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「どうする家康」修羅の道がトレンド入り!「鎌倉殿の13人」から再び

第40回より家康(松本潤)と本多忠勝(山田裕貴)
第40回より家康(松本潤)と本多忠勝(山田裕貴) - (C)NHK

 22日に放送された松本潤主演の大河ドラマ「どうする家康」(毎週日曜夜8時~NHK総合ほか)第40回では、冒頭のアニメーションが示唆するかのように家康(松本)がウサギからタヌキへと変貌していく過程が描かれ、家康が口にした「修羅の道」がXの上位にトレンド入りした。

【画像】石田三成の決定的な瞬間…第40回場面写真

 第40回「天下人家康」では秀吉(ムロツヨシ)の死後、家康や石田三成(中村七之助)らが朝鮮出兵の後始末に追われる展開に。初めは秀吉の幼い息子・秀頼を五奉行、五大老が力を合わせて支え「力ではなく知恵、合議によって政をなす」という光成に賛同していた家康だが、三成が朝鮮から戻った加藤清正(淵上泰史)、黒田長政(阿部進之介)らの反発にあい、いつしか家康が政の中心を担う流れに。毛利輝元(吹越満)や上杉景勝(津田寛治)、そして茶々(北川景子)に焚きつけられ、家康に「天下簒奪の野心あり」とみた三成は家康に不信感を募らせていく。

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 真っすぐすぎる性格ゆえに秀吉への忠義を貫き、道理で物事を進めようとする三成は人の心を読めず、人が離れていく一方。初めは本多忠勝(山田裕貴)らに、三成は人の上に立つ器ではないと背中を押された際も「治部殿がうまく治めてくれるならそれが一番」と考えていた家康だが、やがては見限ることに。家康が「いっときの間、豊臣から政務を預かりたい」と三成に申し出た瞬間から、二人の溝は決定的なものになった。

 注目を浴びた「修羅の道」は、決心した家康が忠勝に「やるからには後戻りはできん。あるいは、修羅の道をゆくことになろうぞ」と告げたシーン。この言葉は昨年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第44回で小栗旬演じる主人公・北条義時が源実朝(柿澤勇人)に反旗を翻された際、弟の時房(瀬戸康史)に「ここからは修羅の道だ……。付きあってくれるな?」とつぶやいた場面でも登場しており、「どこかで聞いたような…」「2年連続の修羅の道」と同シーンを思い浮かべる視聴者が多数。

 「鎌倉殿の13人」では源頼朝(大泉洋)の右腕だった義時が、頼朝が己の障害になる者たちを卑劣な手段で血祭りにあげていくたびに反発していたはずが、やがては“第二の頼朝”と化し、肉親からも恐れられ孤立していった。家康もまた同じ道をたどるのか……? 次回のサブタイトルは「逆襲の三成」。佐和山城に隠居させられた三成が動き出す。(編集部・石井百合子)

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