オリジナル版にあった劇中のザラついたビデオ映像の奇妙な、歪んだ、曖昧さがクリアに均一化されてしまった――と語っていたが、おぞましさの復権だけではなく、本作はその映像自体を一つのレイアーとして用い、別空間に人物を飲み込んで取り込んでしまう。この発想が素晴らしい!
奇を衒うことなく静かに着実に恐怖を盛り上げる秀作
子供の頃に実家近くの山で忽然と姿を消した弟、それ以来バラバラとなってしまった家族。大人になった今もトラウマを抱えた若者は、とある一本の古いビデオテープを手掛かりに、あの山で何が起きたのかを調べるため故郷へ舞い戻る。往年のJホラーへオマージュを捧げた近藤亮太監督の劇場用長編デビュー作。なるほど、確かに『リング』辺りを彷彿とさせる雰囲気だが、しかし演出には独特のスタイルを感じる。通り一辺倒なショック演出や残酷描写を徹底的に排除し、どこか不穏で陰鬱としたムードと理屈で説明がつきそうでつかないエピソードの積み重ねでジワジワと恐怖を盛り上げていく。謎を謎のままに残し、観客の想像に委ねる結末も秀逸だ。
ビデオテープ、カセットテープの手触りが余韻を残す
要点を捉えようとすると、それがなぜかすり抜けてしまう。そのもどかしい感覚がこの映画の魅力。どこかぼやけた感じ、ざらついた感触を、ビデオテープの映像、カセットテープの音声がさらに際立たせる。
物語の中心となる青年が、子供の頃に弟が行方不明になる直前にその姿を見た、という事実に囚われ続ける。失踪現場の廃墟がある山は、そこまで深くないのに、なぜかその建物に辿り着けない。主人公に同行する青年は、通常は見えないものが見えるが、彼に見えているものはスクリーンに映し出されない。そこで何が起きたのか、状況証拠だけが積み上げられていく。捕まえたいのに逃れていくものが、長く余韻を引き続ける。