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9・11の悲劇を描いた『ユナイテッド93』のポール・グリーングラス監督

この人の話を聞きたい

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彼ら(テロリスト)が例外的な若者であると疑う余地はありません。誰も彼らに気付かないのです。誰も彼らの隣に座って、彼らにあなたは人間じゃないと言えません。彼らもわれわれに似ているのです~この人の話を聞きたいその4~ポール・グリーングラス監督~

あれは、まだ夏の強い日差しが摩天楼をすり抜けて、闊歩(かっぽ)するニューヨーカーの足下を照らし出していた清々しい朝だった。その永遠のごとく澄んだ青空に黒雲が立ち込み始め、竜のごとく立ち上がった煙は、瞬時に生命あるもの全て飲み込み,われわれを暗闇の悲劇に陥れていった、あの日……9・11。
 
だが、この町を溺愛し、鋼のような魂を持つ彼ら(ニューヨーカー)の心は、灰ごときに埋もれるものではなかった。そして、その市民の気丈な精神に拍車をかけ、復興に寄与するためにすぐ名乗りを上げたのが、このシティー生粋の一流俳優であるロバート・デニーロ。
 
その彼が、ジェーン・ローゼンソールらとともに、再建を目指して開催したトライベッカ映画祭。その映画祭も今年で5年の月日を迎え、40か国以上の国から274作品を選考し公開された。そして今回、月日の経過ゆえか、癒されることのない9・11犠牲者の深い傷は、数作の映画という形態で、再び表にさらされる事になった。
そこで、それぞれの9・11作品に関わった監督2人にインタビューを敢行した。
『ユナイテッド93』 ポール・グリーングラス監督
Q:このトライベッカ映画祭のオープニングを飾るということは、あなたにとってどれほどの意味合いがありますか?
 
(ポール)非常に重要なことです。ニューヨークだから名誉なことでもあり、心配でもあり、謙虚な気持ちでもあります。わたしがこの町に初めて来たのが、実際少年時代で、18歳の時には、その一年の大半をこの地で過ごしました。誇張する訳ではないのですが、わたしは、(この町)で男になった気がします。今でもよくストリートを歩いていたのを覚えてます。
 
Q:議論するのには、少し早すぎるという人もいますが、あなたはどうお考えですか?
 
(ポール)議論することが早期であるかに関しては、一般の人たちが観賞するまで分かりません。(犠牲者の)家族たちで観賞した方々は、驚くほど支援してくれています。
 
Q:どのように情報収集なさったのですか? それについ最近、操縦室を録音したものが法廷で公聴されましたが、あのデータを反映するために変更しようと思ったことはありますか?
 
(ポール)わたしがこの映画を制作した時、皆さんに念頭に入れて欲しいことは、わたしはこのような種類の題材を扱った映画をキャリアにして撮り続けてきました。その多くは、北アイルランド、それだけじゃなく中東も、それに作り上げてきた作品すべてが、テロリズムを扱った映画ばかりではなく、映画のために、常に何が起きたか告げてくれるような地域に、ここ何年か舞い戻って撮影をしていました。
 
さて、質問の件なのですが、わたしは映画を制作するために限られた時間内で、筋が通っていて、広範囲の資料を集めます。その中で私の観点から必要だと思うのは、専門家としての立場から自ら進んで再現してくれる人々を一緒に集めることです。俳優だけじゃなく、一番重要ですが、俳優と専門職の人々の間で、実りのある肥沃な間柄を保ち、2、3か月一つの場所に集め、自分たちの知っている真実に基づいて探求してみようと試みます。俳優のグループ、家族、真のパイロット、真のフライト・アテンダント、真の軍隊、あの日の航空管制室、そのほかの人々。そして彼らと会話をしていき、お互いに同意しないところも、統合させなければなりません。今回、ユナイテッド93の乗客が、実際に手押しのワゴンを手に入れ、機内の後部から走らせたりすることが可能だったか? ちょっと神話的な感じがします。実際に機内後部にフライト・アテンダントと座ってみてそれが可能じゃないことが分かりました。手押しのワゴンを通路を走らせるのにも困難でした。
 
もう一つは、40フィートも離れていないところで人が爆弾を持っている訳です。そうすると、手押しのワゴンで後ろから人に向けてそれを前進させることがあるだろうか? それとも体がでかく、一番早い人を選択し、その行為を試みるのだろうか? 何か真実と感じるものを作り出す時の試みは、思考判断を大目に見る必要はあるかもしれません。
Q映画の中で、あなたは、1人のテロリストが電話して『愛している』と告げるところを見せている訳ですが、なぜあなたは、彼らに人間味を持たせることを決意したのですが?
(ポール)彼らがどういう人たちであったかを考えずには、この映画を観ることができないとわたしは思います。映画は、彼らの最も非道で残虐な行動に判断を下しています。問題なのは、彼らが人間ではないと、われわれが思うことの方がたやすいことではないでしょうか? わたしは、いまだこの危険性があるという事実に、われわれは直面しなければならないと感じます。多くの若者が星条旗を掲げ大挙し、イスラム人をハイジャクしそれを曲解しかねないのです。
 
