M.キートンよりむしろE.ノートンやE.ストーン!

物語を語るのに手管を弄しすぎるのがイニャリトゥ最大の欠点だが、いくらE.ルベツキが『ゼロ・グラビティ』でライヴアクションとCG(今回は主人公の自我)の融合による長回しを完成させたからとて、この撮影プランはあまりにあざと過ぎる(前作『BIUTIFUL』はほぼ普通の話法で成功していたのに)。大衆意識としてのヒーロー希求を結果的には肯定しているにせよ、ハリウッド人種の舞台&芸術コンプレックスにもいささか辟易。しかし劇場裏の狭隘なロケーションをも厭わぬ挑戦的なロングテイクが演者たちのグルーヴ感を促進させているのはびしびし感じられ、それをA.サンチェスのドラミングが煽る快感は凄いのだ。