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「はだしのゲン」の中沢啓治、幻の第2部の構想を明らかに!ゲンが被爆者として差別されるという衝撃の展開

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平和への思いを語った中沢啓治
平和への思いを語った中沢啓治

 戦争の悲惨さを描いたマンガ「はだしのゲン」の原作者・中沢啓治の半生を追ったドキュメンタリー映画『はだしのゲンが見たヒロシマ』の試写会が30日に映画美学校で行われ、石田優子監督とともに出席した中沢氏は平和への思いを語ったほか、執筆を断念した「はだしのゲン」第2部のストーリーを明かした。

 「はだしのゲン」を通じて戦争の悲惨さや、平和を願う思いを訴え続けてきた中沢。視力が低下したため、「はだしのゲン」の第2部の執筆は2009年に断念されたという。だが構想は固まっているらしく、中沢は「東京に上京したゲンが、(被爆者として)差別される様子を描こうと思った。そして東京大空襲の孤児たちと手をつないで、戦争のない世界を目指す。最終的にゲンは横浜から貨物船に乗って、絵描きを目指してフランスに行くという構想があった」とストーリーを明かした。

 本作で被写体となって半生が映画化されたことについて中沢は「(自分が)しゃべっているのを見ると恥ずかしい」とはにかみつつ、「少しでも戦争や核兵器のない方に進んでいければ被写体となった意義がある。何かを感じ取ってくれたらありがたい」と力強く語ると、本作が若者の街・渋谷で公開されることについて「若者たちがこの映像に触れて、次の世代にドンドン広まってくれたら作者冥利、被写体冥利に尽きます。また英語や世界の言葉にもなってもっと広がってほしい」と世代や国境を越えて本作を多くの人に観てもらうことを願っていた。

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 一方、1978年生まれの石田監督は、幼いころに「はだしのゲン」のアニメを見て衝撃を受けたといい「原爆投下のシーンの印象が強くて、夜に目を覚ますとそのことを思い出して眠れなくなった。(「はだしのゲン」の)マンガも児童館や図書館など身近にあったが、簡単に見てはいけない気がした」と振り返る。ところが今から数年前、広島で被爆者や戦争体験をした方の記録映像を撮影していたときに中沢に出会ったそうで、「中沢さんは小さいころから持っていた漫画家になる夢を、つらい経験をしてもあきらめず貫き通した。中沢さんの明るさ、強さ、生き方に感銘と衝撃を受けて、多くの方に伝えたいと映画化のお願いをしました」と映画化されるまでの経緯を説明した。

 そして中沢は、東日本大震災によって発生した原発事故についても言及。以前から原発に反対していたことを明かし「地震列島に原発を作るのは危険だと思っていたら、案の定『来たな』と。まだまだ人間が制御できる段階ではないので、原発は放棄して自然燃料に切り替えるべき」と持論を展開したほか、原発地域の子どもが差別でイジメを受けたというニュースに触れ、「本当に腹が立つ。先生や親は風評に動かされず冷静に見てほしい」と冷静な判断を訴えかけた。また被災者へのメッセージとして「落ち込んだらダメ。空元気でもいいので歌を歌って、負けるかという気持ちを奮い起こして力いっぱい生きてほしい」と、戦時中でも明るく元気に生きたゲンの姿を、被災地の人々に重ねてエールを送っていた。(肥沼和之)

映画『はだしのゲンが見たヒロシマ』は8月6日よりオーディトリウム渋谷にて公開

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