シネマトゥデイ

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今週のクローズアップ 心のバランス、どうやって取るの? 悩める主人公たちを描いた映画を紹介

 ストレス社会といわれる現代、心のバランスを崩してしまう危険性は誰にでも潜んでいます。映画でも、そうした世相を反映した作品が数多く作られています。同名コミックエッセイを映画化した『ツレがうつになりまして。』なんて、そのままズバリなタイトルの映画が公開されたのも記憶に新しいのではないでしょうか。

 今回は、そんな心のバランスを崩してしまった人々の姿を描いた作品を特集します。

<アメリカン・ニューシネマ>の主人公たち

 1960年代後半から製作された、いわゆる<アメリカン・ニューシネマ>と呼ばれる作品群の中には、心のバランスを崩した人々が主人公の映画が多くありました。名作として名高い『卒業』『タクシードライバー』はまさにその好例ですし、精神異常を装った主人公が精神病院に送られる『カッコーの巣の上で』もそのバリエーションの一つに数えられます。

 これらの作品にあるのは、泥沼化するベトナム戦争や人種差別がはびこる現実……暗く重苦しかった当時の時代背景です。『タクシードライバー』を例に挙げますと、ロバート・デ・ニーロ演じる主人公はベトナム帰りの青年として描かれ、決して明言はされませんが、その後遺症に苦しんでいる様子が言動の端々からうかがえます。映画の主人公たちは、いってみればアメリカの病巣を象徴する人物として描かれていたのです。

 そのため、物語の最後に待ち受けているのは多くの場合、アメリカという国が向かいつつある暗い未来を予見させるもの、主人公の死、もしくはそれに準ずる絶望的な状況であり、ハッピーエンドはまず期待できませんでした。これは一見ハッピーエンドに思える『卒業』にも当てはまることであり、同作の結末が実は若い二人の苦しい将来を予見させるものであるという解釈は映画ファンならばよく知るところでしょう。

 

『カッコーの巣の上で』より
Kobal/UNITED ARTISTS/FANTASY FILMS/The Kobal Collection/WireImage.com

『タクシードライバー』よりベトナム帰還兵の主人公を演じたロバート・デ・ニーロ。若い!
Columbia Pictures/Photofest/MediaVast Japan

20世紀末の主人公たち

 今に至るまで、同様の“救われない物語”が多く製作されていますが、アメリカン・ニューシネマと称される作品と現代の作品の大きな違いは、主人公の描かれ方でしょう。アメリカン・ニューシネマでの主人公たちは、社会が病んでいるが故に心のバランスを崩してしまった、ある意味でピュアな存在でもありました。彼らは病んでしまった社会の象徴であると同時に、病んでしまった社会になじめないという意味で、極めて真っ当な人間だったのです。

 ですが現代になると、かつては機能したはずの正常:異常という二項対立は意味をなさなくなります。例えば、アカデミー賞作品賞を含む5部門で受賞した『アメリカン・ビューティー』(1999)は一見、平凡なアメリカ家庭の崩壊劇をシニカルに描いた作品ですが、物語が進むうちに、実は主人公の家庭は最初から壊れていたのだということが明らかになります。描かれるのは「壊れていく過程」ではなく、「壊れてしまった、その先」なのです。ここにはアメリカン・ニューシネマが体現したような、ピュアであるが故に壊れてしまった主人公などいません。いるのは、病んでいるにもかかわらず、社会自体も病んでいるために、病んでいるという自覚のない(そして、取り返しのつかない状況に陥ってしまう)ごく普通の人々です。

 そうした、現代的といってもいい人間の在り方を“少女たち”という枠組みを借りつつ描いた映画『17歳のカルテ』『ヴァージン・スーサイズ』が、『アメリカン・ビューティー』と同じ1999年に発表されたというのは象徴的な出来事でしょう。これらの作品では表向き、主人公の少女たちの奇行の理由を「思春期だから」というふうにまとめていますが、前者では同年代の似た境遇にある少女しかいない病棟、後者ではアメリカ・ミシガン州の閉鎖的な町といったように舞台を限定することで、個人と社会の関係の縮図を描いているのです。このように、アメリカン・ニューシネマでは社会は「アメリカ」という国の現状を反映したものとして描かれていましたが、これら20世紀末の作品では限定された空間が「アメリカ」に限らない、社会全体の縮図として描かれているのも大きな特徴でしょう。

