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スヌーピーの生みの親の人生 聖地訪問で見えた顔

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スヌーピー

 チャールズ・M・シュルツ氏という人物をご存じだろうか。彼のあだ名は、スパーキー。人気キャラクター、スヌーピーの生みの親として知られている。彼は、50年という長い年月をかけて、スヌーピーたちが活躍するコミック「ピーナッツ」を連載し続けた。

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チャールズ・M・シュルツさん
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<チャールズ・M・シュルツさんの生涯>

 チャールズさんは1922年に誕生。あだ名の由来は、当時人気だった漫画に登場する年老いた馬だった。劇中でこの馬が競馬レースに初勝利した翌日にチャールズさんが生まれたことから、おじが彼の母に「この子の名前は(馬の名前と同じ)スパークにしようよ」と提案したことで、生後12時間にもかかわらず、本来の名前とはほとんど関係ないあだ名が付けられた。しかし彼自身はこのあだ名を非常に気に入っていたようで、生前のインタビューでは「僕のことをチャーリーとかチャックとか呼ぶ人がいたら、『僕の名前はスパーキーです』と必ず正すよ」と語っている。

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チャールズさんの若き日の作品

 チャールズさんの才能は高校時代には開花しており、彼のクラスを受け持った芸術の先生も彼の才能に魅了された。彼の絵に感動した先生は、その絵を長年保存し続けたという。チャールズさんが「ライフ」誌の表紙を飾った年には、彼宛に先生から「ハッピー・ニューイヤー。世界にピーナッツを与えてくれて、ありがとう」という手紙が送られてきたそう。

 チャールズさんは晩年、アメリカ・カリフォルニア州にあるのどかな町サンタローザで過ごした。町の中には、スヌーピーや彼の飼い主であるチャーリー・ブラウン、ちょっぴり意地悪な女の子ルーシー……など、誰でも一度は見たことがある「ピーナッツ」のキャラクターたちの像が設置されている。置かれている場所は、観光協会の前や公園、銀行の中、個人の家の前などさまざまだ。町で暮らす人々は、それぞれどのキャラクターがどこにいるのかを知っている。もしもあなたが観光客として、地図を持ち立ち止まれば、町の人たちが「どのキャラクターのところに行きたいんだい?」と声を掛けてくれるだろう。それほど、サンタローザの住人たちは街ぐるみでチャールズさんのことを愛しているのだ。

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サンタローザのあちこちに飾られている像の一部。同像の設立プロジェクトは、サンタローザの空港が、チャールズさんの死去後、チャールズ・M・シュルツ・ソノマ・カウンティ空港という名前がつけられたことに起因している。チャールズさんの息子クレイグ・シュルツは、チャールズさんの名前を知らずに空港を訪れた観光客に、彼が「ピーナッツ」の原作者だと理解できるようにと、チャーリー・ブラウン像の設立プロジェクトを立ち上げたとのこと。今では、サンタローザの街のあちこちに「ピーナッツ」像が置かれている。
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<チャールズさんが残した遺産>

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 またチャールズさんがサンタローザに残した遺産はほかにもある。その一つが、チャールズ・M・シュルツ・ミュージアムだ。ここには、「ピーナッツ」の歴史が数多く眠っている。

 ミュージアムに入るとまず目に入るのが、「モーフィングスヌーピー」と呼ばれている大きな木でできたレリーフだ。これは、初期から後期までのスヌーピーの絵の変化を記録している。

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レリーフはチャールズさんと親交が深かった日本人アーティスト・大谷芳照さんが制作

 スヌーピーのモデルは、チャールズさんが子供の頃に飼っていた犬スパイク。スヌーピーは、連載当初(コミック「ピーナッツ」は1950年に連載開始)、4本足の子犬として登場した。しかし、1957年に初めて2本足で立って登場すると、今度は漫画の中で有名な小説家になったり、宇宙飛行士になったり、パイロットになったり……と犬とは思えない空想を繰り広げる。チャールズさんいわく、「そこから、このコミックのすべてが変わった。犬が中心になった」とのこと。

