故ピーター・ボグダノヴィッチ監督『ラスト・ショー』50周年で語っていた秘話
『ラスト・ショー』や『ペーパー・ムーン』などの名作で知られる監督ピーター・ボグダノヴィッチが、現地時間1月6日に82歳で亡くなった。その1か月ほど前、ボグダノヴィッチ監督は『ラスト・ショー』の公開50周年を記念した、ハリウッド外国人映画記者協会のバーチャル取材に参加しており、元気な様子で、興味深いエピソードを語っていた。(吉川優子 / Yuko Yoshikawa)
1971年に公開された『ラスト・ショー』は、1950年代の寂びれゆくテキサスの田舎町を舞台にした青春映画で、まだ無名だったジェフ・ブリッジスやティモシー・ボトムズ、シビル・シェパードらが出演。作品賞、監督賞などアカデミー賞で6部門にノミネートされ、助演男優と助演女優賞を受賞。ボグダノヴィッチの名を一躍広めた出世作だ。
「50周年と聞いてとても驚いたよ。20年くらいに感じられる。でも、時代遅れになっていないと思う。それは、今もこれからも、ずっと重要であり続ける人間や物ごとについて描いているからだろう。原作者であるラリー・マクマートリーの経験を基にして描かれているから、登場人物たちもリアルなんだ」とボグダノヴィッチ監督は語っていた。
白黒で撮影された美しい映像も、本作の大きな魅力の一つ。それを決心させたのは、オーソン・ウェルズのアドバイスだったという。「オーソンに、どうすれば『市民ケーン』のパンフォーカスが撮れるのかと聞いたら、それはカラーじゃできないと返された。『白黒で撮影しろ。全ての演技は白黒の方が良く見える。カラーで(白黒より)良い演技があれば言ってみろ』とも言われたんだ。これだ! という演技が、僕には思いつかなかったんだよ(笑)」
当時、すでに白黒映画はほぼ皆無だったことから、ある意味で新鮮だということで、プロデューサーもあっさりと承諾をしてくれたそうだ。撮影監督は『ベン・ハー』や『卒業』を手掛けた名手ロバート・サーティースで、白黒映画の経験が長い彼がいたことも大きかったという。
また製作中は、シェパードに「夢中だった」と明かしたボグダノヴィッチ監督は、そのために最初の妻と離婚。その後、プレイボーイ誌のモデルで女優のドロシー・ストラットンと『ニューヨークの恋人たち』(1981)の撮影中に恋に落ちるが、ストラットンは後に別居していた夫に殺害される。この出来事はボブ・フォッシー監督作『スター80』(1983)などで描かれているが、ボグダノヴィッチ監督もこの事件について書いた「The Killing of the Unicorn」という本を基にした映画を企画中で、プロデューサーのフランク・マーシャルと脚本作りを進めていると明かしていた。また、次の監督作としてオペラ「ポーギーとベス」を作曲した頃のジョージ・ガーシュウィンとアイラ・ガーシュウィンの映画を手がけるつもりだとも語っていた。
「僕は役者としてキャリアをスタートさせたんだ」と語っていたボグダノヴィチ監督は、その多才ぶりでも知られた。人気ドラマ「ザ・ソプラノズ/哀愁のマフィア」への出演など、役者としての仕事のほか、批評家、映画史家としても有名で、監督になる以前は、ウェルズやアルフレッド・ヒッチコック、ハワード・ホークスとのインタビュー集などを出版。これから、アーサー・ミラー、ローレン・バコール、カーク・ダグラス、ジャック・ニコルソン、クリント・イーストウッドとの長い対話をまとめたインタビュー集や、自伝的な書籍も出版する予定だったという。
映画を深く愛し続け、最後まで精力的に仕事に取り組んでいたボグダノヴィッチ。ハリウッドはまた一人、優れた擁護者を失った。