シネマトゥデイ

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こはたあつこのうわさの現場潜入ルポ
「鉄腕アトム」をアメリカに広めた男の巻

取材・写真・文:こはたあつこ(LA)

ロサンゼルスに引っ越してから早4年。こちらに住んでいると、本当にいろいろな映像関係者に遭遇する。そんな中、先日アカデミー賞で知られる映画芸術科学アカデミーが主催するアニメとマンガの展覧会「ANIME! High Art - Pop Culture」のレセプション・パーティーで、意外な人物に出会った。

約400枚の日本アニメのセル画が展示されているビバリーヒルズの会場。入り口にあった「鉄腕アトム」のセル画に見入っていると、突然、声をかけてくる人が。

「お嬢さん、『鉄腕アトム』はお好きですか?」

見上げると、白髪の老人がニコニコ笑っていた。フレッド・ラッドさん、81歳。実はこの人物こそが、1963年当時、「鉄腕アトム」の英語吹き替え版をアメリカで制作した張本人なのだ。

「鉄腕アトム」といえば、言うまでもない。手塚治虫氏が1952年に連載したマンガでもあり、1963年には白黒映像でテレビ放映されたアニメ番組だ。それより数話遅れて、同年にアメリカでも英語の吹き替え版が放映され、大人気となっていた。そのおかげで、アメリカでも30代、40代の人は英語版の「鉄腕アトム」を見て育ったという人が多い。ちなみに今年の10月23日にはアメリカで、ハリウッド映画版フルCGの「鉄腕アトム」が公開されることになっている。

そんな矢先のフレッドさんとの思いがけない出会いは、まるで天から降ってきた贈りものようだった。

アトムのテーマソングの隠れた秘密とは!?

白髪だけど、「若い者には負けない」と話すユーモアあふれるフレッドさん。丸いめがねをかけた風ぼうが、どことなく手塚氏に似ている。

「よく言われるんだがね。手塚氏とは、不思議とユーモアセンスも近かったよ」と語るフレッドさんが、アトムのテーマソングについて、面白いことを語ってくれた。

実は、かの有名なアトムのテーマソングの歌詞はアメリカ版が作られなかったら、存在しなかったというのだ。えっ? それはどういうこと?

「1963年に放映された日本語版『鉄腕アトム』の最初の5話には、歌詞はなく、楽曲だけだったんだ。でも、当時アメリカの子ども向けのテレビ番組には、必ず歌詞がつき、ボーカルが入っていた。だから、アトムのアメリカ版には、新たに歌詞を作る必要があった」と語る。そのため、「有名な作詞家であるドン・ロックウェル氏に、歌詞をつけてもらった」そうだ。

「最初の3話の英語版を終えたぐらいに手塚氏がアメリカに来たから、映写室でアメリカ版を見てもらったんだ。冒頭のテーマソングが流れて、歌詞が聞こえてきたときに、手塚氏は本当にびっくりしていたね。その後試写室から出てきて、突然、日本に国際電話をかけ始めたんだ。そして大声で、何やら話している。恐らく、『おい、このクレイジーなアメリカ人たちが面白いことをやってくれたぞ! 高井氏を呼んで、日本版にも歌詞をつけてもらおうじゃないか!』としゃべっていたんだろうね」

そう笑いながら話すフレッドさん。もちろん電話口の話の内容は彼の想像だが、その後、それまで歌詞がついていなかった日本版の「鉄腕アトム」にも、1963年の6話以降は、すべて日本語の歌詞がついたというから、電話口での会話の内容も的外れではないかも知れない。

アトムのゴッドファーザーとは?

しかし、そんな楽しいエピソードを体験したフレッドさんも、初めは手塚氏と会うことにあまり乗り気ではなかったそうだ。

「オリジナルを作ったアーティストは、たいてい英訳の吹き替え版に満足しないんだ。だから、手塚氏も同じだろうと。でも、会って本当に良かった。試写室から出てきた手塚氏は、満足そうに大きくほほ笑みながら英語ではっきりと、『Ladd, you are GOD FATHER of Astro Boy!”(ラッド、君は、アストロボーイのゴッドファーザーだ!)』と言ってくれた。わたしも思わず叫んだよ。「アリガトーゴザイマース。デモー、アナタハ「テツワンアトムー」ノファーザーダ!」とね。手塚氏の作品が、最高の名作だったからこそできたことだ。わたしのしたことはたいしたことじゃない」とうれしそうに当時を振り返った。

