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アメリカのエアギターの歴史をつづった映画を撮った男とエアギタリスト

この人の話を聞きたい

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人の集まるエアギター選手権だと、もちろん即興的な部分もありますが、自分のパフォーマンス次第では、まるでステージの上でロックスターになったかのような気分を味わえるんです。-ビィヨーン・トゥロック-~この人に話を聞きたい~その14:アメリカのエアギターの歴史をつづった映画を撮った男とエアギタリストに話を聞く
左がアレキサンドラ・リプシッツ、右がビィヨーン・トゥロックミュージシャンでなくとも、体が本能的に曲のリズムに合せて動いている時はないだろうか? それはアーティストの魂の音が全身に注入され、陶酔の世界へと誘ってくれるからかもしれない。
 
しかし、われわれの中で実際にギターを弾きこなし、熟達したプロのレベルでステージに立つことができる人は、ごく稀だ。ところが実際に楽器を持たず、好みの演奏者を模倣しながら、自らの湧きたつ想像力による演技(パフォーマンス)のみで表現している連中がいる。
 
そんな彼らをエアギタリストと呼ぶ。その起源にはいろいろな説があるが、一般にはヴォーカリストが、横にいるギタリストのソロ演奏を見て、その手持ち無沙汰を避けるためにマイクスタンドをギターに見立てて、弾くまねをしたところから始まったと言われている。
 
この歴史の浅いエアギターが、知名度を獲得し始めたのは1996年フィンランドの南部でストリート・イベントのパフォーマンスとして行われてからである。その2年後フィンランドのオウルで行われるMusic Video Festivalの一環として、エアギターの世界チャンピオンを決める大会が毎年開かれるようになった。
多くの国で競技会が組織化される中、本場アメリカが、この大会にようやく加わったのは2003年であった。今回は、そのアメリカ・エアギター草創期から、彼らが世界大会の頂点に登り詰めるまでのドキュメンタリー映画を紹介しようと思う。そして、その作品『Air Guitar Nation』(原題)の監督アレキサンドラ・リプシッツ、エアー・ギターリスト・ビィヨーン・トゥロック(本名ダン・クレーン)に語ってもらった。
映画『ハリウッドランド』に関して!
C-DiddyQ:まず始めに、なぜエアギタリストになろうと決心されたのですか?
 
(ビィヨーン・トゥロック)私は郊外に住んでいた子どもの頃に、将来は絶対にロックスターになろうと決意したんですが、長い間バンド活動を続けてみても、大舞台で演奏する機会がありませんでした。それが人の集まるエアギター選手権だと、もちろん即興的な部分もありますが、自分のパフォーマンス次第では、まるでステージの上でロックスターになったかのような気分を味わえるんです。
 
Q:リアリティーTV番組(脚本を書かず、隠しカメラを使って芸能人や一般人の生活ぶりを追う番組)として始まったと聞いているのですが、それがどういう過程で映画になったのでしょうか?
 
(アレキサンドラ・リプシッツ)企画を考えてた時期に、ちょうどイギリスのリアリティーTV番組「ポップ・アイドル」(日本の番組だと「スター誕生」みたいなもの)が大ヒットして海を渡り、2002年に「アメリカン・アイドル」と改名して全米で放映されたんです。
 
その時に、U.S エアギターの創始者であるクリスチャン・スカーが、この番組に対抗した形でエアギターを扱って(一見は、才能がなくともやれそうに見えるため)、それをアンチ・アメリカン・アイドルとするコンセプトで番組を企画しようと考えていたんです。
 
始めは、VH1(アメリカのケーブル番組)で、8つのエピソードを放送する予定だったんですが、その時期にやっていたライザ・ミネリのリアリティーTV番組が大ハズレしてしまい、VH1自体がリアリティーTV番組に逃げ腰になってしまったんです。そのため残念ながらTV番組にはならなかったものの、こうして晴れて映画になりました。
ビィヨーン・トゥロックQ:あなたは再び世界選手権に挑戦してみようとは思わないのですか?
 
