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東日本大震災、追悼式典NYでも 被災者が当時の被害や壮絶ないじめを明かす

左から、ニューヨーク総領事の山野内勘二さん、語り部を務めた三浦七海さん、歌手として活躍する主催者のAkemi Kakiharaさん
左から、ニューヨーク総領事の山野内勘二さん、語り部を務めた三浦七海さん、歌手として活躍する主催者のAkemi Kakiharaさん

 ニューヨークにある第一科学者キリスト教会(First Church of Christ, Scientist)で東日本大震災の犠牲者の追悼式典「Together For 3.11」が、3月10日(現地時間)に行われ、震災の被害者で語り部の三浦七海さんらが登壇した。

震災後の福島県で農業を営む人々の姿を描いた映画『ハッピーアイランド』

 在留邦人やアメリカ人を含めた約400人が参列した同追悼式典。ニューヨークを拠点に活躍する歌手であり主催者のAK Akemi Kakihara(柿原朱美)さんは、「ここニューヨークは、日本から離れていますが、こんなに多くの方々がいらっしゃってくれました。みんな日本のことを忘れていません。共に頑張っていきましょう!」と8年たった今も、日本への思いをはせながら支援していることを語った。また、宮城県の村井嘉浩知事からは「震災後に、世界の多くの国々、世界中の人々から、大変心温まる、物心両面にわたるご支援を賜りました。この場をお借りいたしまして、心から感謝を申し上げます」とビデオメッセージが寄せられた。

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 続いて、本追悼式のゲスト・スピーカーで、被災を理由にいじめにあったことがきっかけで語り部になったという三浦七海さんが登壇。現在、19歳の彼女は、11歳の時に震災に遭った。「8年前の東日本大震災では、わたしの地元宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区にも甚大な被害が及びました。子供がドールハウスを振ったような長く大きな揺れと、地をはいながら車も家も人をも全てを飲み込んだ真っ黒な津波は今でも鮮明に覚えています。当時学校にいたわたしと弟、学校に迎えに来てくれた母、内陸部で働いていた父、全員が無事でしたが、海の近くにあった家は全壊流失。学校も陸の孤島と化しました。次の日の夕方には市内の内陸部の小学校の体育館の避難所へ移り、そこで16日間過ごしました。避難所での生活は生きた心地がしませんでした」と未曾有の被害を振り返った。

 だが彼女は、再開した学生生活でさらなる苦悩を味わうことになる。「小学校が再開し、新たな生活をしていく中で、全国・世界からの支援で生きられたのだなと小学生ながらも身に染みて実感した1年を過ごしました。中学校は再建先に合わせて転校しましたが、そこでわたしは3年間、被災を理由にした“いじめ”を経験することになります。『支援物資をもらってずるい』、『閖上に帰れ』、『なんで周りの人は死んだのにお前は生き残っているのだ』と言われ、カバンに砂利を詰められ、嫌なあだ名で生徒からも先生からも呼ばれ、人間に対する信用がだんだんと無くなっていきました。この時わたしは、むやみやたらに人を、特に大人を信用してはいけないこと、被災地生まれと言うことは恥だということを学びました」と衝撃の過去を告白した。

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 この経験をボランティア団体に参加した高校生に話したことをきっかけに、ボランティア団体の学生たちに初めて震災の出来事を人々に伝える「語り部」をすることになり、現在に至るという三浦さん。最後に「わたしはこの語り部を生きている限りずっと続けると決めています」と述べ、今後も日本だけでなく世界中に、震災から学べる知識や震災後の人々の協力を訴えていく強い思いを明かした。(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hposoki)

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