オスカー受賞の辻一弘、苦悩と栄光「自分に合った生き方を」

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辻一弘さん本当におめでとうございます!

 映画『ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男』(3月30日公開)の主演ゲイリー・オールドマンを特殊メイクでかの有名な英国首相ウィンストン・チャーチルに変身させ、第90回アカデミー賞メイク・ヘアスタイリング賞に輝いた辻一弘。2012年に映画界を去った彼はなぜ本作を引き受けたのか。そして、栄光をつかんだ裏側にあった苦悩や信念を、辻本人が語った。(編集部・石神恵美子)

ゲイリー・オールドマンがチャーチル首相に変貌!映画『ウィンストン・チャーチル』予告編

これしかない!運命を変えた出会いたち

 現代美術の分野に転向していた辻を、映画界に引き戻したのが、主演のゲイリーだったというのは、アカデミー賞受賞のおかげで知られた話となっている。「ゲイリーさんと初めて会ったのは、『PLANET OF THE APES 猿の惑星』(2001)のときです」。同作への出演が決まっていたゲイリーの顔型を取ったりもしたそうだが、事情によりゲイリーが降板、そのときは初仕事とはいかなかったが、その後もたびたび縁があったという。「2002年に僕の師匠であるディック・スミスさんの誕生日のお祝いにつくった肖像の彫刻がありまして、ゲイリーさんがそれを見て感動されたそうで、いつか仕事したいと思ってくれていたらしいんです。2012年にも、ある人が僕のドキュメンタリーを撮って、ゲイリーさんがインタビューとナレーションをつけてくれました」。それから時が経ち、2015年。「ウィンストン・チャーチルの映画をつくるということで、もし僕がメイクをできるんであればやるけど、できないんであればつくらないと言われて。僕自身映画の仕事をもうやっていなかったので、どうしようかなと。映画の仕事が嫌で辞めて、芸術の方向にいったので。ころっと戻ったら、自分の人生を裏切っているような気がしたんです」。現代美術に転向してから、映画メイクの仕事は一切断ってきた辻。即答できずに1週間考え続け、下した決断には、自らが特殊メイクアップアーティストを志すきっかけになった作品の存在があったと振り返る。「ディックさんが俳優のハル・ホルブルックさんにやったリンカーンのメイクを見たときにこれしかないと思って、僕は始めたんですよ。特殊メイクやって23年くらいですけど、その中でホラーやコメディー、SFばかりで。自分がインスパイアされたリンカーンのような作品には恵まれなかったんですね。ここにきて、同じような系統の伝記ドラマの仕事だったので。あとは、ゲイリーさんと一緒に仕事したいと以前から思っていましたし、ちゃんとしたストーリーを持った映画で、やりたい内容のメイクだったので、考えた末にやりますと返事をしました」。