(ビィヨーン・トゥロック)2003年から3年間、パフォーマンスをやり続け、2005年にニューヨークで優勝したんですが、国内のチャンピオンシップで、また2位に終わってしまって、それを最後に引退しました。(ちなみに彼は参加した11大会で、5回2位についている)。その後はT「To Air is Human」という著書を出しまして、最近は直接大会に参加してはいないのですが、今でもエアギターとの関わりは保っています。
 
Q:映画の制作費として、ほとんどの予算は、作品の中心である有名な曲の著作権を確保することに費やされたのでしょうか?
 
(ビィヨーン・トゥロック)私は今でも、”Nous Non Plus"というバンドでベースをやっています。アレキサンドラから20曲近くの有名な曲を演奏するように頼まれ、その中で9つの曲を演奏しました。
 
もちろん映画で使用される音楽は、すべて著作権が必要であり、その権利を2年間スマッシング・パンプキンズのビル・ゴードンと、曲を書いていた女性がミュージック・クリアレンス(音楽の著作権使用の許可を得る人)として権利を確保してくれたんです。作品内での選曲は、最終的には予算と釣り合ったものだったと思います。
 
Q:あなた方にとってエアギターにふさわしい究極の曲名を教えて下さい?
 
(アレキサンドラ・リプシッツ)一曲だけではないのですが、The Breeders の曲”Cannonball"とRage against the Machineの曲”Killing in the Name"が合っていると感じています。
 
(ビィヨーン・トゥロック)個人的に好きなのは、パンクのThe Dead Kennedysの”California Uber Alles"とMotorheadの”Ace of Spades'なんかが適しているけれど、僕自身はレゲエ以外の曲だったら何でも出来るんじゃないかと思っています。
エアー・ギター世界選手権の観客Q:ドリームワークスがエアギターのストーリーのオプション(選択権)を持っていると聞いたのですが、これに関して新しいエアギターのプロジェクトが製作されることはあるのでしょうか?
 
(アレキサンドラ・リプシッツ)その話は私も聞いた事があるのですが、ハリウッドという場所は面白い所で、オプションを持っていても、長い間、それをどうやって宣伝していこうか考えている事が多いのです。今のところは、彼らと何ら関係はありません。現在私は、エアギターのミュージカルをやってみたくて、今度はブロードウェイのプロデューサーと会うことになっています。今は、その話を2003年の世界チャンピオンのC-Diddy(本名デビット・ジャン)にしたら、彼も乗り気になってくれていて、それが実現できたらいいなぁと思っています。
 
Q : 作品の製作から4年が経ちましたが、エアギターの現状をあなたの今の心境と共にお話し下さい?
 
(アレキサンドラ・リプシッツ)現在もエアギターのチャンピオンシップ(世界選手権)は成長を遂げていて、毎年盛大に行われています。国内(アメリカ)でも6月から15~20都市で予選が開催されています。私の心境は、実際映画を製作しても映画館で上映される可能性が薄い状況下で、ようやく公開にたどり着けたという喜びと安堵感があります。
 
もちろんメジャー映画みたいに、いきなり2000館で公開ということはないのですが、私はこの映画をゆっくりツアーをするみたいに全米の各地で宣伝をしながら上映館数を少しずつ増やしていこうと思ってます。


大会は、基本的に60秒のパフォーマンスで行われ、採点は、オリジナリティ、リズム感、カリスマ性、テクニック、芸術性とエアー度を対象に4.0~6.0点で競われる。ちなみに日本は2005年に公式団体ができて、日本初の選手権が開催され、その中で日本エアギターのパイオニアと言われる金剛地武志さんが世界大会で2度の4位に入賞し、昨年はダイノジおおちさんが世界大会で初優勝している。過去をたどるとアジア系の参加者が意外にも強いらしい。いつの日か、日本でもカラオケに変わってエアギターが宴会の場を盛り上げる日が来るかもしれない!
細木プロフィール
海外での映画製作を決意をする。渡米し、フィルム・スクールに通った後、テレビ東京ニューヨ-ク支社の番組モーニング・サテライトでアシスタントして働く。しかし夢を追い続ける今は、ニューヨークに住み続け、批評家をしながら映画製作をする。
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