そんなフレッドさんは、アトムのほかにも、「鉄人28号」「ジャングル大帝」「科学忍者対ガッチャマン」など、数々の日本アニメの吹き替え版を手掛けている。また、「海底少年マリン」「マッハGo Go Go」「美少女戦士セーラームーン」では、コンサルタントも務めたそうだ。さすがに81歳になった今は「若い者に任せている」とのことだが、ニコニコしながら冗談を飛ばす姿は、まだまだ元気そうだ。

そんなフレッドさんに、吹き替え版を作るときに一番大切なことは何かと聞いてみた。

すると今度は真剣な表情になり、「オリジナルを作った作家が言わんとしていたコンセプトをよく理解すること」という答えが返ってきた。

実は、アトムの吹き替え版は、フレッドさんが手掛けた作品以外にも、ここ近年にほかのバージョンが製作されている。しかし、中には、「手塚氏が言わんとしていたメッセージが、薄れてしまったように見えるものもある」とフレッドさん。

「わたしが幸運だったのは、手塚氏とじかに交流することができたことだと思う。だから、『鉄腕アトム』で手塚氏のユーモアや、彼が伝えたいメッセージが理解しやすかったのでは」と語る。

生命を大切にした手塚氏

では、手塚氏が「鉄腕アトム」で描きたかったことは何なんだろう?

「アトムはロボットだったけど、ピノキオのように人間の気持ちを持っていたという点が重要だと思う。アトムは人間と同じように傷つきやすい面があり、人間になりたいというコンプレックスを持っていたんだ。手塚氏が生きていたら、そこをきちんと描くようにと指摘したのでは」と語る。

また、「手塚氏はわたしよりもずっと賢い人だった。わたしが到底できない、未来を予想する力があった。彼には遠い未来に、人間が人間の仕事を奪ってしまうロボットを疎ましく思う時代がやって来るということが見えたんだ。手塚氏はそういう時代が来たら人間とロボットが共存するために、規則が必要になると考えていた。ロボットは人間に背いてはいけないと。でも、ロボットを支配する人間の方も、ロボットに対して責任を持たなければならないということだ」とも語る。

生命に対する愛が手塚氏の重要なテーマだったことについては、「手塚氏は生命を愛していた。彼は「生きているものが大好きだった。だから『生命が宿っているものすべてに優しく接してほしい』と常に話していた。それが彼の作品にも表れていると思う」と語った。

81歳のアメリカ人男性が、手塚氏についてここまで理解してくれていることが非常にうれしかった。

~あとがき~

フレッドさんは初めて手塚氏と会った1963年以来、20年以上も手塚氏と、日本とアメリカで友好を深めていったという。そして、1980年代後半、サンディエゴのコミックコンベンションに参加した手塚氏と会ったのが最後となったそうだ。

ジョークを飛ばしながらニコニコと語るフレッドさんの姿は元気そのものだったが、年齢は手塚氏より1歳年上の81歳だ。ちなみに話の途中で床に落ちたオードブルを拾おうとして、しんどそうにあきらめた姿にキュンときた。

そんなフレッドさんには、いつまでも元気でいて、今後も「鉄腕アトム」や手塚氏のことを多くのアメリカ人に語り続けてもらいたい。

「鉄腕アトム」のセル画。
アカデミーが主催するアニメ&マンガの展示会場入り口。
手塚治虫氏と米NBCテレビ局の社員、他日本人2名。手塚氏は一番右に横顔で写っている。1960年代の貴重な写真。
写真提供:手塚プロダクション。
アカデミーが主催するアニメとマンガの展覧会場の様子。
「火の鳥」のセル画。わたしの大好きな手塚治虫の作品だ。
「鉄人28号」のセル画。横山光輝原作マンガのアニメのセル画。
「ジャングル大帝」。アメリカでのタイトルはKimba the White Lionで、レオはキンバという名前になった。ラッドさんの案とテレビ局の重役とで一緒に考えた。
フレッドさん。「ジャングル大帝」のレオのセル画の前で。
「鉄腕アトム」がモノクロ放映されていたころのセル画。
「鉄腕アトム」のセル画。
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