気高い精神が染み入る“老成した黒澤映画”こそ小泉映画の真髄

思わず居住まいを正してしまう。残された時間の身の処し方という『生きる』の命題。人間性を学ぶ絆としての『赤ひげ』の荘厳。だが物事の白黒が明解だった師・黒澤明とは異なり、水墨画のような味わいだ。強烈な邪心が物語を動かすのではない。狡猾で卑屈な権力者の面子のために迫害を受け、生き様が試される。物心両面から過去の日本人ににじり寄り、所作や武士道を気高く描いていく。"鞘に収まった刀"としての風格と品性を研ぎ澄ましてきた小泉堯史の作品は、決して愛や涙の押し売りなどしない。黒澤明が撮れなかった“老成した黒澤映画”こそ小泉映画の真髄。これは、忘れられた高邁な精神が染み入る純度高き美しい映像詩である。