シネマトゥデイ

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苦労だらけの青春時代……

ニューヨーク生まれイタリア系アメリカ人のスタローン(愛称:スライ)は生まれつき左顔面の神経に損傷があり、しゃべり方や表情が普通の人と明らかに違っていたことから、周囲の子どもたちによくからかわれていました。そんなことから周囲に溶け込めなかった彼は、学校に入ると成績が悪かったこともあり、ケンカっ早いトラブルメーカーとして、退学になったこともありました。両親が離婚してからの彼の素行は悪化の一途をたどり、高校の卒業アルバムでは、「将来電気イス行きになる可能性アリで賞」という何ともありがたくない賞に選ばれてしまったほどに。寂しさや悲しさをケンカで紛らわす孤独な少年だったのです……。

しかし、やがて演技に興味を持ち始め、俳優になりたいと思うようになります。高校を卒業した後は生まれ育ったニューヨークから遠く離れたフロリダへ渡り、マイアミ大学で演技を専攻。映画の脚本を書くようにもなりました。卒業まであと一歩のところで大学を中退すると、当たって砕けろ精神で映画業界へ飛び込む決意をします。エキストラやチョイ役などをやるようにはなりますが、1970年代のハリウッドというと、俳優は純ハンサム志向だったため、タレ目でしゃべり方もモソモソとしているスタローンにはかなり厳しい状況でした。

そして、生活に困り果てたスタローンは、ポルノに出演することを決心します。わずか二日間の仕事でなんとかしばらくの間、食いつないだといいます。後のインタビューでスタローンは、当時が一番どん底の時期だったと話しています。それでも彼は俳優になることをあきらめなかったのです。

大スター街道を駆け上がる不屈のスピリット!

わたしの好きな言葉に、「キレイな虹が見たければ、たくさんの雨に耐えなければならない」というのがあります。スタローンの人生はまさにこの言葉を体現しているように感じます。貧乏のあまりホームレスまで経験した彼は、1974年に出演した作品がきっかけでプロデューサーの目に留まり、『ロッキー』の製作へと導かれていきます。

しかし、有名プロデューサーの後ろ盾があったところで、決して簡単な道のりではありませんでした……。『ロッキー』はスタローン自身が主演するということを絶対条件で話を進めていたにもかかわらず、興味を示していたスタジオから「無名の俳優を主役にはできない。スタローンが出演しないのなら製作する」と申し渡されてしまうのです。当時、ほぼ無一文状態だったスタローンはスタジオ側から、「『ロッキー』の権利を完全譲渡すれば25万ドル(約2,250万円・1ドル90円計算)支払う」とまで持ちかけられたのですが、断固として譲歩しませんでした。後ろ盾となっていたプロデューサーが、彼の才能と人柄にほれ込み強気で支えてくれていたということも非常に大きな武器となったのかもしれません。この不屈のド根性がやがて実を結び、条件付きではあるもののスタジオ側が根負けし、『ロッキー』の製作が始まりました。

1976年に公開された『ロッキー』は、その年のアカデミー賞作品賞を受賞。スタローンは世界中の人気者となりました。その後『ロッキー』は続編が5本も製作され 大ヒットシリーズとなります。これと同時に、彼が脚本を手掛けた『ランボー』も大ヒットを記録し、シリーズとして大成功を収めます。

スタローンが苦労してやっと手に入れたスーパースターの地位。しかし、得たものが大きかっただけに失ったものも大きかったようなのです……。

俳優人生を下落の道へと導いた私生活……

俳優業がノリにのっていた1985年、結婚11年目にして最初の奥方だったサーシャと離婚してしまいます。二人の間に生まれた次男セルジオ君が自閉症にかかっていることでセルジオ君の世話にかかりきりになってしまった彼女と、仕事で不在がちのスタローンとの間に溝ができてしまったのが原因のようでした。

しかし、問題は次の結婚でした。そのお相手は、一時期ハリウッドで「出世と財産目当ての強欲女」の代名詞にもなった女優ブリジット・ニールセン。「お会いしたいわ!」というメッセージと電話番号を裏に書いた自分のセクシー写真をスタローンが泊まっているホテルの部屋に届け、それにまんまと乗ってしまった彼と関係が始まった、というチープな昼メロのような出会いだったといいます。結局、ブリジットとの結婚は1年8か月しか続きませんでしたが、スタローンを踏み台にして見事にハリウッド女優に成り上がった彼女に対し、ブリジットと共演した駄作の余波で少しずつハリウッドからフェードアウトしていく羽目になったスタローンという結果になったのです。

1993年の『クリフハンガー』やサンドラ・ブロックと共演した『デモリションマン』、そして1997年にロバート・デ・ニーロと共演した本格的ドラマ『コップランド』、そして2006年には『ロッキー』シリーズ6作目にあたる『ロッキー・ザ・ファイナル』、2008年には『ランボー』シリーズ4作目にあたる『ランボー 最後の戦場』が公開されヒットしますが、全盛期の勢いとは程遠いものでした……。

元祖アクション・スターならではの大プロジェクト!

「このままスタローンは終わってしまうのか?」と思われていた矢先、『ランボー 最後の戦場』を共に製作し良きビジネスパートナーとなったニューイメージという製作会社に、「新旧のアクション・スターを主役にした大アクション映画を撮りたい!」という新作の話をスタローンが持ちかけます。

彼の俳優としての才能はもちろん、監督・製作・脚本の才能も熟知しているニューイメージ社は出演者の中にブルース・ウィリスシュワルツェネッガー現カリフォルニア州知事をはじめ、近年を代表する人気アクション俳優のジェイソン・ステイサムジェット・リーも出演候補に挙がっていると聞いて、このアイデアに早速OKを出します。

しかし、ニューイメージはインディーズ系の製作会社です。メジャー製作会社のようながんじ絡めの規制がない分、予算の面ではない袖は振れない厳しい制約があるため、例えばブルースやシュワちゃんに通常のギャラを支払うなどはとてもできないわけです。そこで活躍したのが、製作者としてのスタローンの手腕。あの多忙なシュワ知事とMr.ダイハードに、なんと無償で映画に出演してもらったのです! これはスゴイ!!

実はこの三人はその昔、プラネット・ハリウッドのレストランチェーンを発足した仲間。昔のよしみということもあったのでしょうが、やはり彼の人徳なしには成し得なかった裏ワザ(!?)といえそうです。そんな紆余(うよ)曲折を経て、この夏アメリカで封切られた『エクスペンダブルズ』は公開されるやいなや、大ヒットを記録。2週連続全米ナンバー1に輝き、スタローン主演の歴代映画の中で一番の興行収入に! 早くも続編が計画されているそうです。

真のアクション・ヒーローが少なくなっている現在のハリウッド。スタローンも今年7月で64歳になり、決して若くはない年齢ではありますが、いつまでも衰えないその若々しいスピリットでまだまだ頑張り続けてほしいものです!
(取材・文 アケミ・トスト/Akemi Tosto)

About Addie

高校留学以来ロサンゼルスに在住し、CMやハリウッド映画の製作助手を経て現在に至る。アカデミー賞のレポートや全米ボックスオフィス考など、Yahoo! Japan、シネマトゥデイなどの媒体で執筆中。全米映画協会(MPAA)公認のフォト・ジャーナリスト。

在米23年目にして初めてニューヨークへ行ってきました~。うわさには聞いていましたがピザのおいしさたるや……想像を絶していました。また行きた~いっ!

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