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ジャン=ジャック・ベネックス、空白の16年を明かす「1本は日本でつくりたい」

第29回東京国際映画祭

授賞式の朝には箱根に赴き、富士山が見えたエピソードをうれしそうに語るベネックス
授賞式の朝には箱根に赴き、富士山が見えたエピソードをうれしそうに語るベネックス - 撮影:丹澤祥太

 『青い夢の女』(2000)以来実に16年、長編劇映画からドキュメンタリー映画のプロデューサーや監督にシフトし、長らく日本での劇場公開作のないフランスの巨匠ジャン=ジャック・ベネックス監督が第29回東京国際映画祭の審査委員長として来日。16年の空白の理由を語った。

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 1980年から来日は20回以上。1994年に日本のオタク文化を映したドキュメンタリー『オタク(原題)/ OTAKU』(日本未公開)を発表するなど、大の親日家として知られるベネックス監督だが、東京国際映画祭との縁も深く、1989年の第3回では『ロザリンとライオン』、1992年の第5回では『IP5/愛を探す旅人たち』がコンペティション部門に出品された。

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 第3回東京国際映画祭では今は亡き名優イヴ・モンタン氏が審査委員長(インターナショナル・コンペティション部門)を務め、故テオ・アンゲロプロス監督、ニキータ・ミハルコフ監督ら各国からそうそうたる顔ぶれが審査委員として名を連ねていたが、実はこの時のモンタンとの出会いから、『IP5/愛を探す旅人たち』が生まれたのだという。「そのときには、まさかそれが彼の遺作になるとは思っていなかったよ。彼は、幼い頃からわたしにとって偉大な俳優で、尊敬していた。東京で彼が歌手として舞台を踏んでいるときにも観ていたし、自分と日本とモンタンは何かによってつながっているんだ」。

 その彼が、今度は東京国際映画祭で審査委員長として来日を果たすことになった。その経緯について「今回、依頼をいただいたときに何も考えずにすぐ『イエス』と返事をした。なぜなら日本はわたしにとって第二の故郷と言えるぐらい、自分の文化、インスピレーションの源でもある。わたしの心の一部は日本とさえ思っているよ」と目を輝かせて並々ならぬ日本への愛を語る。

 寡作ながら長編デビュー作『ディーバ』(1981)、『ベティ・ブルー/愛と激情の日々』(1986)などの名作を生み、日本の熱狂的なファンからも新作を待ち望まれながらも、劇映画から退いている理由については「それを答えるにはとても長い時間が必要だ……」と深刻な面持ち。「わたしはアーティストとして要求することがとても多くて、自分が本当にしたいことがかなえられる作品をつくりたいんだ。だけど今はなかなかそういうシチュエーションがなくてね。でも決して、あきらめたわけではないんだよ。いつかは最後の1本を撮りたい。もしかしたら3本になるかもしれないし、1本は是非、日本でつくりたいと思っているよ」と今もなお映画監督としての情熱は失われていないことを日本のファンにアピールした。(取材・文:編集部 石井百合子)

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