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いしだ壱成「芸能界と原発のタブー」を思い切って告白 フェミ男時代のデビューシングルは反原発ソングだった

いしだ壱成「芸能界と原発のタブー」を思い切って告白 フェミ男時代のデビューシングルは反原発ソングだった
「いやなことにはいやと、堂々と言っていく」いしだ壱成

 俳優・ミュージシャンとして活躍するかたわら、脱原発運動に積極的に参加しているアーティストのいしだ壱成が、デビュー当時に知った「芸能界と原発のタブー」を語った。

 3月11日に発生した東日本大震災、津波と地震、二つの災害に加え、福島県では福島第一原発が爆発。俳優の山本太郎をはじめ、芸能界でも脱原発の声が高まっているなか、いしだは、かつて自分が向き合った、芸能界特有の“反原発への圧力”を思い出していたという。「実は、自分のデビュー曲だった“WARNING”は反原発を訴えた曲だったんです」。1994年歌手デビューしたいしだは、デビューの話を受けたとき、もともとバンドをやっており「どうしても自分で曲を作りたい」と懇願した。「43個のend of the day」「心を溶かす黒い雨」と原発への想いをこめて歌詞を書いたデビューシングルは、「当時、原発に関心のある人はあまり多くなかったので……」といういしだの言葉通り、レコード会社も発売まで、歌詞の内容が原発に関することだとは誰もわかっていなかったという。こうして「WARNING」は無事に発売され、宣伝のための最初のインタビューで事件が起きた。「この作品のテーマは? とライターさんに聞かれて、『原発について書きました』って言った瞬間にものすごく変な空気になった。その場でテープを止められて、ちょっと書けないので、違うテーマってことにしてもらえませんか? って言われて……。すごくショックでした」といしだは振り返る。当時、いしだは19歳。武田真治とともに“フェミ男”旋風を巻き起こしたアイドル的存在だった彼の発言に、周囲は騒然とした。「原発反対って言うと圧力がかかる……」いしだは公の場で反原発の声を上げることはやめたという。

 だが、それから15年以上経った2011年3月4日、いしだは改めて脱原発への声を上げる決意をした。「今年2月、祝島のおじいちゃん、おばあちゃん、そして若者たちが反対運動をしている上関原発建設予定地に、夜中、建設のために入った300人ほどの建設作業員がみ合いになったという奇襲工事のニュースにとても胸が痛くなりました。そのあと、僕がブログに書いたあの日、僕は三軒茶屋のOHANAカフェというオーガニックカフェで行われた上関イベントで、祝島で反対運動を行っている“虹のカヤック隊”のらん☆ぼうくんがスライドショーを見ました。そこで岩上安身さんにも出会って、いろんなことを聞かせていただいて、自分の無知さを恥じました」といういしだは、家に帰って自分が今できることを真剣に考えたという。「まずは、いやだってことを書くことかなと思って、ブログを書くことにしました」。幼いころに母とともに四国の伊方原発での出力挑戦実験反対デモに参加した思い出、四国電力前で起きた機動隊との激しい衝突、当時11歳だったいしだに向けられた容赦ない暴力、生々しいほどの文章が、ふだんは穏やかなブログにつづられた。

 東日本大震災が発生し、福島県第一原発での事故が起きたのは、それからわずか1週間後の出来事だった。いま、いしだは代々木公園で行われた脱原発イベント、アトミックカフェ・イン・ザ・パークをはじめ、さまざまな脱原発イベントに積極的に参加している。「自分がどうとか、そういうことを言っている場合じゃない、という気持ちが自分にはあります。チェルノブイリ原発事故が起きたとき、僕は本当に怖かった。自分の気持ちに正直に、いやなことにはいやと堂々と言っていくつもりです」と話したいしだの表情からは固い決意が感じられた。(編集部:森田真帆)


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