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なぜ逝去から16年の間、アイルトン・セナの映画が一切作られなかったのか(1/2)

なぜ逝去から16年の間、アイルトン・セナの映画が一切作られなかったのか
映画『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』 - (C) 2010 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.

 1994年にレース中の事故で他界したF1ドライバー、アイルトン・セナの実像に迫るドキュメンタリー『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』はセナが亡くなってから16年を経て初めて作られたセナの生きざまを描いた映画だ。ドラマチックな人生を歩んだ彼の話がなぜ今まで映画化されることがなかったのか。本作のプロデューサーであり脚本家のマニシュ・パンディがその答えを教えてくれた。

 セナが亡くなってから16年、彼の話が今まで映画化されなかったのは、遺族がそのあまりの責任の重さから映画化を簡単に承諾することができなかったからだという。もちろんさまざまな映画化の話は持ち込まれたが、アントニオ・バンデラスがセナを演じるという企画以外は直感で断ってきたという。結局バンデラスのセナも実現せずじまいだった。

 そんな中パンディが映画化の許可を取り付けたのは彼が真のF1ファンだったことが大きかったという。「アイルトンのレースはすべて見ていた。私は彼とともに成長し、彼を模範としていつも尊敬してきた」と言う彼のそのうそ偽りのない言葉がセナ家で行われたプレゼンテーションで、セナ家の人たちの心を動かすことになったようだ。

 パンディが行ったプレゼンテーションの内容は、まさにセナ賛歌でもあった。「アイルトンが何を考えていたのか、また、サーキット上だけでなく、彼自身とF1の世界に対してどんな葛藤(かっとう)を抱えていたのかを話そうとしたんだ。プレゼンテーションが進むにつれ、部屋にいた大勢が泣いていた。でも、わたしにとって一番重要だったのは最後の結びの部分だった。彼はとてもスピリチュアルなドライバーだったということなんだ」と彼自身の思いを素直にぶつけたという。今は亡き本田宗一郎氏もセナをサムライにたとえていたが、彼にはそれがよくわかるという。「サムライの刀はアイルトンにとってのレーシングカーだったんだ」と日本人にも理解しやすい言葉で説明した。

 またパンディはセナの最大のライバルと言われていたアラン・プロストとも映画を製作するにあたってセナについての話をしていることを明かし、「アランは素晴らしかった。この映画の製作にかかわりたくないと思っても不思議じゃないし、議論を避けることもできたのに、彼は本当に温かくて、寛大で、洞察力にあふれていた。アイルトンとアランは、サーキットの中でも外でも激しいライバル関係にあったから、二人の仲は非常に難しい状態にあった。でも、1993年にアランが引退してからは、二人がお互いを深く尊敬していたのは明らかだよ。もしアイルトンがまだ生きていたら、彼らは友達になったんじゃないかな」とプロストの人柄を褒めたたえた。そしてプロストの自宅の書斎にある暖炉の上には、額に入っていないセナの小さな写真が飾ってあることも明かした。


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