 ここでは、アンジェリーナ・ジョリーの出世作として知られる『17歳のカルテ』を例に取りましょう。同作でウィノナ・ライダーが演じる主人公スザンナは自殺未遂で精神病院に収容された当初、「境界性パーソナリティ障害」と診断されながら、その自覚はありません。その一方で、同じく入院している同年代の少女たちの行動をおかしなものだと感じています。ですが時間がたつうちに、スザンナ自身もその病棟の中での価値観になじみ、従って周囲の言動もおかしいものだと思わなくなっていくのです。極端に画一化された社会に身を置いているために、心のバランスを失った自覚がないという主人公像は、『アメリカン・ビューティー』と同様です。ここからは、こうした主人公像が1999年当時、すでに確立していたことがうかがえます。

 では、そうした主人公たちに共通する要素は何でしょうか? 『アメリカン・ビューティー』で壊れてしまっているのは言うまでもなく、家庭です。『17歳のカルテ』でも、主人公の家庭環境に何らかの問題があったことが示唆されています。また、主人公たちが入院している病院はいわば擬似家庭とでもいうべき環境ですし、物語のターニングポイントとなるブリタニー・マーフィ演じる少女を襲う悲劇には家族の問題が大きく関わってきます。病んでしまっている社会の中で、その最小ユニットである家族が家族としての役割を果たしていない、いわば「家庭の機能不全」といえる状況が、こうした心のバランスを崩してしまった主人公たちを生み出してしまった、といえるでしょう。

 
ケヴィン・スペイシー演じる主人公の狂いっぷりは静かだからこそ怖かった…『アメリカン・ビューティー』より
Kobal/DREAMWORKS/JINKS/COHEN/The Kobal Collection/WireImage.com
17歳と邦題にありますが、実は物語とは関係ないというのは有名な話!『17歳のカルテ』より
SUZANNE TENNER/COLUMBIA TRISTAR/The Kobal Collection/WireImage.com
ソフィア・コッポラの監督デビュー作。後に私生活でもうつを告白するキルステン・ダンストの気だるい雰囲気がグッドです! - 『ヴァージン・スーサイズ』より
Paramount Classics/Photofest/ゲッティ イメージズ
アンジェリーナ・ジョリーはアカデミー賞助演女優賞を受賞
SUZANNE TENNER/COLUMBIA TRISTAR/The Kobal Collection/WireImage.com
家族の支えがあれば大丈夫!

 今年のアカデミー賞の主要6部門全てでノミネートされた映画『世界にひとつのプレイブック』は、そうした現代の問題に対する一つのアンサーを突き付ける作品です。ブラッドリー・クーパー演じる主人公のパットは、妻の浮気がきっかけで心のバランスを崩してしまった元高校教師。相手の男を殴ってしまったことで一時期入院していましたが、ようやく退院し、妻の去った自分の家の代わりに、両親のいる実家に戻ってくることから物語は始まります。

 そう、この主人公も妻との関係がうまくいかなくなった、つまり家庭が機能不全に陥ったことで、心のバランスを崩してしまった一人なのです。そんな彼と出会うのが、ヒロインのティファニー(ジェニファー・ローレンス)。彼女もまた夫を亡くしたことで精神のバランスを失い、時にとっぴな行動を起こしてしまう、世間の感覚でいう問題児の一人です。そんな似た状況にあるパットとティファニーは、とあるきっかけで社交ダンスのペアという擬似的な夫婦関係を結ぶことによって、徐々に精神の均衡を取り戻していくことになるのです。

