行定勲監督『焼肉ドラゴン』絶賛 優れた映画は未来に向けて作られている

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鄭義信監督&行定勲監督

 劇作家・脚本家の鄭義信が、国内の演劇賞を総なめにした舞台を自らメガホンを取り映画化した『焼肉ドラゴン』(6月22日公開)の試写会が5日、都内で行われ、上映後のトークイベントに鄭監督と行定勲監督が登壇。同作の舞台も鑑賞していた行定監督は「(本作は)映画がやらなきゃいけないことがすべて詰まった映画。こういう映画がヒットしないと、つまらない日本映画ばかりになってしまう」と観客に猛アピールした。

【動画】『焼肉ドラゴン』予告編

 2人の出会いは7、8年前とのこと。行定監督は「鄭さんは、崔洋一監督(『月はどっちに出ている』『血と骨』など)や平山秀幸監督(『愛を乞うひと』など)ら、先輩監督たちの名作の脚本を手がけた方。なのでいつかご一緒したいと思い、意を決して7、8年前に、ある大作の脚本をお願いしたことがありまして、脚本が完成し『よし、行ける』と思ったら、企画がポシャってしまった。でも素晴らしい脚本が残っているので、まだ諦めたわけじゃないです」と知られざるエピソードを披露。

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 行定監督は舞台「焼肉ドラゴン」も観ていたと言い、「初演(2008年)はチケットがどうしても手に入らず、出演者の(事務所の)社長さんに手を回して、汚い手を使ってでも観ようと思ったんですが、再演(2011年)でやっと観られた」と回想。「だから映画版は、初見のときの舞台の感動を超えられるのだろうかって、余計な心配をしてしまいました」と明かしつつ、「監督が鄭監督で本当によかったと思います。他の監督では(本作は)まず考えられない。僕に(監督の)話がきても、即答で断ります、自信がない」と鄭監督の才能と映画のクオリティーを称賛した。

トークでは、行定監督のヒット作『GO』の秘話も

 本作は、万国博覧会が開催された1970年、関西の地方都市を舞台に、高度経済成長に浮かれる社会の片隅で、小さな焼肉店を営む一家が時代の波に翻弄されつつ、たくましく生きる姿を描く人間ドラマ。

 先月、韓国で開催された第19回全州国際映画祭では、本作がオープニング作品として上映され、2,600人収容の会場で、スタンディング・オベーションで迎えられたことも話題に。鄭監督は「韓国では、この映画を、かつての儒教的な家族が崩壊していく様子として観たようです。日本では、2008年の初演舞台のときは、ある時代のノスタルジーとして、2016年の再々演のときは、東日本大震災を経験し、故郷を捨てざるを得なかった人々の物語として観られました。さらに外国に行けば『これは移民の物語ですね』とも言われます。そうやって、僕の思惑とは全然違う物語として、この作品が先へ先へと、僕より前に歩いて行っているようです」と作品が多様に解釈されていることを喜んでいる様子だった。

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 これを聞いた行定監督も「僕も2001年に『GO』を監督したとき、自分が子どもの頃に亡くなった『在日』の友人のことがずっと心に残っていて、あの映画を撮ることができた」と述べてから「映画は、基本的に生きてきた記憶の中から生み出されるもので、過去に経験し蓄積したものが、今、作品として撮られるわけです。多くの人は『何で、今なの?』っていうけど、それは今撮るしかないんですよ。で、優れた映画って、すべて絶対に、未来に向けて作られてますね。僕は本作のラストシーンは、涙なくしては観られなかった。歴史に残らないような人たちが、ちゃんといるんだってことが、この映画の端々に描かれているんです。鄭さんの作品は、舞台も映画も未来に向けて放たれていますよ」と言葉に力を込めた。

 最後に、鄭監督も「しばらく前、韓流ブームだと思ったら、そのあと反韓・嫌韓、ヘイトスピーチという揺れ戻しも来る。こういう時代だから『焼肉ドラゴン』という映画を撮らせてもらえたと思うし、『今、撮るべきだ』と後押しをしてもらえたから、監督することもできたんだと思います。この家族が、みなさんの家族として愛されますように」と笑顔で呼びかけた。(取材・文/岸田智)

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