シネマトゥデイ

西島秀俊&常盤貴子
『CUT』
カットがかかっても止まらない撮影現場にドギマギ
映画『CUT』西島秀俊&常盤貴子 単独インタビュー

取材・文:中西愛子 写真:吉岡希鼓斗

イラン出身、米国在住の鬼才アミール・ナデリが、日本を舞台に映画愛をさく裂させ、映画の本質を真正面から問いかける衝撃作『CUT』。売れない映画監督・秀二が、借金返済のために、死んだ兄のいたヤクザ事務所で、そこで働く女・陽子らの協力を得て“殴られ屋”を始める。すさまじいテンションで、渾身(こんしん)の演技を見せる西島秀俊と、静かに見守ることに徹し存在感を隠して、新境地を開いた常盤貴子。ナデリ監督が指揮する過酷な現場の中、大きな挑戦に踏み込んだ二人に話を聞いた。

■罪を背負った男と、救う女

Q:映画を守るため、無謀な戦いに挑む秀二と、彼をつつましく献身的に支える陽子。対照的なキャラクターにも見えますが、お二人が演じた役柄についてお聞かせください。

西島秀俊(以下、西島):秀二はインディペンデントのアート映画に人生をささげている映画監督です。ただ、現在、純粋にこうした映画に向かえば向かうほど、その人の人生は困難になる。まさに身をもって、そういう人生を歩んでいる男です。

常盤貴子(以下、常盤):陽子は、ヤクザの事務所で暮らしていたし、あの中の男たちしか知らないから、最初は、人を見たら疑ってかかるくらいの人だと思うんです。そこへ丸腰で、あえてその中に入っていく秀二と出会う。そんな彼のエネルギーはどこから来ているのか。秀二という人間への興味と、人としての目覚めが、彼女の中でどんどん開花していくんです。

西島:秀二を演じる上で、「キリストみたいな体になって、その状態をキープしてくれ」と監督に言われていました。僕は、秀二は殉教者、罪を背負うことになってしまった男の役だと思っていて、陽子は聖母というか。秀二はどんなに半狂乱になっても、彼女に抱かれることで、救われたり、落ちつきを取り戻したりする。陽子が秀二を支えるわけですよね。

常盤:わたしは西島さんのファイト・シーンの邪魔にならないよう、身をひそめる思いでした。ぼうぜんとすることも多々あって、「秀二は一体何のために殴られ続けるのか? 彼のために何か自分にできることはないのか?」という思いになるのは、わたしも陽子と一緒でしたね。

■過酷な撮影現場でトランス状態に!?

Q:秀二が殴られるトイレのシーンは、とても迫力がありますね。異様なテンションの中で撮影されたそうですが、現場はどんなふうだったのですか。

西島:トイレの撮影現場は、とんでもない状態でした。汗まみれの男たちが30人くらいひたすら(秀二を)殴り続けていて、カットがかかっても止まらないので、助監督が割って入るという。

常盤:ある種、トランス状態になっていましたよね。撮影現場は八王子だったんですけど、すごく辺ぴな場所だったんですよ。初めは、よりによってなんでこんな坂の上の、田んぼに囲まれた倉庫を選んだんだろうと戸惑ったぐらいで。しかも、その年の夏はとても暑くて、冷房もない(笑)! 今、考えると、そんな「ないもの尽くし」の状態だったからこそ、あのトランス状態を作れたんだと思います。

西島:そんな状況の中に、常盤さんは女性一人でいたわけで。間違いなく、普通だったら女優さんは怒って帰ると思います。

常盤:あのシーンを間近で見られたのは、女優としてラッキーだったと思っていますよ。

Q:今回共演してみての、お互いの印象を教えてください。

西島:もともと常盤貴子さんという人が持つ、イメージや大きさがありますよね。今回はそこから離れて、監督から「(陽子は)ドブネズミのような役」なんて言われても、髪の毛を切ったりと積極的に乗って取り組まれていた。混乱した男たちを仕切っていくというトイレのシーンにしても、役と同様に冷静さをキープしていたのはすごいなと思って見ていました。

