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仲代達矢、映画会社と専属契約しなかった理由

衰えぬ活躍をみせる御年84歳の名優・仲代達矢
衰えぬ活躍をみせる御年84歳の名優・仲代達矢

 日本を代表する名優・仲代達矢が、今もなおカルト的人気を誇る主演映画『殺人狂時代』と自身の過去について、6月25日(現地時間)ニューヨークの映像博物館で行われたイベントで語った。

【写真】ドキュメンタリー『仲代達矢「役者」を生きる』

 映画『殺人狂時代』は、『肉弾』『大誘拐 RAINBOW KIDS』などの岡本喜八監督がメガホンをとった1967年公開のコメディー作品。マザコンの犯罪心理学者・桔梗信治(仲代)が、溝呂木博士(天本英世)率いる人口調節のために無駄な人間を抹殺する「大日本人口調節審議会」の殺し屋たちに命を狙われる羽目になるというストーリー。

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 全く異なるタイプの作品である映画『大菩薩峠』で岡本監督とタッグを組んでいた仲代は、当時を振り返り「『殺人狂時代』は50年前に作られた映画です。わたしが34歳のときの映画で、今わたしは84歳ですから、随分前の映画になります。34歳までは『大菩薩峠』など悲劇の作品が多く、『殺人狂時代』で初めて喜劇を演じました。あくまで岡本喜八監督の指導でできた作品です」と語る。続けて、岡本監督が「天然で、ぼやっとした仲代の『地』に近い」という理由で、『殺人狂時代』に抜てきしたことも明かした。

 当時から映画会社との専属契約をせずに、フリーランスとして俳優活動をしてきた仲代。「日本には東宝、松竹、大映、日活、新東宝という5社の大手映画会社がありました。俳優学校を出た後、わたしは俳優座という演劇グループに所属しました。その後、最初に日活に抜てきされて、(上層部から)『日活の専属俳優にならないかと』といわれました。その頃、わたしはひどく貧乏をしておりまして、もし日活の専属俳優になったならば、石原裕次郎さん、小林旭さんらと共にスタートができていたと思います」と話す。しかし演劇をやりたくて役者になった仲代は、上層部に「日活と専属契約を結んで、演劇ができますか」と聞いたところ、「日活以外は駄目だが、家なら一軒立ててやる」といわれ、誘いを断ったという。

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 その後は、さまざまな素晴らしい作品や監督に出会い、俳優として磨きをかけていった仲代。自身が出演した作品で一番気に入っているものを問われると「一本挙げるのならば、去年イェール大学でも上映した『切腹』という映画ですね。わたしが29歳のときの作品ですが、それが一番素晴らしいかなと思っております。映画というのは総合芸術ですから、そういう意味で、シナリオ、監督、俳優、カメラ(撮影監督)、照明など全て良かった作品です」と答えた。(取材・文・細木信宏/Nobuhiro Hosoki)

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