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日本映画を担う3人の監督たち<後編>世界の映画祭を総なめ! 巨匠、10年ぶりの新作で初のTIFF(2/3)

第28回東京国際映画祭

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映画祭をきっかけに世界配給につながったデビュー作

Q:監督の場合も、映画祭で実績を積んで、いまにつながっている部分もありますしね。

そうですね。最初に体験したのはモスクワ国際映画祭だったんですけど、モスクワは「俺たちが小栗を発見した」って言ってくれているし、カンヌは「俺たちが小栗を世の中に出した」って言ってくれている。こちらとしては「ありがとうございます」の一言に尽きますよね(笑)。

Q:そうなると、作品自体の広がり方も変わっていきますね。

ええ。特に『泥の河』は、映画祭をきっかけに成功した作品の典型的な例だと思います。全く公開のあてもなく作った超低予算の映画で、国内配給も決まらずにウロウロしていたんですけど、モスクワに行って、アカデミー賞の外国語映画賞にもノミネートされて、あっという間に世界配給が成立した。映画祭がメッセージを発信してくれたおかげで道が開けたわけですけど、それも映画祭の大きな役割です。既成の商業的なルートだけに頼るのではなく、それ以外に可能性を見いだしていく場でもあります。

日本映画を担う3人の監督たち
(c)2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド・フィルム・プロダクション

Q:今回の『FOUJITA』は10年ぶりの新作で、画家の藤田嗣治の半生を描いた作品ですけど、元々藤田がお好きだったんですか?

いえ。特に思い入れがあるわけではなく普通でしたよ。にぎやかで、ヘンな人、が最初でした。それはフジタの人格、性格からくる側面もあったでしょうが、なによりも文化の衝突であったことは間違いない。明治生まれの男が単身でパリに渡って、そこで売れた。それは半端なことではなかったでしょう。エコー・ド・パリの寵児とまでもてはやされた。相当なものですよ。江戸の末期まで油画、油絵というものは日本にはなかったのですから。日本画的な技法がフジタの中で生きていた。一転して戦時の日本に帰り、大東亜の理想が叫ばれる中で、今度は西洋画の伝統的なスタイルで描き続けて、日本美術界のトップに上り詰めていった。だから矛盾を抱えている。画を人一倍真摯に追い求め続けた結果、時代にも引き裂かれた、と言ってもいい。油絵というのはヨーロッパ伝来のものですし、それは映画も同じ。ヨーロッパ発の近代として受け入れたメディアが、非欧米社会でその後、自国の文化とどう交わっていったのか? ということを考えると、フジタは全然他人事ではないんですよ。

Q:フジタが戦争によって運命を狂わされていくところを、映画では前半と後半のトーンをガラリと変えることで表現されていましたね。

不親切と言えば不親切だし、乱暴と言えば乱暴だけど、断ち切ることで二つの時代、二つの文化の両方が見えてくると思うんです。それは今だから見えるのですよね。

Q:オダギリジョーさんがフジタになりきっていて、素晴らしいですね。

外見を似せることはほかの俳優さんにもできたでしょうけど、“藤田的な何か”がオダギリくんにはあったと思う。一種の身体感覚ですよね。フジタが布フェチであったのと同じように、オダギリも結構フェチだよ(笑)。それは悪いことではなく、俳優さんがそういう自分の身体感覚から芝居を作るというのはとても大事なことでね。頭でっかちに芝居を組み立てるよりも、遥かにいいものになりますよ。

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