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 後期になるにつれ、スヌーピーを描く線は少しずつブレてくる。このブレは、意図的なものなのかという問いに、チャールズさんは答えを明かすことはなかった。しかし「芸術的だ!」と評価した人に対しては、「何を言っているの?」と返していたそう。1981年に心臓手術を受けたチャールズさんは、年を取るにつれ、手の自由が利かなくなっていた。だが彼はそれでも毎日机に向かい、必要とあれば手首を支えながら、作品を作り続けていたという。

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子供部屋の壁にもチャールズさんの絵が

 ガンを患っていたチャールズさんは、最後の漫画が掲載される日の前に息を引き取った。連載契約をした時から、ほぼ毎日漫画を描いていたほど仕事熱心だった彼だが、子供には「無職だ」と思われていた時期もあるから驚きだ。映画『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』で脚本を務めているチャールズさんの息子クレイグは、「正直言って僕は、子供の頃、父は無職なんじゃないかと思っていたんだよ(笑)。父はいつも何か絵を描いているだけで、でもなぜか食べ物には困らなかったし、車も持っていた。いったいどこからお給料をもらっているのか、僕には理解できなかった」と話す。小さな子供の目には、子供部屋の壁にも絵を描くほど絵に貪欲だった父親の姿は、仕事熱心というよりも“絵描きバカ”に見えていたのかもしれない。クレイグは「後に自分が成長し、父が成功するにつれて、わかっていったけれどね」と付け加える。

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「ピーナッツ」公式アーティストペイジ・ブラドックさん

 亡き後もチャールズさんの「ピーナッツ」へのこだわりは、アーティストの中に息づいている。現在世界に4~5人存在する「ピーナッツ」のキャラクターを描くことが許されている公式アーティストの一人であるペイジ・ブラドックさんは、チャールズさんが生前使用していた特別な羽根ペンを使用している。「このペンだと、彼と同じような線を描けるんですよ。太さとか。漫画家の世界においては、これはすごく貴重なものなんです」。しかしすでにこのペンを作っていた会社は倒産したため、残っているペンの数はチャールズさんが買い占めた在庫分だけ。だが、ペイジさんは「わたしが引退するまでは持つと思いますよ。長持ちするんです」と笑う。

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<誰も知らないチャールズさんの本当の記録>

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友人宛の手紙にもイラストを描いていたチャールズさん

 さらにミュージアムの中には、マジックボックスと呼ばれる一般非公開の秘密の記録が存在する。その中には彼のボツ原稿や、ミュージアム側でさえも詳細を把握しきれていない“謎の原画”があった。どこかへ郵送された痕跡が残っている謎の原画には、チャーリー・ブラウンやルーシー、ライナスなどの年を取った姿らしきもののほか、チャールズさんが第二次世界大戦のときに出会った友人「ハグマイヤー」の名前が記されている。当時編集者や友人などさまざまな人物に絵を送っていたチャールズさんだが、この原画はいったい誰のために描いたものだったのか。その答えを求めて、ミュージアムのスタッフは彼の記録を今もなお見直し続けている。

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チャールズさんが作ったアイスホッケー用のアリーナ

 また、アイスホッケーが大好きというチャーミングな一面もあったチャールズさん。趣味が高じて、アイスホッケー用のアリーナを作り、40歳から90歳の男性が集まる世界大会スヌーピーズ・シニア・ワールド・ホッケー・トーナメントを開催したほど。ちなみにこの大会は今でも続いている。世界をとりこにしているキャラクター・スヌーピーを生んだ人物は、どんなものにも熱中する愉快で真面目な男だったようだ。(取材・文:編集部・井本早紀)

映画『I LOVE スヌーピー THE PEANUTS MOVIE』は12月4日より2D / 3D全国公開
(C) 2015 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved. Peanuts (C) Peanuts Worldwide LLC.

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