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ほとんど死んだような状況だった…苦悩の日々

 京都に生まれ育った辻は、学生時代、ディックさん本人とファンレターで交流しつつ、ヘアメイクを独学。1996年に単身渡米する。以降、『グリンチ』『メン・イン・ブラック2』など数多くのハリウッド作品を手掛け、『もしも昨日が選べたら』(2006)、『マッド・ファット・ワイフ』(2007)でアカデミー賞メイク・ヘアスタイリング賞に2年連続ノミネートされるなど、第一線で活躍してきた。はたから見れば、輝かしいサクセスストーリーの持ち主である彼がなぜ映画界を離れたのか? 「いろんな理由があるんですけど、嫌だなと思ったきっかけはある映画でとんでもない俳優と一緒に仕事をしたときです。メイクで色を塗っていると、突然、立ち上がって鏡をみて、ここの色は昨日と違うから直せって。実際につかっている色は同じなんですが、そういうのを毎日してくるわけです。ほかにも、撮影中にいなくなって、3時間後に帰ってきたらメイクがボロボロになっていて撮影できないとか……。撮影がはじまって2週間くらい毎日そういう感じで、プロデューサーや監督、そして一緒にメイクをしていたリック(・ベイカー)さんに、どうしたらいいかという相談をして。そしたら、リックさんがしばらく隠れてみろと、誰かほかの人にメイクをやらせてどれだけ時間がかかるか、どれだけ君が速くて上手だったかがわかるからって。それで電話がかかってきても出ずに、しばらく隠れ続けました。その間、本人も反省したようで、監督からそろそろ大丈夫だから、戻って来いと連絡が来て、その後90日間くらいの撮影をこなしました。でも、落ち込んでしまって。『何のために僕はやっているんだろう?』って。こんなひどい役者のために、なんで一生懸命がんばって、結果出そうとしているのかって。カウンセラーにも通いましたし、メイクは好きだったんですけど、行きついたのが映画は自分には向いていないと……」。知られざる苦悩の一方で、現代美術のあり方に心惹かれていたという。「僕がディックさんのためにつくった誕生日プレゼントの彫刻に、ディックさんが非常に感動して泣いてくださって。ディックさんだけでなく、彼を知っている人は涙目になって、すごく感銘した様子で作品を観てくださったんです。その光景にこういうのをやりたいと思ったんです。やっぱり、映画メイクの仕事って監督とかスタジオとかプロデューサーとか、いろんな人の意見が入るので、自分が最初に面白いと思っていたものが、どんどん削り取られていくものなんですね。それまでは、芸術家として生活するという発想がなかったので、映画の仕事を続けていたんですけど」。そして師匠ディックさんとの人生についての対話も辻の一大決心を後押ししたと続ける。「ディックさんが高齢になって、コネチカットからロサンゼルスの老人ホームに引っ越しされたんです。住まいが近くなって、人生についても話をするようになって。あんな経歴を持った人でも、やっぱり後悔というものがあったんですね。ああいうことやっていたらよかったなというお話をなさっていて。その時点で僕は人生を無駄にして、ほとんど死んだような状況だなと思っていたので、自分から変えないと手遅れになる、ダメになるなと思ったので、映画の仕事を切ることにしたんです」。

ディックさんのためにつくった彫刻と辻さん(2008年撮影) - Stephen Shugerman / Getty Images

外の世界を知る大切さ

 こうした紆余曲折を経て、手にしたオスカー像。「賞が最終的なゴールではないですけれども、認められるというか、結果がでるのはうれしいことです」と顔をほころばせる。しかし、現代美術の分野でやっていきたいという意志は固く、「映画界にどっぷり戻る気はありません。でも、オファーがいっぱいきているのと、僕がつくるファインアートの作品にはお金がかかるので。いい内容の映画であれば、お仕事を引き受けて、いただいたお金を作品づくりに使いたいと思っています」と今後の展望を明かす。そんな辻は学生たちへの講義も積極的に行っている。この来日中にも多忙なスケジュールの合間を縫って、関西で学生たちに講義をしてきたという。「僕がディックさんたちにそう教えられてきたんですよね。自分が学んだことを返さなきゃなっていうのはありますね」。本作しかり、数々の縁を引き寄せてきたのも、辻本人の信念と行動力があってこそだったのだとつくづく感じさせられる。「日本で一番になっても世界に比べたらたいしたことないんですよ。だから、出るべきなんです。僕が日本の学校で教えているときに言うのが、絶対に一か月は海外で生活しろと。外へ移るとかそういうことではなくて、外の世界を知ると、いろんなことが見えてくるので。日本のありがたみも、何が悪いかっていうのもわかりますし。あと、日本人の性格的に、敷かれたレールを生きるのはうまいですけど、そこから出るのはなかなかできないと思うんです。でもこれからの世の中、こうあるべきという生き方をしていたら、絶対に幸せになれないと思うんです。世の中、ものすごいスピードで変わっていますから。自分の方法を考えて、自分に合った生き方をそれぞれが見つけないと。そこが大事ですよね、恐れずに。というのは、何かを成し遂げるのに簡単なことなんて何もないんですよ。何らかの苦労は絶対しなくてはいけないと思っているので、どっちみちするのであれば、そこを突き抜けてやれば、すごいことが待っているので、いいことが。だからどんどん進んでいくべきだと思うんです」。

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