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 大岡昇平の原作小説「野火」の映画化を思い立ってから二十数年。塚本晋也監督が遂に夢を実現し、映画『野火』が7月25日に東京・渋谷ユーロスペースほかで全国順次公開されます。劇場映画デビュー作『鉄男 TETSUO』(1989年)から常に独創的かつ挑発的な作品を発表し続けてきた鬼才がなぜ、戦争文学の代表作といわれる「野火」にたどり着いたのか? 製作過程を追いながら、塚本監督の頭の中身を全8回にわたって探っていきます。(取材・文:中山治美)

■震災と原発事故

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『ヴィタール』以降、都市から自然への回帰が顕著になっている塚本監督。『野火』のロケ地ハワイの海で佇む。© SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 作家・大岡昇平の「野火」を映画化したいと思ってから二十数年間、塚本晋也監督の映像化したいイメージに変化はなかったという。だが、塚本監督自身を取り巻く環境は大きく変わった。皮肉にもそれが「『野火』を作らなければならない」という強い原動力になっていたようだ。一つが息子の誕生に続いて両親の介護という、命の継承を体感したことであり、そしてもう一つが、2011年3月11日に起こった東日本大震災と福島第一原発事故で気付かされた、近い将来への危機感である。

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塚本監督が息子と製作した『捨てられた怪獣』の1シーン。短編はYouTubeで視聴可能。https://www.youtube.com/watch?v=lK98PiuJbag © SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 2002年10月に、塚本監督は父親になった。自分の遺伝子をまんま受け継いだような息子に注ぐ愛情は、普通の父親と何ら変わりはない。2013年にはベネチア国際映画祭の開催70回を記念し、世界から70人の監督が「映画の未来」をテーマに新作短編を製作するプロジェクト「Venezia 70 - Future Reloaded」(ベネチア70 - フューチャー・リローデッド)に息子(当時10歳)と共に参加。共作でダンボール製の怪獣とロボットが戦うファンタジー『捨てられた怪獣』を発表している。塚本監督の処女作は14歳で作った、水木しげるの同名漫画が原作の『原始さん』(1974)で、巨大原始人が街を破壊して自然に戻すという話だが、息子も同様に怪獣映画で処女作を飾るとは、血は争えないとはまさにこのことだ。

 その息子が、3歳の時に救急車で病院に運ばれたことがあった。当時、塚本監督は『悪夢探偵』(2007)の公開準備中で、急いで病院へ駆け付けた。息子は小康状態だったが、隣室の、長期入院中の子供たちがいる部屋の少年の姿が目に入った。夕方までは看病に来ていた母親と談笑していたほど体調良好に思われた。しかし、母親が病院を去ってから容体がみるみる急変し、医師の懸命な措置もむなしくこの世を去った。駆け付けた両親とお別れをする時間もなく、たった一人で。

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戦争への恐怖が、激しいシーンを生み出す! 映画『野火』より © SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 「日本に古来からある“七五三”は、昔は子供が成長するのが難しかったから、そうしたお祝いの行事が生まれたのだと聞きましたが、この医療が進んだ世の中で、小さな子供が目の前で命を落としたというのがショッキングでした。ちょうどその頃、同じ病院の、上の階では長く患っていた母親が入院していて、その日は息子と母の病室を行ったり来たりしました。自分の周りでさまざまな生命が渦巻いている感覚を味わいながら、でもやはり、ある年齢を経て亡くなるのはまだ納得できるけれど、まだこれから、未来がいっぱいつまった若い命が中断されることに、言葉にできない強い感情が残ってしまったのです」(塚本監督)

 幸い、息子の病気は子供がよくかかる病気で大事には至らなかったが、この頃、塚本監督は母親だけでなく、2009年には父親も脳梗塞で倒れた。そして2010年に母親、2012年に父親を、相次いで亡くした。この間、塚本監督はそれまで重要視していた海外映画祭への参加をなるべく控え、国内での仕事にまい進しつつ介護を行っており、影響が作品にも色濃く表れている。

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『BULLET BALLET』で俳優デビューした中村達也(写真左)は、映画『野火』でも伍長役で出演。前作で゛死のゲーム゛を楽しんでいた出射(中村)が、『野火』でリアルな戦場に放り込まれた!? © SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 その象徴たる作品が、2010年のNHKデジタル衛星ハイビジョンで放送された「妖しき文豪怪談/葉桜と魔笛」だ。太宰治の短編小説が原作で、主人公が病身の妹の世話をするという設定に、両親を介護した自身の経験を重ね、そして主人公の恋人が戦争に行って死んでしまうという設定に、若くして命を取られてしまう理不尽さを描いている。「病気と戦争の両方から、死のイメージが迫って苦悶(くもん)する主人公に強く共感して作りました」(塚本監督)。

