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『ハリー・ポッター』スネイプ先生役のアラン・リックマンはどんな人だった?

スネイプ先生を演じた故アラン・リックマンさん。
スネイプ先生を演じた故アラン・リックマンさん。 - Photofest / Warner Bros. Pictures / ゲッティ イメージズ

 26日、日本テレビ系「金曜ロードショー」(よる9時~)で映画『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』が放送される。同作を含む『ハリー・ポッター』シリーズでスネイプ先生ことセブルス・スネイプを演じた英国俳優アラン・リックマンさんは、2016年1月14日に膵臓がんのため69歳で死去したが、今も彼が演じたさまざまな役柄の魅力は色褪せない。アラン・リックマンはどんな俳優だったのか、その経歴を振り返る。

【画像5点】若かりし日のアラン・リックマン

 アランは、1946年2月21日、英ロンドン生まれ。意外なことに最初から俳優だったわけではなく、チェルシー・カレッジ・オブ・アート・アンド・デザインでグラフィック・デザインを学び、卒業後は友人たちとデザイン会社グラフィティ(Graphiti)を設立してビジネス的にも成功していた。だが、その間もずっと舞台演劇に魅了されていて、ついに行動を起こしたのが26歳の時。演技学校の名門、王立演劇アカデミー(RADA)のオーディションを受けて、奨学生に。そこから彼の俳優人生が始まった。

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 RADA卒業後は、演劇舞台やテレビで活動するが、彼を世界的に有名にしたのが、1988年の映画『ダイ・ハード』。なんとこれがアランの映画初出演作だった。この映画で彼が演じた知的な悪役ハンス・グルーバーは批評家たちの絶賛を浴び、アランは一躍人気スターになる。

 しかし、彼はこの映画の前から、彼が愛する舞台演劇の世界で評価されていた。1985年のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの舞台、ラクロの名作小説をクリストファー・ハンプトンが戯曲化した「危険な関係」が大ヒット、1987年にはブロードウェイで上演されてこちらも大好評。リックマンはこの舞台でプレイボーイのヴァルモン子爵を演じ、トニー賞にノミネートされていたのだ。彼は、映画より前に彼を魅了した舞台演劇に力を注ぎ、その分野で手応えを得ていた。『ダイ・ハード』で人気スターになった後も、ずっと舞台に出演して演劇への情熱を貫いている。

 『ダイ・ハード』以後は、映画界でも大活躍。『ロビン・フッド』(2001)のノッティンガムの代官役は悪役だが、それだけでなく多様な役柄を熱演。『いつか晴れた日に』(1995)では英国紳士ブランドン大佐役、『マイケル・コリンズ』(1996)ではアイルランド独立運動家エイモン役、『ラブ・アクチュアリー』(2003)では浮気夫ハリー役などをさまざまな役を演じた。それと並行して、SFコメディ映画にも出演。『ギャラクシー・クエスト』(1999)の役柄に不満な俳優役や、『銀河ヒッチハイクガイド』(2005)の鬱病のロボットの声などでコミカルな役にも芸達者ぶりを発揮している。

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 さらに、1997年には映画監督業にも進出。母と娘の複雑な関係を描くエマ・トンプソン主演の『ウィンター・ゲスト』で監督デビュー。2015年には、ルイ14世時代の女性庭師をケイト・ウィンスレットが演じる第2作『ヴェルサイユの宮廷庭師』を監督。どちらの映画でも、俳優たちの繊細な演技を丁寧に画面に捉えている。

 そんな演技派の彼だが、受賞歴を見ると、アカデミー賞ではなぜか無冠。英国アカデミー賞では1992年に『ロビン・フッド』で助演男優賞受賞。同賞には『いつか晴れた日に』『マイケル・コリンズ』でもノミネート。主演男優賞には『愛しい人が眠るまで』(1991)でノミネートしている。演劇畑では、トニー賞では、先述の『危険な関係』(1987)に続いて、ノエル・カワード戯曲のリバイバル上演『私生活』(2002)でもノミネート。さらに『私生活』のロンドン公演は2002年のローレンス・オリヴィエ・シアター・アワードにノミネートされている。受賞歴からも、映画と舞台の双方で活躍していたことが見えてくる。

 2001年の『ハリー・ポッター』シリーズ第1作から、2011年の最終作までの、スネイプ先生役での活躍はご存じの通り。その途中で、彼がこの役を続けるべきか悩んだことは、死後に発表された彼の日記から判明している。彼はシリーズ第5作『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』の撮影前、2006年に前立腺がんの摘出手術を受けており、そのため降板するべきか悩んだが、彼は日記に「ついに第5作への出演を承諾した。気持ちは、アップでもダウンでもない。自分の内部で議論し合う声の中で、最後に勝ったのは“見届けろ。これはお前の物語だ”という声だ」と書いている。

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 この決意が、スネイプ先生をより魅力的な人物にしたのに違いない。彼の死後、オークションに出された彼が持っていた手紙の中に原作者J・K・ローリングから彼に宛てた手紙があり、その中で彼女は「あなたが『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』のプログラムに書いた文章を読んで、ラインを送らずにはいられませんでした。涙が出ました。私のもっとも複雑なキャラクターを正確に演じてくれてありがとう」と書いている。

アラン・リックマン
アラン・リックマンと奥様のリマ・ホートン。Mark Sullivan / WireImage / Getty Images

 こうしてスネイプ先生を演じきった後、アランは2015年8月に膵臓がんと診断され、2016年1月14日に死去したが、死亡するまで彼ががんであることは公表されなかった。私生活では、同じ学校の生徒として出会ったリマ・ホートンとずっと一緒に生活し、2012年に正式に結婚、最後まで連れ添っている。ホートンはエンターテインメント業界とは無縁で、労働党評議員を務めた後、キングストン大学で経済学の講師をしていた。学生時代の恋人と最後まで添い遂げたという誠実さも、アランの人柄を偲ばせる。

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 アランの死の6年後、2022年10月に彼の日記をまとめた本「マッドリー、ディープリー:アラン・リックマンの日記(原題)/ Madly, Deeply: The Diaries of Alan Rickman」が刊行されたのも、没後も愛されている俳優だということの証明だろう。その2008年11月27日分には「CBEを辞退する手紙には、感謝しますが結構ですということを、礼儀正しく書くこと」と書かれており、彼が大英帝国勲章CBEを辞退していたことも判明した。

 日記には『ハリー・ポッター』の撮影現場についての記載もあり、この本を読んだハリー役のダニエル・ラドクリフは英Independentの取材で「アランが書いた『この子供たちはセリフを覚える必要がある。今は悪夢のような状況のまっただ中だ』といった文章を読むと、とても愛おしくて、ノスタルジックな気持ちになる」と語っている。アランの死後も、彼の名演技は世代を超えて影響を与えていくに違いない。(平沢薫)

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