愛と友情は民族を超える!タブーを乗り越えたマレーシア伝説の女性監督の遺志
2009年に51歳という若さで急逝したマレーシアの女性監督ヤスミン・アフマド。生涯で残した6本の長編作品の中に異文化が共存する多民族国家マレーシアの姿を柔らかな視点で映し出し、世界中に多くのファンを獲得した。中でも最高傑作の呼び声が高い遺作『タレンタイム~優しい歌』(2009)が製作から8年の歳月を経て、待望の日本公開中だ。公開を記念して、本作を含む4本のヤスミン作品に出演しているマレーシアの有名歌手アディバ・ノールが来日し、亡きヤスミン監督の想い出や撮影秘話を語った。
マレー系、中国系、インド系など、多民族が暮らすマレーシア。国教はイスラム教だが、仏教、ヒンドゥー教など宗教も多様だ。『タレンタイム』は、ある高校で開催される音楽コンクール「タレンタイム」に出場する生徒たちを中心に、民族や宗教の違い、言葉の壁を越えた恋や友情、家族愛などを描く。異文化を排斥する動きが危険視されている現在の世の中において、語り継がれるべきエッセンスが詰まっている。
“愛と友情は民族や宗教を超えることができる”。ヤスミン監督が描いてきたテーマを映画として成立させるのは、実は簡単ではなかったとアディバは振り返る。「(2004年の長編2作目)『細い目』を撮るとき、出資者の説得にヤスミンがかなり苦労していた記憶があります。マレーシアでは、実生活では民族の違いを互いに受け入れて暮らしているのに、映画の中でそれを描くことはなぜかタブー視されていた。民族や宗教の問題は、オープンに討論するべき事柄ではないと見なされていたんですね。『細い目』が公開されたあと、トークショーやインタビューなどを通じて世論が高まり、段々と受け入れられるようになりました。そして『タレンタイム』を作る頃には、もうOKな状況になっていました」。
『タレンタイム』では、音楽コンクール開催を決める高校の先生をチャーミングに演じているアディバ。1990年代に歌のコンテストをきっかけに芸能界入り。CMディレクターだったヤスミン監督と出会い、演技の道にも活躍の場を広げた。
ヤスミン監督の仕事ぶりを側で見ていたアディバは、監督が保守的なマレーシアの検閲当局と意見を戦わせていたことも覚えている。「『細い目』には主人公の両親がベッドの上で愛を語らうシーンがあるのですが、検閲当局が当初これに困惑したんです。セックスではなく、ただ話をしているだけのシーンですよ。ヤスミンは、『夫が妻を殴る家庭内暴力のシーンはOKで、愛を語らうシーンを映画で映してはいけないなんて、なぜ?』と疑問を呈しました。当局側が問題視した理由は『それは家庭の、内輪の話だから』というものだったのですが、ヤスミンは自分の正義を貫く人だったので、最後にはこの問題も乗り越えることができました」。
『タレンタイム』の魅力は、どの民族や宗教、価値観も否定しない寛容さと、登場人物がそれぞれ与えられた運命を受け入れていく積極的な受動性にある。ヒロインの名前「ムルー」はマレー語でジャスミンの意味。そして、そのジャスミンの語源は「Yasmin(ヤスミン)」であり、「神様からの贈り物」という意味を持つ。ヤスミン監督はその名の通り、楚々として咲くジャスミンのように、与えられたものをすべて受けとめて生きてこられた女性なのではないか……と監督の人柄に想像をめぐらせると、「そのとおりです。だからこそ、早くに逝ってしまったのかもしれません」とアディバは目の縁を赤くした。
「ヤスミンの映画の撮影では、なぜかマジックのような瞬間に恵まれるんです。例えば、『タレンタイム』でマレー系の男子生徒ハフィズがお祈りをするシーンには急に2羽の鳥が現れます。あれは図らずして起こった美しい瞬間でした。ヤスミンが恵まれていた理由は、その“孝行心”にあると思います。彼女の優先順位は、常に第一が神様で、第二が両親でした。『私は映画作家として優れてはいないけど、両親を楽しませたいと思って映画を作っている』とヤスミンは言っていました。なので、どんな仕事もまず最初に両親に見せて意見を聞いていましたね。親孝行な人は、必ず祝福されるのだと思います」。そう言ってアディバはそっと涙をぬぐった。(取材・文:新田理恵)
映画『タレンタイム~優しい歌』は全国順次公開中