シネマトゥデイ

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言葉、歴史は、先人たちが見てきたものを詳しく説明したものをベースにしたものです。この映画を作った意味は、アメリカでは知られていないこの惨劇に光をともすことや、この事件への議論を活性化すること、戦争反対運動などに自発的に参加してもらいたいということでした ~この人に話を聞きたい~その21:南京大虐殺を描いたテッド・レオンシス監督に疑問をぶつける
時は1937年日中戦争、日本軍が中国の当時の首都南京を占領し、中国兵や一般市民を虐殺したあの南京大虐殺から、もう70年の月日がたった。被害者の遺族にとっては、時間だけがやみくもに過ぎていったのではないだろうか? そして今回、AOL(アメリカ・オンライン)元副会長のテッド・レオンシスが、女流作家アイリス・チャンの著書「レイプ・オブ・南京」と、当時南京に居た西洋人の日記や手紙をベースにした映画『南京』を製作し、いまだに疑問点の多いこの事件に着目している。今回はそのテッドに、疑問点を遠慮せずにぶつけてみた。
マイケル・ムーア
Q: クランクインする前に、2、3人のアソシエート・プロデュサーが、友人から受けた批判的な反応を理由に、この映画の参加をやめたらしいのですが、日本での撮影もそういった困難はあったのでしょうか?
 
(テッド・レオンシス)まず、生き残った日本兵を探し、撮影するロケーションの確保したのですが、このときに、インタビューの参加について、家族からの圧力を受けた人たちや職業上の理由で名前を映画と関連させたくないとインタビューを断念する方々が多く、そういったことが理由で、われわれだけで進めていかなければなりませんでした。正直言うと、インタビューをした人の中には、まったく南京大虐殺は起きていないという完全否定派の方や、犠牲者を過小評価している方々がいらっしゃいましたが、それらは、わたしたちが伝えたかったストーリーとは無関係だと判断しました。それは、この映画を観ると分かるのですが、実際に完全否定している人たちや過小評価をしている人たちの映像を使用すると、世界中が日本に対してかなり悪いイメージを抱くことになるからです。(実際、虐殺されている映像と対比した形で使われていたら反日映画になってしまう恐れがあった)。わたしは、今日の日本にその責任(南京大虐殺)があるわけではないと思っています。70年前に起きた戦時下での出来事なのです。お互い理解すべき隣国の関係にある中国と日本に対して、われわれはどちらか片方に情熱を注ぐことは避けねばなりませんでした。わたしは、この映画で戦争に対する非難と、個人が武器なしでも善行を行い、世界を変えることができるということを伝えたかったのです。
 
Q:映画内には、どれだけ作家アイリス・チャンの本質が含まれているのでしょうか?
 
(テッド・レオンシス)この本を読んだときには、映画化することができると思っていませんでした。わたしの雇った研究者たちは、この本は、しっかりとしたリサーチをすべきものだったと判断していて、そのためわたしは、自分の忍耐力と財力で38人の研究者を雇い、中国、日本だけでなく世界中から直接に資料を集めました。映画内には、われわれがこれまでずっと失われていた当時8から9歳、今は80歳代の中国人生存者と、当時20歳前後で今は80から90歳代の日本人兵士の声、セーフティ・ゾーン(安全地帯)で活動していた欧米人の手記や手紙があります。その欧米人の1人ミニー・ヴォートリンという女性は、1100通もの手紙(この手紙は、外部にこの悲惨な状況下を伝えようとして書かれたもの)を書いていて、空爆があったりすると、彼女は、何機もの戦闘機の音を聞いたと記し、外への出入りを繰り返しながら、一日に4から6回くらい手紙を書いたこともあるらしい。
Q:共同監督の1人ビル・グッテンターグは、ショート・フィルム『ツイン・タワーズ』で2002年にオスカーを取っていますが、もう1人の監督ダン・スターマンとともに、彼らをどういった経緯で雇ったのでしょうか?
 
(テッド・レオンシス)わたしは、これまで映画の製作をしたことがなく、これが最初の作品になります。まず、この映画は非常に重要な題材を扱っていますが、中国や日本の評論家たちの間では、研究がし尽くされてきたわけですから、誰か知的で率直な名匠を探す必要があり、多くの監督たちをインタビューしました。その際に、監督のビルがマイケル・ムーアのドキュメンタリーのような、個人の観点だけを持った映画にしたくないという、わたしの意図を非常によく理解してくれていたのです。その意図とは、実際に中国、日本に行ったり、欧米人の手記や日記にあったそれぞれの言葉で示すことでした。彼が編集で2000から3000シーンあった映像を建設的に集め、一貫性を持たせた構成にしてくれたおかげで、まるで叙事詩的な長編作品のようになりました。
 
Q:牧師ジョン・マギーが戦時下で、16ミリ・カメラを使用し当時の南京を撮った映像は、どのくらいこの映画にとって重要で、またその映像は、どれくらい使われたのでしょうか?
 
