「べらぼう」平賀源内役・安田顕がうれしかったスタッフの言葉

大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(毎週日曜NHK総合よる8時~ほか)で、横浜流星演じる主人公・蔦屋重三郎の進む道にヒントを与える才人・平賀源内を演じる安田顕。本草家、戯作者、鉱山開発者、発明家……とマルチな才能を発揮する源内を、何ともハートフルに演じた安田が、これまでの撮影を振り返った。
本作は、江戸時代中期を舞台に、喜多川歌麿、葛飾北斎、山東京伝、滝沢馬琴を見出し、東洲斎写楽を世に送り出した“江戸のメディア王”蔦屋重三郎の立身出世の物語。そんな蔦重の進む道に、独創的なアイデアとポジティブ思考で光を照らすのが平賀源内だ。安田は軽やかかつ、深みを持って源内を演じた。
安田はこれまで演じてきた源内を振り返り「この作品の中で描かれている源内さんはとにかく人間味のある人物。いろいろな人物が出てきますが、お城と市中、そして吉原という普通だったら相容れない人たちの橋渡しをする役。その意味でとても楽しかった」と、作品の中でハブの役割を果たした源内に魅了されたという。
安田の話す通り、交わるはずのない人間たちを繋ぐ存在である源内。安田は「源内さんも相対する人によって立場が変わるんですよね。だからこそ、その都度“源内さん、今どうしたい?”という感じで、心の中で会話しながらお芝居をしていました」と役との距離感を述べる。
常に蔦重の進む道に、源内らしいカラッとした笑顔で光を照らすシーンは、大きな話題になっていたが、安田は第5回「蔦(つた)に唐丸因果の蔓(つる)」で、源内が蔦重に「自由」についての解釈を述べるシーンが非常に印象に残っているという。
安田は「どんな人間でも何かに属さずに生きていくことってなかなか難しいじゃないですか。その意味で“自由とはなんぞや”という言葉は、とても共感できると思うんです」と語ると「彼は“自らの思いに由(よ)ってのみ、我が心のままに生きる。わがままに生きることを自由に生きるっつうのよ。わがままを通してんだから、きついのはしかたねぇや”って言うわけですよ。この言葉を書いた(脚本の)森下佳子さんはすごいと思う」としみじみ。安田いわく「自由を求めたことで、歴史上排他された人はいっぱいいらっしゃると思うし、悲しいかな、これからも出てくると思うんです。その意味で“自由とはなんぞや”という言葉はなくならないんじゃないかなと思うんです」と思いを述べていた。
そんな源内も第16回「さらば源内、見立は蓬莱(ほうらい)」でその生涯の幕を閉じた。クランクアップしたときの心境を「僕は横浜さんや(瀬川役の)小芝(風花)さんのように、ずっと通して長い時間やっていたわけではないので、“あー終わったか”みたいな気持ちだったんです」とフラットな状態だったことを明かすが、一方で全体を通して、監督をはじめスタッフたちの作品への熱い思いに、いたく感動したという。
安田は「今回の大河ドラマは、本当に監督さん、スタッフさんがみんなで『べらぼう』という作品を一緒に作り上げていこうという思いがひしひしと伝わってきたんです。メイクさんや、かつらを作ってくださる床山さんが、源内が亡くなるときについて“こういう状態だったのかもしれないね”といろいろと考えてくださいました。そこで最後、幻聴が聞こえてどうしようもなくなってしまった芝居をしたあと、床山さんが“いいね!”と言ってくださって、“じゃあ、牢屋に入ったとき、少し髪をぐちゃぐちゃにしちゃおう。髭もつけよう”と提案してくださったんです」と裏話を披露する。
そんな床山の発言に安田は「床山さんにとってかつらって一つの作品であり、ご本人の分身でもあるぐらい大切なものだと思うのですが、それを“やっちゃおう”と言ってくださることにも感銘を受けました」と正直な思いを語ると「オールアップしたとき、これまでたくさんの大河ドラマや朝ドラを手掛けてきたメイクさんが“これまでもいろいろな方が源内さんをやっていますが、安田さんの源内さんはとても人間ぽかったです”と伝えてくださったんです。どんな言葉もありがたいのですが、すごく嬉しかったです」と、ずっと心に残っている言葉だったという。
今後、蔦重はさらにメディア王への道を邁進し、エンターテインメントを世に広めていく。安田はエンタメに対して「人を楽しませるもの、人に喜んでもらえるもの」と定義すると「役者業というのはそういうものじゃないとか、人間っていうのはそんなものじゃないなんて話もあって、葛藤もありますが、でもやっぱり人に喜んでもらうものという部分を持っていなければ、幅が出ないと思うんです」と持論を展開する。
さらに安田は「この間、宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区という場所に行きました」と語ると「皆さん大河ドラマを観てくださって『源内さんだ』と声を掛けてくださる。でも14年前の東日本大震災で、大きな被害を受けて何もなくなってしまった場所だったそうです。いまは小中一貫校ができているのですが、その隣に慰霊碑が立っているんです。子どもたちの部活動の声が聞こえる中で、当時同じ年頃で津波でなくなられた方々の慰霊碑を見ました。そうした状況において、エンターテインメントって何だろうと考えると思うんです」と複雑な胸の内を明かす。「でも生活していくなかで、やっぱりエンターテインメントというのは欠かせないものだと思うし、生きている人たちにとっては励みになる。共感を持って次の日も生きて行こうと思う人もいるかもしれない。そういう声を聞くと、エンターテインメントに関わる者としてはありがたみを感じています」と思いを語っていた。(取材・文:磯部正和)


