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オダギリジョー&中谷美紀
『FOUJITA』
芝居の上手さや技術は完全に意味をなさなくなる
『FOUJITA』オダギリジョー&中谷美紀 単独インタビュー

取材・文:須永貴子 写真:尾鷲陽介

単身フランスに飛び、“乳白色の肌”と称された裸婦像が絶賛され大成功を収めた日本人画家・フジタ(藤田嗣治)。1920年代のパリと1940年代の戦中日本という二つの時代を通してフジタを描くのは、これが『埋もれ木』以来10年ぶりの監督作となる小栗康平だ。フランス語の猛特訓を受けてフジタ役に挑んだオダギリジョーと、フジタの5人目の妻・君代を演じた中谷美紀。同級生の二人が寡作の巨匠・小栗康平の世界について語り合う。

■同級生の二人がついに初の直接共演

Q:共演が決まってどう思われましたか?

オダギリジョー(以下、オダギリ):中谷さんのことは同い年の俳優として、昔から大変意識していました。自分よりもだいぶ早くデビューされたのでずっと見てきましたし、素晴らしいお仕事をされているなあと思っていました。これまでなぜか一度も共演する機会がなかったので、中谷さんが君代を演じると聞いたときは嬉しかったです。「ようやく一緒にお仕事ができるんだ」と、とても楽しみでした。

中谷美紀(以下、中谷):オダギリさんがフジタだと伺って、まさにぴったりだと思ってはいたのですが、現場で拝見したときはあまりに似ていて本当に驚きました。眼鏡をかけると瓜二つなんです。普段のお顔を見ても、なんとなく輪郭などが似ていらっしゃいますよね。

オダギリ:そうですね。わりと似ましたね。

Q:オダギリさんは、中谷さんとお芝居をされてどう思われましたか?

オダギリ:小栗監督の世界は独特で、突き詰めると「芝居をどれだけ抑えるか」という域に行き着くので、芝居の上手さや技術は完全に意味をなさなくなるんです。中谷さんと僕のコアにあるものがどう共鳴するかというやり取りになってくるので、とてもドキドキしました。ある時中谷さんが「セリフは音楽のように捉えている」とおっしゃっていて、「面白いな」と思いました。確かに日常会話にもリズムやテンポがあるし、心地よい会話はまるで音楽ですよね。

中谷:でも、そのやり方は監督はお気に召しませんでした。監督は感情を込めたり、抑揚をつけたりしてセリフを言う芝居がお嫌いなんです。

オダギリ:僕らは台本を読んで、そのシーンの意図や目的を観客に伝えようとするじゃないですか。それが俳優の役割だと思いがちですよね。でも監督は、俳優の芝居やセリフのニュアンスで、意味を限定してしまうことを避けたいんだそうです。わかりやすく芝居で伝えるのではなく、観る人それぞれにセリフの奥の部分を受け取ってほしいから、わかりやすい感情を入れないでほしいと言うんです。考え方としてとてもユニークですよね。

中谷:その要求にお応えするのが難しかったです。

オダギリ:ずっとニュートラルでいなければならない感覚でしたよね。

中谷:イチから出直します。

■観る側が試される作品

中谷:オダギリさんが楽に画面の中に立っていらっしゃることに驚きました。どうしたらそのように力を入れずに立てるのか、秘訣をお伺いしたいです。

オダギリ:監督に言われるままにやっていただけです(笑)。

中谷:抵抗しないのですね。それは自信がないとできないことだと思います。

オダギリ:いやいや(笑)、クランクインする前は、互いに個性が強いから、いつか絶対に監督とぶつかるだろうと思っていたんです。それが、監督の話はすごく面白いし、正しいことをおっしゃるから、言っていることを理解すればするほど、「この人に身を預けてみよう」という気持ちになってしまいまして。監督の言う通りにやったら自分の想像を超えた世界がそこにありました。

中谷:「ゆっくりセリフを話して」という要求は難しくなかったですか?

オダギリ:あえて隙間を作るというか……この小栗スタイルは他の現場では一切使えないですよね。

中谷:この心地よさを他の現場に持っていくと、おそらく「棒読み」と言われてしまう。

オダギリ:たしかに(笑)!

