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キンコン西野「はねトび」で人気絶頂も…25歳で感じた潮時

 現在公開中の『映画 えんとつ町のプペル』で、自身が描いた絵本をもとに製作総指揮・脚本を務めたキングコングの西野亮廣(40)。テレビの世界から軸足を抜き、絵本作家に転身した際、大バッシングを受けた彼は、その時何を思い、何を原動力にわが道を貫き通すことができたのか? 「夢を持てば笑われて、行動すれば叩かれる現代社会の縮図」……本作の舞台となる“えんとつ町”をそう表現した西野が、改めて内なる思いを明かした。

【動画】西野が現代社会に届けたいメッセージとは?

 本作は、累計発行部数60万部(2020年12月時点)という異例の大ヒットを記録している西野のベストセラー絵本を、『海獣の子供』のSTUDIO4℃がアニメーション化した物語。空が見えない煙に覆われた町を舞台に、ゴミから生まれたゴミ人間・プペル(窪田正孝)と、孤独な少年・ルビッチ(芦田愛菜)が、力を合わせて空に輝く星を見つける大冒険の旅に出る。

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「えんとつ町のプペル」は僕の自叙伝

えんとつ町のプペル
(C) 西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会

 「白状すると、僕の自叙伝なのは間違いないです」と語る西野は、本作に自身のいろいろな思いを託したという。「テレビの世界から軸足を抜いて、絵を描き始めたころ、とにかくバッシングが酷かったんです。『なんで芸人が絵本描いとんねん』とか、『芸人やったらひな壇に座っとけ』とか、とにかく酷かった。2013年には、ニューヨークで個展を開くためにクラウドファンディングで資金を集めたんですが、当時の日本では、クラウドファンディングという名前も仕組みもあまり知られていなかったので、詐欺だとか宗教だとか言われました」と苦笑いする。

 ただ、延々と続くバッシングの嵐を冷静に受け止めていた西野は、心ない言葉の数々をこう分析する。「これは僕なりの結論ですが、人は嫌いだから嫌っているのではなくて、知らないから嫌っているのがほとんどだと思っています。『よくわからないから叩け』みたいなところがあると思うんですよ。例えばクラウドファンディングだって自分たちが生きていくための選択肢の一つ。これを放棄して、自分たちの首を締めてしまっている。未来を迎え入れることができないじゃないですか、それがすごく嫌だったんです」と吐露する。

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ルビッチのセリフに思いが重なり涙した

えんとつ町のプペル
(C) 西野亮廣/「映画えんとつ町のプペル」製作委員会

 批判することが全て悪いわけではない。西野は「否定するのはぜんぜん構わないんです。それぞれ趣味嗜好がありますから。でも、内容をちゃんと調べて、それがいったい何なのかしっかり咀嚼(そしゃく)してからでないと、自分たちの首が締まっていく。それで日本がどんどん貧しくなっていくのは見てられないと思って、これを放ってはおけないと思って……この(えんとつ町の)話を作ろうと思いました」と心を痛める。

 「劇中、『星なんてない』と言っている町の人たちに対してルビッチが、『あの煙の向こう側を誰か見たのかよ! 誰も見ていないだろ? だったら、まだわからないじゃないか!』と叫ぶシーンがあるんですが、そのセリフをアフレコの現場で聞いたときに、僕、思わず泣いちゃったんです。これは今、世界中に届くメッセージだなって思って。まだまだ続くコロナ禍で、持ち合わせてなければいけない言葉だなって思います」。奇しくも、コロナによって世界中が希望を見失った今、先が見えない中でも「信じぬくんだ」という本作のメッセージは、2020年こそ受け取ってほしい“応援歌”のような意味を持った。

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「テレビは潮時」人気絶頂で気付いた負け戦

 そもそも、お笑い芸人として人気絶頂だった西野は、なぜ、テレビの世界から軸足を抜いたのか。「20歳の時に『はねるのトびら』が深夜番組としてスタートし、25歳の時にゴールデンに上がったんですが、全国ネットで視聴率が毎週20%超え、そのほかにも各局で冠番組をいただくようになり、芸人として願ったり叶ったりの状況になりました。この山を登り続けたら、もっといい景色が広がるはず……そう思って、さらに一生懸命、目の前の山を登ったんですが、そこで見えてきたのは、偉大な先輩方の背中だったんですね。結局、彼らを追い抜いていないし、追い抜く気配もなかった」と当時を振り返る。

 「なぜかというと、自分が走ってきたレールはその先輩方が敷いてくださったものなので、そこでトップランナーになっても、結局、先輩方の背中を押すだけの存在になってしまうんです。つまり、競争に参加した時点で負けが決定しているということに気付いたんです。『ここにいちゃダメだ。全く違うゲームを作って、そこでやらなきゃいけない』って。それで25歳のときに、もう潮時だなと思って、テレビから軸足を抜くことにしました」。

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大先輩・タモリの助言で絵本作家の道へ

えんとつ町のプペル

 そんなある日、西野は、大先輩のタモリから「話がある」と呼び出された。「タモリさんから、突然『お前は絵を描け』と言われて。後々聞いたら『お前は理屈っぽいから、物事を分解して、“これを届けるためには、こんなものを描けばいいんじゃないか?”という計算ができる。絵を描けるようになるから描け』と。当時、そんなに絵に興味はなかったんですが、わざわざタモリさんが僕を呼び出してまで言うなんてよっぽどのことだし、自分のことは自分よりも別の人のほうが見えているということもあるし。何の当てもなかったんですが、ちょっと言われた通りにやってみようかと。そこから全てが始まりましたね」と述懐する。

 もともと西野は、世界中の人々に刺さるコンテンツを目指し、非言語、あるいは翻訳のハードルが極めて低いものを探していたことから、思いのほか絵本作家がピタリとハマった。「挑戦する人を叩くなとか、失敗した人を叩くなとか、もうそんなことを口で訴えたって何も変わらないって思ったので、だったら自分でやってみせようと。自分でめちゃくちゃ勉強して、めちゃくちゃ努力して、ドブ板営業して、草の根運動して、本気でやれば、いつか奇跡が起こるし、状況も好転するはず。今はそれを見せる戦いです」と目を輝かせる。

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 さらに西野は「人のためにがんばること」が、今の原動力になっているとも。「僕だけでなく、僕と一緒にやっていたスタッフも、当時、すごく叩かれたんです。僕と組んだことによって、それ以外の仕事を奪われた仲間がたくさんいたんですよ。もし僕が白旗をあげたら、彼らが叩かれたことが、全て負の歴史になってしまう。だからそこはちゃんとひっくり返してあげないと……というのが原動力になっています。あとはまぁ、モテたいというのもちょっとありますけどね(笑)」と男気を見せる。スタッフはもとより、自分の後輩やイベントに来てくれた子供たちのことを考えると、「今のままの世界を渡すわけにはいかない」という使命感が湧いてくるという西野。そんな熱い思いが『映画 えんとつ町プペル』に注がれているのだ。(取材・文:坂田正樹)

西野亮廣が現代社会に届けたいメッセージとは?『映画 えんとつ町のプペル』インタビュー » 動画の詳細
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