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Q:始めにボランティアとして参加されたあなたが、なぜカメラでの撮影を最終的に選択したのですか?
(アンジェロ)わたしは、2日目からボランティアに参加し、初期の段階では2、3日の予定でしたが、長期間われわれを必要としているということは明らかでした。活動を終えた後、われわれは全員、精神科医を訪問し、この9・11の惨事、救済活動していると、われわれにどういう感情的な影響を及ぼすのかを皆で話し合ったんです。そのなかで、精神科医の一人が、「あなたにとってあの日に何が起きたか把握するのに映画を作ることが最適である」と言ってくれたのです。その直後、撮影に入りました。
Q:あの時期は、付近に住んでいる人たちでさえID(身分証明書)を確認されましたよね? そんななか、どうやって撮影許可を手に入れたのですか?
(アンジェロ)はい、実際カメラを隠しながら撮影していました。ソニーの8ミリのdigital high 8カメラで、ちょうど小さくてバックパックに入れられたんです。それと$28でRadioshackで買ったマイクロフォンを使って撮影していました。われわれには予算がなかったからです。わたしの友人がたまにもっと高精度のカメラを使い、手伝ってくれていましたが、自分にとってこれが動き回るのに撮影しやすかったです。
Q:参加されていた皆さんは、自らの人生を脇に置き、活動されてた訳で、実際仕事を辞めていた方もいらしたのですか?
(アンジェロ)ある人は休暇を取って、ある人は元々無職、ある人は金持ち、残りは僕みたいに会社と交渉してうまくやって参加している方もいました。 |
Q:映画内で被災の直後は呼吸困難な状況下に置かれているシーンもある訳ですか、煙、ホコリなどで体の調子が悪くなる人は、いなかったのですか。 |
アンジェロ)何人かの人は、今でも呼吸する際に問題を抱えていて、深呼吸するのも大変らしいです。当時は、マスクを常時付けてやっていたのですが、付けっぱなしだと、まったくしゃべることができないのです。そのため、あるときは外したり付けたりしてました。
Q:9・11関連映画で話題のもう一つの作品『ユナイテッド93』があり、彼らの配給会社ユニバーサルが、公開初めの週の興行10%をチャリティーに送ったのですが、それに関してどうお考えですか?
(アンジェロ)9・11を制作している方々、特にスタジオや会社を含め、誰も金儲けのためには行動していません。わたしたちの映画の場合は、興行のすべてが、9・11の犠牲者の家族団体に送られることになっています。
Q:この映画を若者や観客にどう見てもらいたいですか?
(アンジェロ)どんな惨事であっても、一般市民の力を強調しすぎることはありません。彼らが、毎日並外れたいたわりと優しさという行動でこの地球を救済しています。ある人は、盲人に本を読んであげたり、ある人は、津波の救済に自分たちの人生を捧げ、恵まれぬ不幸な人々へ助力しています。人生で必要不可欠なものであると思います。彼らのために映画制作ができたのは、わたしにとって確かに名誉なことでした。
この他に9・11を題材にした映画で『Saint of 9/11』『Civic Duty』という映画がある。前者は、フランシスコ修道会の聖職者であるマイケル神父、彼は消防署付きの牧師でもあり、あの世界貿易センターの倒れ崩れてくる混乱の中、必死に救出する消防士たちの横で祈り続け、不幸にもそれで亡くなった方。聖職者、人間としての天命を全うされた人で、その彼の生前の話を描いている。後者は、9・11後の何かと異常に敏感になりつつある社会状況下で、市民が、怪しげで不信な隣人と立ち向かおうとする、9・11のもたらした影響を描いている。
今でも9・11の関連記事が毎日のように文面になり、ついこの間も同時テロの陰謀者の一人と思われていたのザカリアス・ムサウイが終身刑の評決が下されたばかりである。彼はもっとも主要な役割でないとみなされ死刑を免れていた。あの惨事から2、3日経った後の少し離れたアップタウンでさえも、焼き焦げたような匂いが充満していて、それが今でもわたしの鼻先と脳裏に焼き付いている。ニューヨーカーにとってあの日は、これからの人生での分岐点を見い出させ、われわれを結束をさせた特別の日であった。そして、わたしはこれらの映画が公開され、受け入れられたとき、復興の基盤がさらに強固なものになると信じている。
(ニューヨーク:細木信宏)
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細木プロフィール
海外での映画製作を決意をする。渡米し、フィルム・スクールに通った後、テレビ東京ニューヨ-ク支社の番組モーニング・サテライトでアシスタントして働く。しかし夢を追い続ける今は、ニューヨークに住み続け、批評家をしながら映画製作をする。 |
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