作品評:『あなたを抱きしめる日まで』

文=今祥枝

 厳格なカトリックの道徳観に基づいたアイルランドでは、婚外子を身ごもった女性たちは“堕落した女”として親から見捨てられ、強制的に修道院に入れられた時代があった。彼女たちは洗濯などの重労働を強いられ、修道院から出ることを許されなかった。これは全く人権を無視した行為であり、驚くことにこのような修道院は1996年まで存在したのである。2013年にはアイルランド首相が公式に謝罪したカトリック教会の暗部は、ピーター・ミュラン監督の『マグダレンの祈り』(2002)で知る人も多いと思う。

 こうした歴史的背景のもと、『あなたを抱きしめる日まで』のモデルとなった実在のアイルランド人、フィロミナ・リーは1952年、10代で未婚のまま妊娠し、修道院へ入れられた。しかも、筆者は本作で初めて知ったが、1940年代から70年代にかけてカトリック教会は子どもが3歳くらいになると主にアメリカ人に引き渡す、養子あっせん事業を行っていたという。孤児でないにもかかわらず、母親の承諾も得ずに。

 金銭の授受など全容は明らかになっていないが、映画によると修道院がある地元では公然の秘密だったようだ。フィロミナも息子が3歳のときに突然取り上げられて以来、50年もの長きに渡って息子の行方を捜し続けてきた。映画は、生き別れた息子を捜す主婦フィロミナと、彼女の息子捜しを記事にするべく調査を共にする元BBCのジャーナリスト、マーティンが英国から修道院のあるアイルランド、さらにはアメリカへと息子の足跡をたどるロードームービー仕立てとなっている。

 概要だけ聞けば、恐ろしく重苦しいものを想像するに違いない。が、本作が真に優れているのは、ユーモアに満ちたコメディーの体裁をとっている点にある。気のいい田舎者のおばちゃんであるフィロミナと野心家でインテリのマーティン、この2人の掛け合いが、実に愉快で小気味よい。マーティンの嫌味な元同僚と遭遇したとき、「ウンコを投げつけるべきよ」と朗らかに笑うフィロミナ。初めての渡米でハイになってしゃべり通しの彼女にうんざりしつつも、マーティンが彼女の素朴な純粋さに好意を抱くよりずっと先に、わたしたちは愚直なまでに真っすぐな心を持つフィロミナのことを好きにならずにはいられないだろう。いつも素晴らしいジュディ・デンチの役づくりは、ここにきてまた新たな代表作ができるのかというほど出色の出来だ。

 やがてフィロミナが直面する真実には、まだ運命は彼女に苦難を強いるのかとやりきれない気持ちになる。自身が女性としての尊厳を踏みにじられ、人間性をも否定されて生きたつらい過去と同じように、彼女の息子もまた人知れず偏見と闘い、表向きは自己を否定しながら生きることを強いられていたのだから。全ての謎が解き明かされた時、観客は善良で愛すべきフィロミナを苦しめた全ての物事、社会通念や宗教、それに関わる全ての人々に激しい憤りを感じるはずだ。しかし、何たることか、当事者であるフィロミナに恨み節は一切ないのである。彼女は全てを受け入れ、赦し、そしてただ神に祈りを捧げる。その姿の、何とすがすがしく、尊いことか。

 本作のベースとなっている原作では、フィロミナの息子の苦悩が詳細に描かれている。映画はその部分をばっさり落として、あくまでもフィロミナの視点からのドラマとして脚色しているが、限られた時間の中で語る物語としては、原題の通りフィロミナにフォーカスしたアダプテーションは正解だろう。コメディアンでもあるマーティン役のスティーヴ・クーガンによる脚本(共同脚本ジェフ・ポープ)は、常にユーモアを忘れずに、しっかりと信仰や赦し、忍耐や人間の尊厳について重要な問題提議をしている。そうした人間味のあるキャラクターの描写と非常に難しい社会派の素材を、感心するほどの手慣れた演出でさらりと描いてみせるスティーヴン・フリアーズの鮮やかさ。そのいい意味での“軽さ”があってこそ、観客の心にも映画が伝えるメッセージに対して真摯(しんし)に向き合う余裕が生まれるのである。

筆者プロフィール:

今祥枝(いまさちえ) / 映画・海外ドラマ ライター。「BAILA」「eclat」「日経エンタテインメント!」「日本経済新聞 電子版」「東洋経済オンライン」ほかにて連載・執筆。時々、映像のお仕事。著書に「海外ドラマ10年史」(日経BP社)。