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庵野秀明が若き日に撮った自主制作『ウルトラマン』が上映!当時の制作陣が制作過程振り返る

イベントの様子
イベントの様子

 庵野秀明による『ウルトラマン(庵野秀明自主制作版)』と『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』の上映会が1日、都内で行われ、『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』で特技監督を務めたアニメプロデューサーの赤井孝美と、同作の制作進行を務めた神村靖宏(現・グラウンドワークス代表)、アニメ特撮アーカイブ機構の三好寛が登壇して、当時の庵野の様子や、作品制作の舞台裏を振り返った。

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 公開中の映画『シン・ウルトラマン』で企画・脚本を務めた庵野が大阪芸術大学在学中に8ミリカメラを使って作成した『ウルトラマン(庵野秀明自主制作版)』は上映時間約3分の作品で、1980年に発表された。その3年後の1983年に制作された『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』も同様に8ミリフィルムで撮られ、こちらは上映時間約27分となる。

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 いずれも庵野自身が監督だけでなく、ウルトラマン役で出演。ボール紙や模型などを使ってつくったセットやメカ、衣装をはじめ、作業着にウレタンや液体ゴムを使ってオリジナルで作った怪獣の着ぐるみなど、手作り感満載の小道具、演出が見どころとなる。実際に作品で使われたハヤカワ隊員の衣装もこの日、壇上で展示された。

 赤井は登壇すると、『ウルトラマン(庵野秀明自主制作版)』について「大阪芸術大学の映像計画学科で、一回生の課題として提出したもの」だと紹介。「当時の教授が、『10人くらいでグループをつくれ』と言って、みんな初対面なんですけど、『一年間チームで最終的に作品をつくってもらう』って話になった。庵野君のグループはなかなか意見がまとまらなくて、テレビ局の一日の番組という体で、ある人はCMをつくったりして、それを繋げて、その中で7時からウルトラマンをやっているという設定であれがつくられたんです」と明かす。赤井は別グループにいたが、「自分も庵野君と同じ下宿という関係もあって手伝いました」と本作にも関わっているという。

 『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』はその課題提出のための『ウルトラマン』の続編としてつくられたものだといい、赤井は「最初はもっとギャグっぽい感じで考えていたんです。セットも怪獣も衣装も作って、最後に庵野君が出てきたら面白いだろう、ぶち壊しみたいな。でも庵野君の書いた絵コンテがすごくて。『ハハハ、面白いでしょ』って感じにはならなかった」と回顧。庵野のコンテを実際に映像化するのは自主制作レベルの制作環境では大変だったといい、実質、制作期間も4か月かかったと紹介する。

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イベントの様子

 神村は、『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』での当時の自身の立ち位置について「使いパシリ」と笑顔で紹介。「試験勉強期間なのに、『試験は来年も受けられるけどこの映画は今年しかないぞ』ってプロデューサーが言って、大阪中のSF好きの学生を総動員してつくりました」と振り返る。同作が、今回の上映にあたって2Kリマスター版になっていることも明かし、壇上では神村が持参した当時の貴重なメイキング写真がスクリーンに映された。劇中登場するマットアロー1号の制作過程などもこの中で紹介され、客席のファンは興味深く見入っていた。

 赤井は当時の同作の作品評価について「(当時各地方で開催されていた)SF大会の仲間には大ウケしたけど、自主制作界隈では相手にされなかった」とコメント。「今でこそオタクっぽさは評価の対象になりますけど、当時はなんか面白くないことしているなって思われていた」と語る。だが、一転、時代が変化。庵野らも今では巨匠となり、作品への評価も変わった。

 赤井は「若くてまだ学生で恐れを知らない、そのおかげでつくったものがいろんなものに繋がった。まさか(この日の上映会のような)こんな未来があるなんて」と感慨深げ。「僕もじっくり観たのは久しぶり。よくやったなってと思う」としみじみ。神村も「本当にいろんな奴が大勢手伝ってくれた。庵野さんや赤井さんも含め、いろんな方が参加した稀有なフィルムだと思います」と感想を述べていた。(取材・文:名鹿祥史)

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