一つ分かっていることは、彼らが例外的な若者であると疑う余地はありません。誰も彼らを気付かないのです。誰も彼らの隣に座って、彼らにあなたは人間じゃないと言えません。彼らもわれわれに似ているのです。彼らが愛していると告げる特別なシーンに際しても、彼らは例外には見えないのです。わたしは、2つの愛しているという表現をフレームにしたかったんです。映画内でトーマス・E・バーネット・JRが彼(テロリスト)の横に座り、月並みなビジネスの電話をかけながら、全く何も異変に気付いてない時、彼の隣にいる男は今まさに動き出し、大量殺人を試みる寸前で愛していると告げるのです。そして一時間後に、トーマス・E・バーネット・JRが再度電話をかけ、妻に別れを告げながら愛していると伝えるのです。わたしは、それを対称的にしたかったんです。
『ザ・ハート・オブ・スティール』(The heart of steel)アンジェロ・J・グリエルモ・JR監督
Q:始めにボランティアとして参加されたあなたが、なぜカメラでの撮影を最終的に選択したのですか?
 
(アンジェロ)わたしは、2日目からボランティアに参加し、初期の段階では2、3日の予定でしたが、長期間われわれを必要としているということは明らかでした。活動を終えた後、われわれは全員、精神科医を訪問し、この9・11の惨事、救済活動していると、われわれにどういう感情的な影響を及ぼすのかを皆で話し合ったんです。そのなかで、精神科医の一人が、「あなたにとってあの日に何が起きたか把握するのに映画を作ることが最適である」と言ってくれたのです。その直後、撮影に入りました。
 
Q:あの時期は、付近に住んでいる人たちでさえID(身分証明書)を確認されましたよね? そんななか、どうやって撮影許可を手に入れたのですか?
 
(アンジェロ)はい、実際カメラを隠しながら撮影していました。ソニーの8ミリのdigital high 8カメラで、ちょうど小さくてバックパックに入れられたんです。それと$28でRadioshackで買ったマイクロフォンを使って撮影していました。われわれには予算がなかったからです。わたしの友人がたまにもっと高精度のカメラを使い、手伝ってくれていましたが、自分にとってこれが動き回るのに撮影しやすかったです。
 
Q:参加されていた皆さんは、自らの人生を脇に置き、活動されてた訳で、実際仕事を辞めていた方もいらしたのですか?
 
(アンジェロ)ある人は休暇を取って、ある人は元々無職、ある人は金持ち、残りは僕みたいに会社と交渉してうまくやって参加している方もいました。
Q:映画内で被災の直後は呼吸困難な状況下に置かれているシーンもある訳ですか、煙、ホコリなどで体の調子が悪くなる人は、いなかったのですか。
アンジェロ)何人かの人は、今でも呼吸する際に問題を抱えていて、深呼吸するのも大変らしいです。当時は、マスクを常時付けてやっていたのですが、付けっぱなしだと、まったくしゃべることができないのです。そのため、あるときは外したり付けたりしてました。
 
Q:9・11関連映画で話題のもう一つの作品『ユナイテッド93』があり、彼らの配給会社ユニバーサルが、公開初めの週の興行10%をチャリティーに送ったのですが、それに関してどうお考えですか?
 
(アンジェロ)9・11を制作している方々、特にスタジオや会社を含め、誰も金儲けのためには行動していません。わたしたちの映画の場合は、興行のすべてが、9・11の犠牲者の家族団体に送られることになっています。
 
Q:この映画を若者や観客にどう見てもらいたいですか?
 
(アンジェロ)どんな惨事であっても、一般市民の力を強調しすぎることはありません。彼らが、毎日並外れたいたわりと優しさという行動でこの地球を救済しています。ある人は、盲人に本を読んであげたり、ある人は、津波の救済に自分たちの人生を捧げ、恵まれぬ不幸な人々へ助力しています。人生で必要不可欠なものであると思います。彼らのために映画制作ができたのは、わたしにとって確かに名誉なことでした。
 
 
この他に9・11を題材にした映画で『Saint of 9/11』『Civic Duty』という映画がある。前者は、フランシスコ修道会の聖職者であるマイケル神父、彼は消防署付きの牧師でもあり、あの世界貿易センターの倒れ崩れてくる混乱の中、必死に救出する消防士たちの横で祈り続け、不幸にもそれで亡くなった方。聖職者、人間としての天命を全うされた人で、その彼の生前の話を描いている。後者は、9・11後の何かと異常に敏感になりつつある社会状況下で、市民が、怪しげで不信な隣人と立ち向かおうとする、9・11のもたらした影響を描いている。
 
今でも9・11の関連記事が毎日のように文面になり、ついこの間も同時テロの陰謀者の一人と思われていたのザカリアス・ムサウイが終身刑の評決が下されたばかりである。彼はもっとも主要な役割でないとみなされ死刑を免れていた。あの惨事から2、3日経った後の少し離れたアップタウンでさえも、焼き焦げたような匂いが充満していて、それが今でもわたしの鼻先と脳裏に焼き付いている。ニューヨーカーにとってあの日は、これからの人生での分岐点を見い出させ、われわれを結束をさせた特別の日であった。そして、わたしはこれらの映画が公開され、受け入れられたとき、復興の基盤がさらに強固なものになると信じている。
(ニューヨーク:細木信宏)
細木プロフィール
海外での映画製作を決意をする。渡米し、フィルム・スクールに通った後、テレビ東京ニューヨ-ク支社の番組モーニング・サテライトでアシスタントして働く。しかし夢を追い続ける今は、ニューヨークに住み続け、批評家をしながら映画製作をする。
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