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1940年代の赤狩り時代にブラックリストに載った『ローマの休日』の脚本家、名誉回復に至る

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1947年、非米活動委員会の公聴会に出席した脚本家ダルトン・トランボと妻クレオ
1947年、非米活動委員会の公聴会に出席した脚本家ダルトン・トランボと妻クレオ - 写真:AP/アフロ

 1940年代後半から1950年代半ばにかけて、マッカーシズムによる赤狩りの旋風が吹き荒れる中、ハリウッドで活躍する監督や脚本家、俳優たちの中で共産党と関連があったとして列挙された人物リスト、ハリウッド・ブラックリストなるものが存在した。さらに、そのうち召還や証言を拒否して議会侮辱罪で有罪判決を受けた主要な10人を、ハリウッド・テンと呼んでいる。

映画『ローマの休日/製作50周年記念デジタル・ニューマスター版』写真ギャラリー

 映画『ローマの休日』の脚本家ダルトン・トランボは、赤狩りに反対し、ハリウッド・テンの一人となった。禁固刑の実刑を受け、刑期終了後も映画界から事実上追放されたトランボは、メキシコに逃亡し、いくつかの偽名を使って脚本家として仕事を続けた。『ローマの休日』は、トランボの友人でイギリスの脚本家、イアン・マクレラン・ハンターの名義で執筆し、ハンターの名でアカデミー賞原案賞を受賞したのだった。

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 トランボは、1960年の映画『スパルタカス』で再び名前がクレジットされるようになり、その後も映画『脱獄』『パピヨン』などの大作を手がけ、1976年に死去した。

 テレグラフ紙(電子版)が伝えたところによると、トランボの息子とハンターの息子は、2010年に全米脚本家組合に対し、トランボが『ローマの休日』の真の脚本家であることを認めてくれるよう提唱していた。そしてついに、58年の時を経て、正式にトランボの名誉回復が実現に至った。

 ハリウッドを拠点とする西部全米脚本家組合のクリス・カイザー会長は、「過去の過ちや苦しみを打ち消すことはできないが、償いの意を表し、恐怖という危険な力や検閲への衝動に屈しないと誓うことはできる」と述べている。さらに、今回の名誉回復は、真実を明らかにしたものであり、その真実は「二人の父親と二人の息子の友情、そして、我々が指針とするものに捧げられた」としている。

 ちなみに、ハリウッド・テンには、映画『ケイン号の叛乱』のエドワード・ドミトリク監督や映画『幻影のハーケンクロイツ』のハーバート・J・バイバーマン監督ら、ブラックリストには監督で俳優のオーソン・ウェルズ、劇作家のアーサー・ミラー、作家のアーウィン・ショーやダシール・ハメットなどがいた。(鯨岡孝子)

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