ADVERTISEMENT

スタンリー・キューブリック監督の右腕として25年仕事をしてきたレオン・ヴィタリ

この人の話を聞きたい

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • ツイート
  • シェア
彼がちょうど亡くなる前くらいから、映画界がデジタルに向かい始めていた時期で、正直彼は、このことに関してすごく注意深く考えていたよ。フィルムとしてアーカイブに保存されるわけじゃないから、デジタルの移行やウィルスに気をつけなければならない。場合によっては、作品全体を失いかねないから、そのことに関して非常に気を遣って勉強していた ~この人に話を聞きたい~その22:スタンリー・キューブリック監督の右腕として25年仕事をしてきたレオン・ヴィタリ
映画ファン、あるいは映画を志したことのある人たちの間で、スタンリー・キューブリック監督の名を知らない人は恐らくいないであろう。ハリウッドを代表する監督スティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、フランシス・フォード・コッポラでさえも敬意を表してきた偉大な監督だ。だがこれほど多大な影響を及ぼしてきた彼のことについては、わずかな書物と資料不足のインターネットの情報でしか知ることができない。今回は、スタンリー監督の映画『バリー・リンドン』にブリングドン侯爵として出演し、後に彼の右腕として25年間ともに仕事をしてきたレオン・ヴィタリにスタンリー監督の撮影方法から私生活まで話を聞いてみた。
マイケル・ムーア

Q: この『バリー・リンドン』の無類の映像美に関して映画界でよく触れられますが、あまり演技に関して話されることがありません。個人的には素晴らしい演技だと思うのですが、どういった経緯であなたはキャスティングされたのでしょうか?
 
(レオン・ヴィタリ)恐らくスタンリーは、最も早くビデオ・テープでキャスティングを始めた監督の1人だと思うが、キャスティング・セッションの場所には現れなかったんだ。わたしがそれまで参加してきたキャスティング・セッションでは、写真(プロフィール)を持っていって、プロデューサーや監督に演技を見てもらい「後で電話するから」といういつものお決まりパターン。しかしこの映画のキャスティング・セッションでは、2日前に、スタンリーのオフィスから2ページ分の台本が送られてきて、それを覚えてくるように指示されたよ。従ってキャスティング・セッションの際には、フリーに演じていたわけではなかったから、与えられたせりふでどれだけ演技できるかの勝負だったね。その場にスタンリーは居なかったけれど、わたしがそれまで経験したキャスティングの中で一番心地良い環境だったと思う。それから4か月後にキャストに決まったとの電話を受け、6か月後にようやく撮影のセットに入ったんだ。
 
Q:あなたのセットでの撮影期間と、スタンリー監督との仕事について教えて下さい
 
(レオン・ヴィタリ)最初の契約は、8週間で30日間の撮影だった。それは、ダンス場で開かれたコンサートに関連した撮影でね。スタンリーは、撮影前に僕を呼んで座らせ「これからストーリーを大幅に変更し、君が出演するシーンをもっと書き加えるから、クランク・アップまで居ることになる」と言ったんだ。当時26歳だったわたしにとって、とんでもない出来事だったよ。本当に素晴らしことだった。
もうひとつ素晴らしことは、スタンリーがわたしに信頼をおいてくれていると感じたときだね。仕事の際に、もしスタンリーが意図していたものと違っていたら「それは違う」と言ってくれたりして、励ましながら演技を盛り立てるんだが、「こうしてくれ」と指示してくることはなかったんだ。恐らく唯一指示らしき言葉を受けたのは、弟役の子どもを連れて歩いているシーンで、スタンリーに呼び止められ「このシーンを君はどうやるんだい?」と聞かれ、わたしが「ドアを開けて子どもを連れて入ってくる」と答えたら、「よし! ただそこでフランケンシュタインのように突っ立ているわけじゃないよね」と交わした言葉だけだったね。


Q:映画を観ている限りでは、すべて計算し尽くされているように見えるのですが、どこか即興でやったように見える個所も結構ありました。そういったことはあったのですか?
 
