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大杉漣の長男・写真家の大杉隼平、被災地で撮った写真展を開催 額縁30点はすべて父の手作り!

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写真家の大杉隼平が撮った津波が襲って来た時間で止まっている時計(木の額縁は父・大杉漣の手作り)
写真家の大杉隼平が撮った津波が襲って来た時間で止まっている時計(木の額縁は父・大杉漣の手作り)

 俳優・大杉漣の長男で、写真家の大杉隼平が東日本大震災の被災地で撮った写真展「SHUMPEI OHSUGI PHOTO EXHIBITION」を6月17日~19日、東京・下北沢のShimokita Art Space Aで 開催する。大杉は「あの惨状を見たとき、言葉にならない感情が沸き起こり、気付いたらシャッターを切っていた。当初は写真展を開くつもりもなかったのですが、多くの方に現実を見てもらった方がいいのでは? という考えに行き着きました」と、開催までの経緯を語った。

 大杉が被災地に入ったのは4月下旬の事だった。大杉は3年前から、都心の子どもたちに奄美大島の自然や文化と触れ合う機会を設けたNPO法人奄美大島自然体験学校にスタッフとして参加しており、その奄美大島と福島県南相馬市が友好都市を結んでいる関係から、スタッフ3人と視察も兼ねて救援物資を届けに行った。目に飛び込んで来たのは、津波が襲って来た時間で止まっている時計や、福島第一原子力発電所の警戒区域ギリギリを徘徊する犬、津波で壊滅的な被害を受けた街etc……。大杉は持参していたライカとコンタックスで、この「忘れてはいけない記憶」を撮った。

 大杉は「新聞で読んだ『瓦礫と書いて想い出と読む』という言葉が印象に残っていて、その意味を噛み締めながら撮っていましたね。その後、宮城県石巻市や同女川町と沿岸部を北上して行ったのですが、放射能という見えない恐怖と闘っている南相馬市とでは、状況がまた違う。石巻では粉塵が相当舞っていたのか、掛けていたマスクが真っ黒になりました。そんな現状を目の当たりにして帰京したワケですが……被災地とそうじゃないところの隔たりも大きかったですね」と、切々と語る。

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 とりわけ気がかりだったのは、どこか、大人たちの前で元気に振舞っているように見える、子どもたちの姿だったという。震災の凄惨な光景を目の当たりにした子どもたちの心的問題が懸念されているが、さらに避難のために心の支えとなる友人たちと離れ離れになってしまった子どもたちも多く、長期的ケアの重要性が問われている。

 そこで大杉ら奄美大島自然体験学校のメンバーは、今夏に実施予定の自然体験学校に、交流のある南相馬市の小学生(約25人)を無料招待することを決意。彼らの渡航費や滞在費を捻出するため、今回の写真展の開催を決断した。

 大杉は「入場料(500円。学割300円)を取ることは悩みましたが、どんな形であれ、子どもたちへの義援金となるのであれば頂いてもいいのかなと。僕たちは微力だけど、散らばった子どもたちが奄美大島で再会し、しばし全く違う環境で、彼らが一緒に時を過ごす機会を与えられれば」と説明する。

 会場では約30点の写真を展示する予定だが、準備期間はわずか3週間の中で、父親の大杉漣が、写真を飾る額を手作りで制作。また友人のメイクアップアーティストらの協力でトートバック(1,200円。限定100個)やポストカードの販売も決定した。入場料に加えてこれらの収益の一部も、被災地の子どもたちへの義援金として、NPO法人奄美大島自然学校に寄付される。

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 大杉は「30点用の額を作るとなると、これが結構大変で(苦笑)。父と僕は毎朝、各自の仕事前に作業をし、仕事を終えてから夜中まで、また作業の日々。親子でこんなに時間を共有するのも久々ですよ」とはにかみながら、大杉親子の関係にも相乗効果をもたらしていることを明かした。

 大杉は「募金だと一時的で終わってしまうことが多いですが、今後も継続的に出来るサポートを行っていきたい」と力強く語った。

 「SHUMPEI OHSUGI PHOTO EXHIBITION」は6月17日~19日、東京・Shimokita Art space Aにて開催。

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