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寛一郎、俳優の道以外なかった 「佐藤浩市の息子」という名

寛一郎
寛一郎

 今年俳優デビューが公表され、すでに3本の映画に出演しさっそうと銀幕に現れた新星・寛一郎。俳優・佐藤浩市を父に持つ彼にとって「俳優」という職業はずっと否定し続けていた道だったというが、その一方でそれ以外の道を歩むことを考えたことは一度もなかったという。

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 昨年秋に撮影された映画『菊とギロチン』(2018年夏公開)に続いて、『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(9月23日公開)でカメラの前での演技に挑戦した寛一郎。「初めてがインディーズ作品(『菊とギロチン』)で物理的にも精神的にもすごく過酷だったという印象がありました。でもそのおかげで『ナミヤ雑貨店』ではいろいろなことを考えて臨むことができました。役に対しても、現場での在り方に対しても」。

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 「現場への慣れもそうですし、現場がどういうものかということは理解していたつもりでしたが、実際に立ってみると想像とは全然違って。すごく成長できたと思います」。

 小さいころ、父親に連れられて足を踏み入れた映画の撮影現場。小学校を卒業するころには複雑な胸中から背を向けるようになってしまったそうだが、その時の光景は今も彼の目に焼き付いている。「『本番!』と声がかかった時には、子供ながらにその時だけは静かにしなければと思っていました。親父が本番中に演技していた姿を見ていたことは僕の今にとって、すごく大きいです。……今、自分で立ってみるとまた違うわけですが(笑)」。

 だが思春期を経て彼は、俳優になることを否定し続けた。「向き合う覚悟」ができるまでに18年かかったという。「僕は親父が役者だった。これは決定的なものです」と言う彼の言葉にはどのような思いが込められているのか。「僕にとってずっと否定し続けてきたものでした。でも嫌な意味ではなくて、やるしかないと思えたんです。向き合うのに18年くらいかかりましたが、それも自分にとってはそんなに難しい話だったというわけではなくて……この気持ちを説明する方が難しいですね(笑)」。

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 「映画が好きで。映画を観ると映画や役者さんのすばらしさを感じていました。自分の人生と向き合おうと思ったんだと思います」。

寛一郎

 いい芝居、悪い芝居とはいったいどういうものなのか? それは今も模索中。だがその模索することが面白いという寛一郎。「演技に前向きに向き合っていきたいと思うんです」。そして彼は「これまでは親父の名前と僕の潜在的なものでしか勝負ができていなかった。だから今“自分”が注目を浴びているとは思ってはいないです」と言うと、「自分はまだ何者でもない」と語る。彼は「尊敬する方はたくさんいらっしゃいますが、誰かを目指すわけではなく、まず自分というものを見つけたいんです。『何がいい役者か』はまだわからないので、自分にとっての課題でもあります」と苦笑した。

 『ナミヤ雑貨店の奇蹟』では、同じく俳優の父を持つ村上虹郎(父・村上淳)と共演している。「虹郎くんとは撮影中ほぼ毎日ご飯を食べに行っていました。同世代の先輩ではありますが、これから何十年とやっていくことができたら、彼はたぶん必ずいる存在だと思います。その時には彼に負けたくない、一緒に戦っていきたいという気持ちはあります」。

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 また父親の名前が出ることには「もう慣れているんです」と話した彼。「虹郎にもこれから言われていくことが多いよと言われました。僕も生まれた時からずっと言われてきて、それは変えられないものですし、自分にとっても捨てたいものでもないと思っています。僕の中でそしゃくして活力に変えていくしかないと考えています。でもやっぱり父を別として、僕は僕としてやっていきたいですね」。

 その思いは「佐藤」の名字がない芸名にも現れている? その点について寛一郎は「長いのが嫌だったということがあります(笑)。短くしたいなという気持ちもあって。もちろんその意味も込められています」とくしゃりと笑った。(取材:編集部・井本早紀)

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