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映写機の光に映るタバコの煙が好きだった~豊田利晃監督~

がんばれ!ミニシアター

豊田利晃監督
豊田利晃監督

 新型コロナウイルスの感染拡大に伴い発令された緊急事態宣言を受けて現在全国の映画館では、休館など上映自粛が広がっている。なかでも経営規模の小さなミニシアターは大きな打撃を受けて閉館せざるを得ない可能性もある危機的な状況だ。今だからこそ、ミニシアターの存在意義について、今の日本映画界を担う映画人たちに聞いてみた。

 『青い春』(2001)、『ナインソウルズ』(2003)などで知られる豊田利晃監督は、大阪府大阪市出身。中学、高校の頃は、梅田にあった名画座、大毎地下劇場、同じビルの最上階にあるパイプイスのミニシアター、毎日ホールの常連だったという。低料金で名画の二本立てが観られたこの映画館は入れ替え制でもなく、当時は朝からずっといられる場所だった。

 「アメリカンニューシネマから、フランシス・フォード・コッポラ、マーティン・スコセッシ、スタンリー・キューブリック、あらゆる時代の映画をむさぼるように観ていました。学校にはあまり通っていなかった僕にとって、映画館が学校のようなものでしたね。でも、必ず、眠くなって最後まで通して観られないので、ずっと映画館にいました」と学生時代を振り返った。

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 映画漬けだった日々の中、豊田監督が今でも忘れられない一本があるという。「今でも心に残っているのはベルナルド・ベルトルッチ監督の映画『1900年』です。この映画は5時間以上あるので、学生の僕は必ず途中で眠ってしまって、全部観終わるまで何日も劇場に通いましたね」

 また、思春期の豊田監督にとって、ミニシアターは普段関わりのない大人たちに混ざることのできる、特別な場所でもあったという。心に残っているのは、黒澤明特集だ。「黒澤映画は長いので休憩時間があります。その間、場内はクラシックが流れていて、喫煙&トイレタイムで、大人たちの前半の感想を盗み聞きしているのが楽しかったです」。

 夢中になって、映画を観ていた青年時代から40年。日本の劇場風景は、あの頃から大きく変わった。90年代になるとレンタルビデオ店が作られ、現代では生活の中には映画の配信サイトが当たり前のようにある。私たちはいつでもどこでも好きなときに映画を観ることができるようになった。便利な一方、劇場離れは進んでいる。

 豊田監督は「DVDや配信ですべての映画が観れる現在と、僕が通っていたときとは状況が異なります。僕の通っていた80年代前後は映画館に行かないと観たい映画が観られなかった。それに映画館で煙草を吸いながら、映画を観ていた時代でした。映写機の光に映る煙草のケムリが好きでしたね」と懐古する。

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 昨年4月、豊田監督は祖父の形見である拳銃の不法所持を理由に逮捕された。当然不起訴処分となり、9日間で釈放されたにもかかわらず、監督を待っていたのはマスコミとネットリンチとも言える壮絶なバッシング。世間の矛盾と不条理に対し、「監督として、映画で返答する」という想いのもと製作したのが短編映画『狼煙が呼ぶ』(2019)だ。

 「こんな時代だからこそ、声を上げることが必要」と、魂を込めて世に放った。そんな豊田の熱い思いに呼応したのが、全国のミニシアター。監督や役者自ら劇場に電話をかけて直談判した結果、37館ミニシアター一斉上映という史上初の試みを実現させた。

 全国のミニシアターをまわり、舞台挨拶を敢行した豊田監督は、ミニシアターが直面している問題を目の当たりにしたという。

 「僕が回った地方のミニシアターのほとんどは、シニア層に支えられている状況でした。『狼煙が呼ぶ』の上映のときだけ、普段とは違う刺青率が高かめの客層が来ていたと聞きます。若者を集めたいと思って企画したものだったので、彼らが他の映画も観に来てくれることになればいいと思っていました」。

 豊田監督は1人でも多くの若者に、映画館で観る体験の面白さを知ってもらいたいという。「映画館は世界の広場。自分が若かった頃、多くのことを学びました。家に居ることでは学べなかった愛情、友情、夢、ロマンス。多くの、あるいは少しの他人と同じ映画を共有することで、心が落ち着くような作用があった気がします。自分1人ではないことを体験してもらいたい」。

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本来であれば東京オリンピックが開催される予定だった2020年7月24日、「オリンピック開催中は映画館にお客様が来なくなる」という話を聞いた豊田監督は、「ならば、その期間を俺にください。映画に何ができるか勝負してみたい」と劇場に願い出て、最新作『破壊の日』(2020)の公開を決定していた。クラウドファンディングとともに製作も進行中だった。

 コロナ禍と映画について豊田監督は「『破壊の日』は東京五輪を控え、強欲という物の怪に取り憑かれた社会をお祓いしてやろうと思い、今年の一月に企画をたちあげました。しかし、その物の怪はコロナという現実的な脅威、あるいはコロナに脅える人の心に変貌しました。コロナはいずれ収束に向かっていくと思います。でも、一度植えつけられた恐怖心を振り払うことはなかなか難しいことだと思います。映画が、その恐怖心を少しでも
ふりはらうことができれば作る意味があると思っています。 映画の内容は大きくは変わらないのですが、この状況を受け止め、何を表現することができるのか、もう一度脚本を練り直しました」と話す。

 だが、撮影自体はコロナの影響を直に受けてしまっている状況だ。「現実的に撮影を予定していた場所もストップがかかり、参加を熱望していたキャスト、スタッフもこの状況に面食らっています。最初の予定通りには進まなくなったという現状です。

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 しかし、あきらめてはいません。音楽録音とロケハンは進んでいます。縮小はまぬがれないが、撮影に挑むつもりでいます。収束の先が見えない中ですが、緊急事態宣言が終われば、キャスト発表、音楽発表をしたいと思っています。もうしばらく、お待ちください」と訴えた。

 ミニシアターの危機、そして自身の映画もまた撮影中断を余儀なくされている豊田監督だが、映画への情熱だけは尽きることなく戦い続ける。

 「映画文化は危機を迎えているとは思っていません」と断言する監督からは、辛辣な言葉も飛び出した。「くだらない映画が多過ぎるのは事実です。テレビのほうが向いている映画も、映画館で多くかかっています。でも、そんなことは自分には関係がありません。自分は自分が今、必要だと思う映画を作るだけです」

 最後に豊田監督は映画ファンに向け想いを伝えた。「元の生活に戻るには時間がかかると思います。新しい生き方に切り替えることに腹をくくるにも、勇気がいることだと思います。自分自身もそのことを突きつけられています。

また、新しい映画も求められている気がしています。映画を撮る意味、生きる意味を、再び証明したいと思っています。今はできることを粛々と進めています。みなさんも、祝祭の日を待ちながら、身体と心を大切にお守り下さい」

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 新しい映画が作られなければ、映画館は何もできない。映画を作る人たち、届ける人たち、その中心にあるのはやはり映画製作。豊田監督には、コロナ禍にも、延期された東京五輪にも屈することなく、私たちの魂をひっつかむほどのエネルギーに満ちた映画を撮り続けてもらいたい。(森田真帆)

豊田利晃オフィシャルサイト(https://www.imaginationtoyoda.com/)
ミニシアター・エイド基金 (https://motion-gallery.net/projects/minitheateraid)

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