中谷:監督も「棒読みするつもりでセリフを言ってください」とおっしゃいました。

オダギリ:でも、作品を観ると、決して棒読みに聞こえないから不思議ですよね。

中谷:むしろ、饒舌じゃないからこそ余白に込めたものが伝わってきました。

オダギリ:観る側がすくい上げようとするのでしょう。

中谷:観る側を試しているということですね。

オダギリ:まさに試される作品だと思います。

■オダギリが4か月かけて猛特訓したフランス語での演技を中谷が絶賛

Q:オダギリさん、フランスの撮影現場ではどんな心境でしたか?

オダギリ:振り返るととても充実していたし、もちろん達成感もありますが、撮影の最中はそんなことを感じる余裕すらありませんでした(苦笑)。フランス語の勉強は4か月くらいみっちりやらされましたし、現場でも発音一つ一つを厳しくチェックされながらの芝居で、「なんでこんな大変な仕事受けちゃったのかな」という気持ちもあったと思います(笑)。でもフランス側のスタッフも素晴らしかったし、周りの方にすがりながら、どうにかこうにか立たせてもらっていた気がします。

中谷:オダギリさんのフランス語は素晴らしかったです。フランス語の教材として聞くために、そこだけを抽出して持ち歩こうかと思うくらい。

オダギリ:よく言いますよ(笑)。僕、中谷さんとクローディー(クローディー・オサール。『アメリ』などを手がけた本作のフランス人プロデューサー)とのフランス語での会話、まったく聞き取れていませんから。

中谷:え? 本当ですか? それであんな風に、まるで30年くらいフランス語で生活している方のようなお芝居をされたのだったら、逆にすごいことだと思います。

■『FOUJITA』を通してフジタと小栗康平を知る

Q:中谷さん、フジタのパリ時代で印象的なシーンはありますか?

中谷:パーティー(フジタが主催した“フジタナイト”)で大騒ぎしているシーンがとても哀しく見えました。その後の「スキャンダラスになればなるほど自分に近づく」というフジタのセリフも、必死で自分を世間に知らしめようともがいている感じがあり、虚しく聞こえました。だからこそオダギリさんのフジタがセクシーでした。

オダギリ:いやいや(照笑)。あのシーンはいろいろな要素が詰め込まれていて物理的に大変だったんですけど、一番大変だったカットが使われていないんです。小栗監督は1カットごとにこだわった画作りをされるのに、意外とカットされたシーンも多いですよね。僕ら二人のシーンもかなり重要だと思っていた部分が切られていたりするから驚きました。

中谷:物語に頼っていないのでしょうね。

オダギリ:そうですね。

中谷:小栗監督の作品は、映像が絵画のように美しいですから。それはフジタ的というよりも、レンブラントのエッチング(銅版画)のように、光より影を主役にしたような作品です。だからこそ、フジタの希望が鮮明に見える。美しい絵画の連続の中に、オダギリさんが美しい主人公としていらっしゃる。全ての日本の方にご覧いただいて、こんなにすてきな画家がいたことを誇りに思っていただければと思います。

オダギリ:僕はフジタというよりも、小栗康平という監督に興味を持ってもらいたいと思っています。さっきも会話に出ましたが、観る側に受け取り方を任せるタイプの監督です。わかりやすくて伝わりやすい映画が今の日本映画の市場を占めている中、5人で観に行ったら5通りの観方ができる映画をつくる哲学が珍しい。こういう映画体験はなかなかできなくなっているので、ぜひ映画館で観てもらうべき作品だと思います。

小栗康平の世界に挑んだ二人の会話からは、俳優として尊敬し合っていることが伝わってきた。写真撮影中は「厄年」トークに花を咲かせ、中谷がオダギリに友人の実家の神社情報を教えるなど、会話が途切れることはなかった。そんな彼らが演じたフジタと君代の夫婦の姿も見どころだ。また、オダギリが「映画館で」と言うように、この作品の濃く、深く、繊細な“黒”の表現はスクリーンでないと体験できないだろう。

映画『FOUJITA』は11月14日より全国公開

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