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若松孝二監督追悼座談会 若松イズムの継承者たちが語る 僕たちが学んだこと。明日の日本映画界のために実践すべきこと。

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若松孝二監督追悼座談会

2.若松孝二監督への愛憎、その人間力

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――『戦争と一人の女』は元軍人が、戦後に連続強姦(ごうかん)事件を起こした実話がベース。元軍人が片腕を失っており、『キャタピラー』で大西さんが演じた四肢をなくした元軍人と通じるものがあります。実際、『キャタピラー』に対抗しているんですか?

片嶋 全然そんなつもりはないですよ。でも確かに、僕ら全員がいかに『キャタピラー』が戦争に対して本質的に何も批判してないじゃないか? というところから始まりましたね。

榎本 その意見は理解できます。

片嶋 若松さんは反権力や反権威をファッション化して映画を作り、ビジネスにしたと思う。本当に危険な人は周りからちやほやされないです。

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井上 辻さんは、ウチの師匠・荒井晴彦の発言でお怒りになったことがあると(苦笑)。

辻 若松さんと初めて会った夜、一緒に新宿で飲んでいたら、荒井さんがふらっと店に入って来て、「若ちゃん、また太鼓持ち連れて来たの?」と(苦笑)。

井上 荒井さんの根っこにあるのは、榎本さんがおっしゃった「足立さんや自分がいたときにはNOを突き付けられたけど、今はおまえらがNOと言わないからダメなんだ」という批判なのかな? ま、僕も批判されたけど。

辻 立場の違いがあると思うんです。荒井さんや足立さんは、若松さんと年齢が近いから意見も言える。

榎本 荒井晴彦を弁護すると、深作欣二さんとか目上の人にも堂々と文句を言いますよ。無礼なのは褒められたことではないかもしれないけれど、一貫性はある(笑)。

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辻 恐らく自分たちの時代の、若松作品を神格化しているんじゃないかと思います。僕も昔の作品は好きだけど、単純に今の方が面白いから作品に参加してますし。でも、それらの批判が『戦争と一人の女』の原動力になっているのならいいんじゃないですか。

――『連赤』も、原田眞人監督『突入せよ!「あさま山荘」事件』(2002)が体制側からしか描いていないことに怒りを感じて作られました。

大西 今のお話を伺って思うのは、昔の作品は良かったけど、近年のは良くないって聞こえて同調できません。もちろん感じ方や捉え方は人それぞれで自由だけど、今回の趣旨とは違うと思います。初期の作品を好きな人もいれば、近年の作品の方が好きだという人もいるし、どちらにしろ全部若松監督なんですから。何より近年の作品群を監督と共に必死に作り上げていた自分たちの前でそんなことを言われて黙っていたら、一緒にやってきた全てのスタッフ・キャストに対し申し訳が立ちません。『キャタピラー』にしろ国内外でちゃんと評価されて興行的にも成功しているわけだから、批判はあってもそこは認めなければいけないと思います。

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――さらに『キャタピラー』は、高校生に観てほしいと入場料金を500円に。また自主配給を手掛けるなど、若松監督は興行面でも革命を起こそうとしていたと思います。『連赤』の上映館だった東京テアトル元社員の榎本さんはどう評価します?

榎本 会社としては、常識的な映画ビジネスのルールにのっとった話ができる配給会社に委託してほしかったと思うんです。それに若松さんはケチだから宣伝費を使わないのではないかと(苦笑)。興行サイドとしては、宣伝費を使ってくれた方が(認知度が広がるという)安心材料になりますからね。でも若松さんは「俺がもうけさせてやるから大丈夫だ」の一点張り。でも、それが事実になりました。

大西 500円層は来たんですか?

榎本 数字まではわからないけど、話題になることの方が大事だからね。

大西 宣伝になりますもんね。

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榎本 僕の分析だと若松さんの場合は、ある種のスキャンダラス性を作品に持ち込んで、興行に斬(き)りこんでいくのが天才的にうまかった。そもそもベルリン国際映画祭で「国辱映画」と物議を醸した『壁の中の秘事』(1965)がそうで、それが逆に若松さんの名前を浮上させた。でも、スキャンダラス性は映画にとって恥ずべきことではないと思うんです。大作に埋もれがちな小さな映画には、とげとか異物感が必要になってくることがあるので、そういう意味では物すごく勘が良かったと思います。

井上 特に今の映画界は、年間400本以上日本映画が公開されているのに、ひっそりと公開して終わっていく作品も多い。その中で、いいことも悪いことも映画の力に変えて突破していったのは若松さんしかいない。

榎本 ただ、今は若松さんが強引にこじ開けてきた自主配給の敷居は若干下がっていて、若松さんの方法論も一般化しつつあるといえる。

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片嶋 僕も自分の会社で細々と自主配給をやっていて『アジアの純真』(2009)のときに若松さんに相談したら「DVDを各劇場に送ればいいんだよ」と。確かにやればできる。でも若松さんが若松プロを起こしたのは1965年。キャリアが違うし、そう簡単に若松さんみたいにはいかない。

榎本 当時は相当バイタリティーがないと自主配給って手が出せなかったと思いますよ。配給側も簡単に協力しないし、下手したら劇場側が「ちゃんとした配給会社じゃないと小屋を開けません」と言い出しかねない。だから、シネマスコーレのように自分たちの劇場を持ちたいと思うのは当然です。

井上 若松さん、あの重い35ミリ缶を自分で抱えて全国を回っていたんだもんなぁ。

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大西 今回、『連赤』から『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(2011)までの約6年間、若松監督と一緒に何回、舞台あいさつを行ったか調べたら70回以上ありました。旅費が監督一人分しか出ないときは、安い普通列車に切り替えて僕の分も捻出し、部屋は相部屋というときも。客席数50席しかないような劇場もありましたからね。それでも自分の言葉で思いを伝えて、パンフレットを手売りして、握手やサインをする。そうやって地道な活動をしていくことで人の心をつかみ、広げていく。それが監督のやり方だったと思います。

辻 『キャタピラー』のときには、全国のミニシアターリストを取り寄せて、質の高い作品を上映している劇場を選択していましたよ。「きっと損しているだろうから、ウチの作品でもうけさせてやろう」と。その気配りはすごかった。

大西 監督がいつも言っていたのは、「あの劇場は俺の作品がヒットしなかったときでも上映してくれたんだよ。だから、受賞して集客が見込めるこの作品をアイツの劇場で絶対上映するんだ」と。そういう仁義の通し方をするんですよね。

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榎本 特に今、地方のミニシアターはデジタル化の中でつぶれてしまう危機感があって、一度、全国の興行主が集まって決起集会があったんです。そこにも若松さんが来てビックリした。若松さんはしきりに「文化庁は製作なんかに金を出さないで、劇場に金を出せ。小屋が閉まったら終わりなんだ」と力説していた。製作に金を出す必要がないという意見には反対だけれど、若松さんから直々に「お前ら頑張れよ」と言われたら、皆参っちゃう。そうした人間力は抜群でしたね。

>>3.若松孝二イズムの継承、その高い壁

【若松孝二監督追悼座談会】
1.若松孝二監督との出会い、その衝撃
2.若松孝二監督への愛憎、その人間力
3.若松孝二イズムの継承、その高い壁

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