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世界初上映!日本兵の遺骨収集作業に密着した短編ドキュメンタリー『白骨街道』

『白骨街道』の藤元明緒監督(写真左)と撮影の岸建太朗。岸は俳優・監督としても活躍している。(撮影:中山治美)
『白骨街道』の藤元明緒監督(写真左)と撮影の岸建太朗。岸は俳優・監督としても活躍している。(撮影:中山治美)

 太平洋戦争のインパール作戦で命を落とした日本兵の遺骨収集作業を行う少数民族に密着した短編ドキュメンタリー『白骨街道』が、先ごろ開催された第15回大阪アジアン映画祭で世界初上映された。撮影の岸建太朗は祖父を現地で亡くしており、インドとミャンマーの国境沿いに広がる雲海を見た瞬間、「祖父をはじめ日本兵たちは、敗退が決まって逃げていく中で、それでも美しいと思い、足を止めたのではないか? そう考えたらバーっと涙があふれてきた」と撮影を振り返った。

 本作を制作したのは、父親が入国管理局に逮捕されてしまった在日ミャンマー人家族の苦悩を描き、第30回東京国際映画祭アジアの未来部門で作品賞と国際交流基金アジアセンター特別賞をダブル受賞した日本・ミャンマー合作映画『僕の帰る場所』(2017)の制作チーム。ミャンマー(旧ビルマ)は1942~1945年の間、日本統治時代があり、藤元明緒監督が同作の制作準備で現地を訪れると必ず戦争の話が出てきて、日本への複雑な感情をぶつけられたときもあったという。

 しかも集まったスタッフは岸のほか、岸の祖父と同じくインパール作戦に参加し、幸いにも帰還した祖父を持つキタガワユウキが共同プロデューサーとして参加していた。岸は「そんな僕らが集まってミャンマーで映画を撮る。目に見えない糸で引き寄せられた感覚がありました」と振り返る。

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 その矢先、読売新聞の特集「戦後70年に学ぶ ミャンマー白骨街道のいま」が同社公式サイトに掲載された。戦時中、英軍の拠点だったインド東北部にあるインパールの攻略を目的に、投入された日本兵の数は約10万人。うち3万人以上が戦死したと言われる。そのほとんどが飢えや病気で、彼らが倒れた退却路は「白骨街道」と呼ばれ、今でも多くの遺骨や遺品が眠っている。その収集作業に、少数民族のゾミ族が関わっているという内容だった。

白骨街道
藤元明緒監督『白骨街道』のワンシーン。(C) E.x.N K.K.

 藤元監督は「遺骨収集調査を行っているNGO団体が下調べをし、ある程度の場所の確証を得た段階で、ゾミ族が発掘作業を行うそうです。ただそこはバスも通れない山奥で、日本の遺族会の方も入れないような、そんな場所は見たことがないという。そういう意味でも何か映像を撮って、戦争遺児である岸さんのお父さんにも共有できたらいいなと思いました」と作品への思いを語る。

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 旅程は過酷だった。最寄りのミャンマー・カレーミョ空港から車で約12時間。ミャンマー在住歴のある藤元監督も「行ったことがなかった」というへき地。今でこそ舗装されて多少、交通の便は良くなったそうだが、「当時は牛を歩かせて道を作ったとか。それでも川を渡るときに武器や食糧を流されてしまったという話を聞きました」(渡邉一孝プロデューサー)。

 現地ではゾミ族へのインタビューも実施。日本兵に家畜を奪われるなど図らずも戦争に巻き込まれてしまった人たちの遺恨も語られる。それでも収集作業に携わるのは決して金銭ではなく(ゾミ族が関わるのは不定期で、年に数回あるかないかだという)、ゾミ族自体が遺骨を大切にする民族であり、戦後ずっと遺骨を探して現地を訪れる日本兵遺族の姿を見ていたことも大きいようだ。

 また発掘され、現地で保管されている穴の空いた無数のヘルメットや銃、日本刀などの遺品もカメラに捉えられており、戦争の残虐性が改めて胸に迫ってくるようだ。これらの映像はまず、岸の父に見せたという。岸の祖父は、息子(岸の父)が生まれる前に戦死しており、写真でしかその姿を見たことがないという。

 「映像を見たとき、親父は泣いていました」(岸)

 今回は短編としてまず発表したが、いずれ長期密着を敢行し、長編作品として発表したいという。なお、藤元監督と岸は新作の日本・ベトナム合作映画『海辺の彼女たち』を撮り終えたばかり。青森を舞台に、技能実習生として来日したベトナム人の目を通して日本を描くという。(取材・文:中山治美)

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