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親日家のヴィム・ヴェンダース監督が東京国際映画祭に来場! 悩み続けて20年以上、最新作完成までの苦悩語る!【第24回東京国際映画祭】(1/2)

親日家のヴィム・ヴェンダース監督が東京国際映画祭に来場! 悩み続けて20年以上、最新作完成までの苦悩語る!
作品への思いを存分に語ったヴィム・ヴェンダース監督

 25日、現在開催中の第24回東京国際映画祭特別招待作品『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』舞台あいさつが行われ、ヴィム・ヴェンダース監督が本作を製作するのに20年以上かかったという理由を一気に語り尽くした。

 親日家で、日本には何度も訪れたことのあるというヴェンダース監督だが、今回は5年ぶりの来日となる。壇上に登場した監督は日本語で「ミナサンコンニチハ!」と笑顔であいさつ。そして「実は今から皆さんをこの映画館から連れ出そうかと考えています。天気のいい東京から小さなドイツの街、ピナ(・バウシュ)が住み、本拠地としていた街(ヴッパタール)へ連れていきましょう。でもご心配なく。映画の終わりには、こちらへお返ししますから。そのときに雨が降っていたなんてことのないように祈りましょう」とウイットに富んだコメントで会場の観客に呼び掛けた。

 もともと本作は、1985年にヴェネチアで開催されたフェスティバルで天才舞踊家ピナの作品と出会ったことから始まったという。「これほど美しいものを見たことがないと興奮しました。そこで彼女に映画を作らせてくださいとお願いしたんです」と語る監督。しかし、肉体をフルに使い自由なエネルギーに満ちた彼女の舞踏をどのように撮影すればいいのか、監督は悩み続けてきたのだという。「僕は映画監督だし、演出力もあると思う。カメラだってある。でも、どうやって撮ればいいのかわからなかったんだ。ピナは早く撮ろうと言ってくれたが、それでも僕は悩み続けた」と語るヴェンダース監督。そのエピソードは、悩める人にスポットを当ててきた作品を数多く作ってきた監督らしいともいえる。

 それから20年が過ぎ、ふとしたことから3D映画『U23D』を観た監督は、その悩みの解決方法を見いだした。「3Dは新しいツールだと思った。舞踊を映像化するためには空間をとらえないといけないから、見えない壁が取り払われたような気がしたよ。だからエンドクレジットの最中にピナに連絡をして、『ピナ、やり方がわかったよ』と言ったんだ」と監督。しかし、2009年6月30日。9月の撮影を前にしてピナは急逝する。「映画を作るには遅過ぎた。彼女の急逝は誰にとってもショックだった。彼女と一緒に作る映画だったからこそ、僕はこの映画はもう作れないと思い、キャンセルすることにした」とうつむきながらつぶやく監督。しかし、それでも映画を作ろうと思ったのは舞踏団のダンサーたちに触発されたからだという。「僕は撮影を中断したけど、彼らは踊り続けた。(ピナ)が亡くなった晩も泣きながら踊り続けたんだ。彼らの踊りに触発されて映画を撮ることに決めたんだ」と本作が完成するまでの経緯を一気に語り尽くしたヴェンダース監督。そこで司会者が「そろそろお時間ですが……」と呼び掛けると、「僕が言いたいことは全部言ったよ」とスッキリした表情になった。


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