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今週のクローズアップ:『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』

週末に公開される話題の映画の中から、気になる作品をご紹介します。今週は、12月8日公開の映画『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』(デヴィッド・リーフ監督)をクローズアップします。ジョン・レノンの活動家としての顔に焦点を当てたドキュメンタリー映画の公開にちなんで、彼のルーツとその時代を振り返ってみましょう。

不良少年・ミーツ・ロックンロール

 ジョン・レノンは、第二次世界大戦真っただ中の1940年10月9日に、イギリスのリバプールで生まれました。実の両親がそれぞれの事情で不在だった彼は、伯母の元で育てられました。ジョンと同じ1940年生まれの有名人といえば、アクション俳優のブルース・リー、ミュージシャンのフランク・ザッパ、映画監督のダリオ・アルジェント、同じザ・ビートルズのメンバーのリンゴ・スター、元プロ野球選手、現監督の王貞治、元プロボクサーで俳優のたこ八郎、自由民主党幹事長などを務めた麻生太郎、そして女優の浅丘ルリ子などの有名人が名を連ねています。またこの年、映画では『チャップリンの独裁者』(チャールズ・チャップリン監督)、『ファンタジア』(ベン・シャープスティーン監督)などが制作されました。


 少年時代、学校では札付きのワルだったジョン。そんな彼が夢中になったのが、アメリカの新しい音楽、ロックンロールでした。ロックンロールに出会ってしまった思春期の少年がやることといったら1つ。BANDやろうぜ!! ということで、1957年に早速学校の友だちと“クォリーメン”というバンドを結成します。メンバーとバンド名のチェンジを繰り返し、最終的にポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター(加入順)、そしてジョン・レノンという4人に落ち着いたこのバンドが、言わずもがな“ザ・ビートルズ”です。彼らが華々しくデビューしたのは、1962年10月、20世紀アメリカの象徴ともいえるマリリン・モンローが悲惨な死を遂げた数か月後のことでした。かのボブ・ディランもレコード・デビューを果たしたこの年、日本では先日織田裕二主演でリメークされた黒澤明監督の映画『椿三十郎』が公開されました。

 

Michael Ochs Archives/ゲッティイメージズ
ジョン・レノン 1970年

ヨーコ・オノとの出会い そして、反戦活動

 ザ・ビートルズでデビューした年22歳だったジョンは、美術学校で出会ったシンシア・パウエルと最初の結婚をします。1963年に彼女との間に誕生した息子が、後に父親と同じくミュージシャンとなるジュリアンです。ジョンとシンシアが離婚するときに、ジュリアンを元気づけようとポールが作ったのが、ザ・ビートルズの名曲「ヘイ・ジュード」だというのは、あまりにも有名ですね。


 1966年、ロンドンのインディカ・ギャラリーで、大スターのミュージシャンであるイギリス人男性ジョン・レノンと、前衛芸術家の日本人女性、ジョンより7歳年上のヨーコ・オノが、後に世紀の大恋愛に発展する出会いを果たします。お互いすでに妻子がいたにもかかわらず、炎上するままに交際を続けたジョンとヨーコは、1969年にイギリスのジブラルタルで挙式します。2人は平和を訴えるパフォーマンスを数々行っていますが、今回公開される『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』にも取り上げられている“ベッド・イン”というパフォーマンスは、このとき新婚旅行で訪れたアムステルダムで行われたもの。この年、ザ・ビートルズとしては実質上最後の作品となるアルバム「アビィ・ロード」が発表されます。


 アメリカで8月15日から17日の3日間に渡り、伝説のロック・フェスティバル、ウッドストックが開催され、映画『イージー・ライダー』(デニス・ホッパー監督)が公開された1969年は、ヒッピー文化の全盛期です。このころ、ジョンは長髪にひげを伸ばしたヒッピー・スタイルで、泥沼化するベトナム戦争への反対運動にいそしんでいました。その強すぎる影響力をアメリカ政府から危険視され、FBIにマークされていた当時の緊迫した様子を、本作品の中で詳しく観ることができます。

