名画プレイバック

トランプ政権に揺れる不穏な今こそ観たい80年前の風刺コメディー『女だけの都』(1935年)

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『女だけの都』(1935年)より - (C)American Tobis Corp. / Photofest / ゲッティ イメージズ

 外国映画につけられる邦題には賛否両論分かれるものも多いが、これはうまくつけたと思う。原題“LA KERMESSE HEROIQUE(勇敢なお祭り)”が『女だけの都』(1935)となったフランス映画は、17世紀のフランドルの小さな町が舞台の艶笑(えんしょう)風刺劇。ハリウッドとフランスで活躍し、グレタ・ガルボ主演の『接吻』(1929)や『外人部隊』(1933)などを手がけたベルギー出身のジャック・フェデー監督の代表作だ。(冨永由紀)

 1616年、フランドル地方の町ボームは年に一度の祭りの準備に追われていた。町長や町のお偉方たちは着飾って集い、若い画家に肖像画を描かせている。町長夫人のコルネリアは使用人たちに次々指示を出しながら、幼いわが子の世話をし、16歳の愛娘・シスカの恋の相談にも乗り、と大忙し。すぐにわかるのは、男たちが見栄っ張りで呑気なこと。一方、女たちは商売に家事に子育てに……と働き者なこと。「バベルの塔」や「子供の遊戯」で知られる16世紀の画家ピーテル・ブリューゲルの絵画をそのまま映像化したかのように、あちこちでいろいろなことが同時進行していく様子が描かれる。『巴里の屋根の下』(1930)などルネ・クレール監督作で知られるラザール・メールソンの美術は見事だ。

 庶民の日常描写が続く中に突如、荒くれ男2人が馬に乗って現れ、彼らがもたらした「スペインのオリバーレス公爵と軍隊が町に立ち寄る」という知らせに町長や役人たちは震え上がる。軍による狼藉を恐れた男たちが思いついたのは、なんと町長が急死したことにして一行の滞在を断ろうというものだった。二言目には「女の出る幕じゃない」「国家存亡の危機に女はいらん」と吠えながら、打ち出してきたのは実に腰抜けな愚策。呆れ果てながらも、コルネリアは広場に集まった女たちに、天地創造の時から女の方が武装した男より強いと説き、「男たちに頼れないなら、私たち女だけでやりましょう」「素手でこの危機を乗り越えるのよ」と鼓舞する。そして女の機転と武器を駆使した懐柔作戦を指南する。

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 女傑のコルネリアを演じるのはフェデーの妻でもあるフランソワーズ・ロゼー。彼女をはじめ、町長役のアンドレ・アレルム、公爵役のジャン・ミュラー、司祭役のルイ・ジューヴェらが女の度胸と男の臆病さを達者な演技で描き出し、笑わせる。ストーリーもだが、目を見張るのは綿密に再現された17世紀のフランドルの風景だ。フェデーの製作意図の一つが故郷のいにしえの風景をスクリーンに蘇らせることだったというが、まさにブリューゲルの絵画の細部一つ一つをクローズアップしていくような映像になっている。

 男たちは“町長の喪に服す”という口実で後ろに隠れ、コルネリアたちが前に立ち、女だけの町として公爵たちを迎え入れる。思いがけないもてなしを受けた公爵は女たちに敬意を示し、一泊したら早朝には出発すると答える。一行にはイケメンの軍人たちに、猿2匹を連れた小人の道化や、見るからに生臭そうな司祭もいる。町の男たちは狭い一室に集まり、町長はベッドの上で文字通り死んだふりをして公爵の弔問を受ける。そんな彼らの姑息な芝居を見破った道化や司祭が見せる狡猾さが印象的。町の男たちから口止め料を受け取り、仕える公爵にも忠実な顔を見せ「これ以上悪事を働く前に戻ろう」と引き際を心得る。いわば、絶対に捕まらない本物の悪党だ。

 とにかく登場人物たちのキャラが立っているのが楽しい。女たちも、気丈なリーダーもいれば、腰の軽いタイプもいるし、シスカ(ミシュリーヌ・シェイレル)と若い画家ヤン・ブリューゲルのように町の大騒動はそっちのけで恋に夢中になっている者もいる。ジェンダー問題など発想もなかった80余年前の作品だが、スペイン軍の中には女嫌いで刺繍が趣味の軍人もいて、編み物好きなボームの役人と意気投合する様子も描かれ、現在のハリウッドに欠かせない“多様性”を早くも取り込んだと見ることもできる。その切り口は、今なら炎上必至のステレオタイプなものだが、1930年代という時代のなせる技でご愛嬌ということにしたい。祭りの夜の狂騒はブリューゲルの「農民の婚宴」や17世紀オランダの画家ヤン・ステーンの作品を思わせる。もう一つ、当時のハリウッド作品にはあり得ないのが、過去にスペイン軍が攻めてきた回想シーンだ。裸あり、残酷な拷問あり。と言っても昨今の映画に比べたらおとなしいものだが、ヘイズ・コード(アメリカで行われた映画の検閲制度)で規制の厳しかった同時代のハリウッドに対して、かなり攻めたリアルな描写だ。

 コルネリアと公爵のロマンス、ロミオとジュリエット状態の若い恋人たち、女たちと兵士たちの情事ありという展開は、あまりに弱腰な町の男たちの描き方と合わせて、公開当時のベルギーの観客からは祖先を侮辱していると猛反発を食らったという。だが、結婚と恋愛を別物と捉え、運命の恋人が伴侶になるとは限らないというのは、2017年の今もなお描かれる普遍的なテーマでもある。最終的に内助の功で手柄は男に譲るコルネリアが、女たちに訴えかけた言葉は、今年1月に世界各地で起きたウィメンズ・マーチ(トランプ大統領就任翌日に行われた女性の権利を主張するデモ)で語られたスピーチと並べてみても古さは感じない。それがいいことなのかどうか、と考えざるを得ない。時が経っても、良くも悪くも人間はそうは変わるものではないと思い知らされるのだ。

 フェデーは脚本のシャルル・スパーク、主演のロゼーとのトリオでヘヴィな心理劇『ミモザ館』(1934)を撮った後、軽く笑えて現代劇ではないものを、と考え、スパークが以前に出していたアイデアから本作をつくり上げた。スペイン軍の紳士的な侵攻者像は第一次世界大戦時のドイツによるヨーロッパ占領に好印象を与える、と当時ナチスの宣伝大臣だったヨーゼフ・ゲッペルスが作品を気に入り、ベルリン・プレミアにも出席した。だが、1939年に第二次世界大戦が始まるやいなや、本作はヨーロッパ各国で上映禁止になっている。不穏な空気が充満していた時代に作られた風刺コメディーは、なぜか2017年の今こそ旬を迎えているように思える。

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