(テッド・レオンシス)撮られたフィルムは、彼の家族によって国会図書館に寄贈されていて、フィルムは約20分あり、わたしたちは鑑札を受け、観ることができました。しかし、その中でわたしたちが使った映像は約110秒です。最悪の場合、映像は使うことができませんでした。あまりに残酷で生々しかったからです。それでも映像を見せた理由には、この映像を理由にして語り合ってほしいと思ったからです。わずか10秒ですが、女性が打ち首になるシーンはあまりに恐怖が大きいのです。今日だったらCNNなどのジャーナリストがいるでしょうが、封鎖されていた壁を乗り越えて、外部にストーリーを伝えようとした人たちが当時はいなかった。(米国の記者たちも南京陥落後の取材記録があるだけ)。結局、その映像が外部に漏れて、言葉だけでは信じられないことを世間に知らしめることになったのです。
 
Q:800時間も撮影された中で、日本人兵士たちへのインタビューには、蒋介石の南京退却後、中国兵が一般市民に変装し、日本人を攻撃したことや日本赤十字社のことが話されていませんが、それは対話の中で不可避的なものだと思うのですが、意図的に編集されてしまったのですか?
 
(テッド・レオンシス)いいえ、されていません。わたしたちが日本人兵士にした質問は、「あなたが南京で従軍していたことを知っているのですが、その当時の経験を話して頂けますか」と特定した質問でした。それは当時あった出来事を引き合いに出して、覚えているか確認しながら行いました。その中で、最もわたしがつらかったのは、カメラに映し出された日本人兵士たちの中に、彼がしてきたこと(暴行)に対してまったく後悔していないように見えたことです。最近亡くなったわたしの父は、第二次世界大戦で戦闘機の射手として戦ってきたのですが、そんな父は、世間一般に、親切で内気な人と思われていました。だが、戦争の話になると「ああ、爆弾を落としたことがあるよ」と話し、それが戦時下でやらなければいけないことだったと感じていました。わたし自身は、こんな日本人兵を悪魔と思っているわけではなく、極限状態の戦時下での出来事だと感じていました。
Q:われわれ日本人にとっては、あの場にいた欧米人を、日本と中国と違った中立の立場でだと見ることは、難しいと感じられるのです。例えばニューヨークに居るわたしたちに、再びテロ攻撃が起これば当然アメリカ側に付くように、当時の南京に居た欧米人も複雑な思いだったのではないでしょうか。
 
(テッド・レオンシス)言葉、歴史は、先人たちが見てきたものを詳しく説明したものをベースにしたものです。今回掲げた目標が、アメリカでは知られていないこの惨劇に光をともすことやこの事件への議論を活性化すること、戦争反対運動などに自発的に参加してもらいたいということでした。わたしたちの映画が完成して以来、7作品(中国の観点や日本の観点も含め)が、この南京に関して製作されていて、ホロコーストを扱った何百作品と同じように、さらに掘り下げた作品が出てくれれば良いと思ってます。
 
Q:東京日日新聞(現・毎日新聞)に記載されていた向井敏明、野田毅両少尉の100人斬りの記事は映画でも使用されていますが、この記事は国民の団結を扇動させるためにねつ造されたものだとも言われています。あなたは、これをどう思いますか?
 
(テッド・レオンシス)それは誰かが、作家アイリス・チャンの本に使用されている写真がウソということで、その本のすべてが間違いだとする行為と同じではないでしょうか? 現在わたしには、日本人が危険な坂道を転がり落ちるように見え、その要因は、わたしがある人と会話したときの内容に要約されているので紹介します。それは「南京で2万人の女性がレイプされたらしい」「イヤ、それは誇張されているよ」「だったら、何人ぐらいだと思うのかい?」「恐らく、半分くらいだろう」「じゃ、1万人の女性がレイプされたわけだ。だけど少なければ、これは人として許される行為なのかい?」と話したことがあります。いずれにしろ、日本人は危険な坂道を無理に転がり落ちようとしていないでしょうか? ただ、わたしにとってこの映画は、決して反日映画として製作したわけではなく、理解を深めるためのものと解釈して欲しいです。


現在も犠牲者の遺族が日本に対して抱く不信点は、われわれがこれまでに取ってきた姿勢にあるのではないだろうか? それは、被害者の数、蒋介石の下で改ざんされた記事などを巡って事件の信ぴょう性を疑い、人としての肝心な謝罪を忘れ、戦争という狂気の中で起きた出来事として、そのすべてを過去の暗闇に葬り去ろうとしていることではないのだろうか。
細木プロフィール
海外での映画製作を決意をする。渡米し、フィルム・スクールに通った後、テレビ東京ニューヨ−ク支社の番組モーニング・サテライトでアシスタントして働く。しかし夢を追い続ける今は、ニューヨークに住み続け、批評家をしながら映画製作をする。
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