 

Michael Ochs Archives/ゲッティイメージズ
ザ・ビートルズ 1964年

突然の死

 音楽面では精力的にソロ活動に取り組んでいき、さまざまなミュージシャンとの共演を果たしていったジョン。ロックのスタンダード・ナンバーのカバーを収録したアルバム「ロックン・ロール」をリリースした1975年、ヨーコとの間に、これまた後にミュージシャンになる息子、ショーンが誕生します。ジョンが35歳の誕生日のことでした。1976年にリンゴのソロ・アルバムに1曲提供した後、ジョンは息子の養育に専念する専業主夫となるために、1980年まで音楽活動を休止します。


 映画では、『スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲』(アーヴィン・カーシュナー監督)、『エレファント・マン』(デヴィッド・リンチ監督)、『影武者』(黒澤明監督)などが制作、公開され、中東ではイラン・イラク戦争が始まり、日本では、武道館で山口百恵がマイクをそっと舞台に置いて引退した1980年。5年ぶりに発表したヨーコとの共作アルバム「ダブル・ファンタジー」が商業的にも成功し、ジョンの音楽界への復帰は順風満帆かのように見えました。しかしこの年、誰も予想だにしなかった悲劇が彼を、いや、世界を襲います。


 12月8日、ヨーコとともにラジオ番組のインタビューを受け、スタジオ作業を終えた帰り、玄関からガレージへ向かおうとしたジョンに、1人の男の手によって銃弾が打ち込まれました。すぐさま病院に運ばれましたが、ジョンは息を引き取りました。40歳という若さで。犯人の男、マーク・チャップマンは、事件当日の朝、発表されたばかりのアルバム「ダブル・ファンタジー」のジャケットにジョンのサインをもらっており、息子のショーンと握手もしていたということです……。このチャップマンを主人公とした12月15日から公開される映画『チャプター27』(J・P・シェファー監督)も、『PEACE BEDアメリカVSジョン・レノン』とあわせて要チェックです!

Michael Ochs Archives/ゲッティイメージズ
「ダブル・ファンタジー」 1980年

『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』

 そんなジョンの、反戦活動家としての顔に焦点を当て製作されたのが、彼の命日、12月8日に公開される『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』というドキュメンタリー映画です。アメリカで圧倒的な人気を得ながらも、「危険人物」としてFBIからマークされ、ついには国外退去命令を受けるまでになったジョンの闘いと、その当時の状況を描き出す本作では、驚くべき記録資料の数々が登場します。今回使用されている映像は、当時のジョンの活動家としての姿や、国外退去命令との闘いの末にアメリカ永住許可証(グリーンカード)を勝ち取ったときのインタビュー映像など、貴重なものばかりです。


 それらの過去の映像と入り乱れて映画を形作るのは、ヨーコをはじめ、その名がジョンの楽曲のタイトルにもなっている詩人のジョン・シンクレア、活動家のボビー・シール、そして、敵対していたニクソン政権の政府高官や、元FBI捜査官といった、さまざまな立場の生き証人たちへのインタビュー。そして、胸を打つ歌詞とともに流れる、ジョンの遺した楽曲の数々です。今回使用された39曲のうち、2曲は何と未発表の秘蔵音源というのですから、ファンは卒倒寸前ですね。


 ジョンは何故アメリカ政府から危険視されたのか、この闘いから学ぶべきことは一体何なのかという根本的な問題が、サスペンスフルな展開によって明らかにされていく本作で、最終的に浮かび上がるのは心から平和を愛したジョンの魂。それは、ジョンがこの世を去った後も戦争や暴力が絶えず、差し迫った問題であり続けている今こそ、世界中に響き渡るべき不屈のメッセージなのです。

(C) 2006 Lions Gate Films Inc. All Rights
『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』

文・構成:シネマトゥデイ編集部

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