■自称“妄想少年”が迎えた変化

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『BULLET BALLET』には塚本晋也監督も役者として出演している。 © SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER
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『KOTOKO』 © SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 塚本監督はそれまで、自称“妄想少年”で、頭の中にあった世界を映画という無限のキャンバスにぶちまけるように製作し、『鉄男 TETSUO』から全て、自分が観たい映画を作ってきた。だがこの頃は、命の喪失という自分の手ではどうしようもできない状況に対して、何ができるのかと必死でもがき、その感情を、作品を作ることで鎮めようとしていたように見受けられる。

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東日本大震災の余波が残る中撮影した『KOTOKO』でベネチア国際映画祭オリゾンティ部門のグランプリを受賞。この後、一気に『野火』の製作へと突き進んでいく

 その最たるものが、アーティストCoccoと制作した映画『KOTOKO』(2012)だった。Cocco演じる主人公・琴子は、子供への愛情が深過ぎるため、殺伐とした社会から必死で子供を守ろうとするあまりに行動がエスカレートしていってしまう。究極の外敵は戦争へと向けられ、我が子が兵役にとられて誰かに殺されるくらいなら、いっそ自分が……という脅迫観念にまで捕らわれていく。Coccoをイメージして作られたキャラクターだが、ここには同じ親である塚本監督の思いも強く投影されている。

 クランクインは2011年3月。その直前に東日本大震災、そして福島第一原発事故が起こり、予定していた撮影をいったん、延期にした。「撮影で赤ちゃんを起用していたこともあって放射能汚染を心配したし、そもそも映画撮影というのは電気を使用しますので、映画を撮ってもいいのか? とすら迷いました」(塚本監督)。

 撮影は、2週間後の3月27日に開始した。完成した作品は、その年のベネチア国際映画祭オリゾンティ部門に選出されて、グランプリを獲得した。あのときでしか撮れない感情や空気がスクリーンに確実に刻みこまれ、Coccoの熱演と共に、観る者を圧倒する作品となった。

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自然が美しい『野火』のフィリピン・ロケにて。 © SHINYA TSUKAMOTO / KAIJYU THEATER

 だが塚本監督は受賞の余韻に浸る間もなく、いよいよ長年構想してきた『野火』に着手しなければならないという思いを強くする。福島第一原発事故以降、放射能汚染の影響や、そもそも日本の原子力発電の存在意義を調べるにつれ、原発計画が推進されてきた背後に「戦争」の文字がくっきりと浮かび上がるようになってきたという。「そもそも僕は、東京で暮らしながら福島から電気が送られてきていることを、そのときまで知らなかったので、原発を福島の方に押し付けてしまったという共犯意識が湧いてきたんです。なぜ日本では原発計画が推進され、“もんじゅ”のような施設があるのか関連書籍を読みあさりました。でもどう調べても、『日本は核兵器も作れるんだよ』という抑止力のためじゃないの? そうしなきゃいけないの? という疑問がグイグイと迫ってきたんです。自分の中で、子供を守るのが難しい時代=次第に浮かび上がってきた戦争というものが完全に直結したんです」(塚本監督)。

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大岡昇平の遺族からの原作権許諾する旨の留守番メッセージが残された海獣シアターの電話。留守番メッセージの表示は、これからもずっと「1件」。

 『KOTOKO』の公開が一段落した2012年秋ごろから、塚本監督は本格的に『野火』の製作に向けて動き始める。そして、忘れもしない2013年3月27日に朗報が届く。肝心な大岡昇平の原作権の許諾は、10年前にも1度申請をしたのだが、塚本監督の製作体制が整わなかったこともありそのままになっていた。今回、改めて許諾をお願いする手紙を遺族に送ったところ、許諾の連絡が留守番電話に入っていたのだ。塚本監督の事務所「海獣シアター」の電話には、その伝言メッセージが今も残されている。

「これは記念すべき電話だから消さない」(塚本監督)。

 “伝言メッセージ1件”の表示は、海獣シアターの電話が寿命を終えるその日まで残されるに違いない。

映画『野火』は7月25日より渋谷・ユーロスペース、立川シネマシティほかにて公開
オフィシャルサイト

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