常盤:今回、西島さんの姿を見ながら、「そのエネルギー、すごい! その魂、すごい!」と興奮していました。そうそう見られるものじゃない、ありがたいものを見せてもらった感じです(笑)。臓器が透けて見えるんじゃないかというくらい、日に日に細くなられていましたよね。その状況は、命の危険を感じるほどだったので、100メートルくらい離れたところから、大丈夫かな、といつも気にしていました。

■アミール・ナデリが教えてくれたこと

Q:2005年の東京フィルメックスで、西島さんがアミール・ナデリ監督と出会ったことからこの映画の企画が生まれたそうですが、今回、監督から受けた演出や言葉で、特に印象に残ったものは何ですか。

西島:「この場には、かつての偉大な映画監督たちのスピリットがあって、それがおまえをバックアップしているのを感じているか? 感じるまで、オレはカメラを回さない」とか、「おまえの両肩には、“映画の罪”がのしかかっている」とか、普通なら荒唐無稽(むけい)に聞こえることも、監督が言うと自然に感じられるんです。たぶん、本人が信じているんだと思うんですよね。だから、僕も本当に彼の言葉を信じた。それはすごい体験で、今でもすごく印象に残っています。

常盤:わたしは、何よりも、秀二が(黒澤明監督のお墓の前で)言った「監督だったら、どうしますか」という問い掛けが本当に好きなんです。わたしも最近、やるようになったほど(笑)。亡くなってしまった尊敬する方に、そう問い掛けてみると、自分の道筋が見えてきて、信念がブレずに済むというか。

Q:監督との出会いによって、得たことは?

西島:この作品に出る前と後では、自分の中で決定的に何かが変わっているだろうな、という深い体験ができました。

常盤:現場の熱い状態を作れたのも、監督の日々のエキサイトぶりのたまものだったと思います。西島さんの情熱的な役づくり、それをあおる監督がいて、というのを目の当たりにしたことで、いつかわたしもあそこに行ってみたい、というぜいたくな悩みを抱えてしまいました。監督との出会いによって、また新たな目標ができました。

■映画に対して改めて抱いたそれぞれの思い

Q:秀二が叫ぶ、映画業界に対する言葉は辛らつです。本作に出演して、映画について改めて考えたことはありますか。

西島:秀二が批判している、シネコンにかかっているような商業主義の映画や、テレビドラマに僕は出演しているわけで、その矛先は当然僕自身にも向かっています。ただ、個人的には、自分の主戦場はインディペンデントのアート映画だと思っていますし、なおかつ今、そうした映画の状況は決して良くないと思っているので、今回、そういった問題提起を、よりはっきりと自分自身に突き付けた面もあります。より純粋に、映画というものに向かっていって、インディペンデントの映画のために、自分ができることはすべてやっていこうと強く思いました。

常盤:わたしはどちらかというとテレビドラマで育ってきた人間ですが、そんなわたしが今回、こういう作家性の強い作品に出ることによって、普段こういう映画を観ない人にも興味を持ってもらえるといいな、という思いもあったんです。この映画は、物作りをする人間にとって忘れたくない核の部分に踏み込んでいますよね。テレビドラマが悪い、メジャー映画が悪いとかいうことではなく、自分が信念として掲げるものは何か、生きていく上での核となるものを探ることができる映画だと思うんです。わたしにとっての核は、楽しいか楽しくないか、やりたいかやりたくないかだけ。多くの人がメジャー映画、インディペンデント映画というくくりにとらわれず『CUT』を観てくださるとうれしいですね。

『CUT』という映画には、不思議な浄化作用がある。さまざまな理由が挙げられようが、その一つは、強さや純粋さや聡明さに恵まれた出演者自身の資質のせいではないか。長いキャリアを持つ二人が、どこか初々しい情熱をほとばしらせながら、厳しくも手応えのある物作りの喜びを語る姿に触れて、そんなふうに感じずにはいられなかった。コアな映画ファンとしても知られる西島、昔の日本映画を観るのが大好きという常盤。歴史を彩る映画たちを財産として愛する二人の思いが、この映画の熱をより一層盛り上げているはずだ。

(C) CUT LLC 2011

映画『CUT』は2011年12月17日公開

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