 もっとも、夜のレストランでいきなり飲んでいる薬自慢を始めてしまうパットとティファニーの二人には、自分たちが病んでいるという自覚はもちろんありません。そのため、お互いが鏡に映したように似ていることにも気が付かず、ただお互いに「こいつはちょっとおかしい」と思っており、そうしたズレが深刻な題材を扱っていながらも、本作をコメディーとして成立させているのでしょう。

 ですが、ある意味では閉鎖的な関係にある二人だけでは、抱えている問題を解決することはできません。二人の環境に風穴を開けてくれるのは、ロバート・デ・ニーロ演じるパットの父親です。この父親自身もステーキ店の開店資金を稼ぐためにアメフトのノミ屋を始めるという、世間の価値観からはかなりズレた人物ではあるのですが、彼が息子に寄せるいささか過剰ともいえる信用は、まさに家族ならではのもの。クライマックスの展開へとつながる彼の息子への信頼は、「家族とは何か」ということを思い出させてくれるのです。

 『アメリカン・ビューティー』のような家庭崩壊後の物語に慣れてしまった現代の観客にはやや時代回帰的な印象さえあるかもしれませんが、逆に言えば、「家族という支えがあれば、まだやり直すことができる」という前向きなメッセージは今だからこそ必要とされているものなのかもしれません。思えば、本作のデヴィッド・O・ラッセル監督の前作『ザ・ファイター』も、兄弟、親子といった家族との関係を軸に、一人のボクサーが栄冠に輝くまでを描いた佳作でした。ある程度年を取ってしまうと、真正面から家族というテーマに向き合うのはやや照れくさくもありますが、ちょっとしたことでつまずいてしまいがちな現代、そうしたときにも支えてくれる人がいる喜びを改めて教えてくれる。そんな作品に仕上がっているのです。

『世界にひとつのプレイブック』より
(C) 2012 SLPTWC Films, LLC. All Rights Reserved.

あれ、手前に写っているのはロバート・デ・ニーロじゃないですか? 『タクシードライバー』のときとはえらい違いです……
(C) 2012 SLPTWC Films, LLC. All Rights Reserved.

デヴィッド・O・ラッセル監督。前作『ザ・ファイター』もいい映画でした!
John Sciulli / Getty Images

ちなみに…こんな作品もオススメ!?

 偶然にも日本では『世界にひとつのプレイブック』と同時期に公開される『マーサ、あるいはマーシー・メイ』は、同じ心のバランスを崩してしまった主人公と家族の関係を描きながらも、かなり後味の悪いサスペンス・スリラーです。カルト集団にのめりこみ、そこから脱走した後も社会に溶け込むことができない主人公を演じているのはエリザベス・オルセン「フルハウス」のミシェルを一人二役で演じたオルセン姉妹の妹といえば、わかる方も多いかもしれません。本作はそんな彼女の事実上のデビュー作です。

 同作には、本当の家族、そこから逃げ出した先のカルト集団、そしてかくまってもらった実の姉の家……と「家族」と呼べる存在が三つも出てきますが、その全てから主人公が結果的に逃げ出しているのがポイント。主人公にとって、家族とは心安らぐものではなく、追い掛けられるものであるテーマは、『アメリカン・ビューティー』以後のアメリカ家庭の一面を言い当てているかのようで、少しばかりぞっとします。そして、どれだけ逃げても、家の呪縛からは一生逃れられないことを示唆するラストは怖くもあり、鮮やかでもあり……観た後に明るくなれる作品ではないので手放しでオススメすることはできませんが、映画ファンにはぜひとも観てほしい1作になっています。

映画『世界にひとつのプレイブック』は公開中
映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』は2月23日より全国公開

地味な作品ではありますが、実にオススメな『マーサ、あるいはマーシー・メイ』より
(C) 2012 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.


エリザベス・オルセンは『ゴジラ』のハリウッド・リメイク作のヒロインにも先日決定しました。先が楽しみな女優の一人です。
(C) 2012 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.

文・構成:編集部 福田麗

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