(レオン・ヴィタリ)スタンリーはセットに来る前は、決してこれからどうやってシーン撮るか決めていなかったんだ。だからいつでもレンズを変えられるようにしていたよ。最初は35ミリから始めて、俳優たちに「このシーンで何をすべきか演じてみなさい、ただリアルじゃなきゃ駄目だ。その演技によって、どうやってわたしがシーンを撮るか決めるから」と言ってくる。当然、自分が思い付いた発想を順番に演じてみて、その間スタンリーは、カメラの回りを動き回って、レンズを変えたりしている。そして最後に「これがこのシーンのファースト・ショットだ」と言ってくるんだよ。でも、撮り始めたシーンに俳優たちが何か気に入らなかったり、うまくいかなかったりすると「このシーンに問題があるみたいだが、ほかの言い方もできるかい?」と問いかけてくる。俳優たちが難色を示したときには、俳優たちとともにシーンを考えるんだ。例えば、バリー・リンドン(ライアン・オニール)との決闘シーンで、スタンリーは15冊分はありそうな決闘に関しての書物を座って読みながら、決闘の仕方、一番人を惹(ひ)き付ける手段を書物から調べていて、その中で俳優たちと話し合いながら、一緒にシーンを徐々に作り上げていった。そして一度決断すると、その時点で誰もがその場で何をしなければならないか、しっかり把握しているんだ。どのシーンにおいても、スタンリーは、このシーンに必要な感情の起伏のさじ加減を知っていた。だからわたしにとっては、彼が映画監督というより、舞台監督に感じたほどなんだよ。

Q:この作品以外でも、スタンリー監督の映画のほとんどは、公開当時はあまり批評が芳しくなく、後に評価されるのですが、その当時を振り返ってみて人々の反響があなた方にどのような影響を及ぼしましたか?
 
(レオン・ヴィタリ)公開当時は、皆かなり失望していたよ。
 
Q:アカデミー賞のノミネーションがこの作品で幾つかありますが……
 
(レオン・ヴィタリ)それは、あくまでテクニカル部門が中心だからね。まあ個人的に主演のライアン・オニールは、ノミネートされるべきだと思ったよ。誰もがあの映画での演技は、彼の経歴の中でベストだと感じていたからね。ライアンがあの映画に一貫性を持たせたんだ。それとスタンリー(ノミネートされていた)も、受賞すべきだったとも思ったよ。当時のイギリスの貴族に関してあれほど的確にとらえたものはないだろう。この結果は、映画『普通の人々』が映画『レイジング・ブル』に変わってオスカーを取ったときと比較できるほどわたしにとって衝撃的なものだった。結果的にスタンリーは、しばらくかなり意気消沈していたし、この映画を彼が再び観ようとするのに何年も掛かったくらいだ。あるときBBCが彼の映画『ロリータ』から映画『フルメタル・ジャケット』まで特別放送した際に、BBCはこの『バリー・リンドン』に5つ星で評価していた。ほかの彼の作品が4つ星で評価されていたのにもかかわらずね……。スタンリーは、テレビで自分の映画を観ることがごくまれで、わたしにいつもテレビで放映される前に、良いコンディションで放映されるか確認をさせていた。珍しく、このときの放送は始めから観ていて、途中でやめずに最後まで鑑賞したんだ。次の日オフィスで、彼がわたしに「なぁレオン、あの映画(『バリー・リンドン』)は、本当にいい映画だね」と言ってきたんだ。すぐに「僕たちは、ずっとあなたにそう言ってきたじゃないですか?」と告げたよ(ちなみにこの5つ星の評価をされたのが1994年のことで、映画製作から20年近くたった後である)。
 
Q:スタンリー監督はよく撮り直しをしますが、映画のせりふを再度レコーディングするようなことはありましたか?
   
(レオン・ヴィタリ)ほとんどなかったね。彼は、ADR(Automatic Dialogue Replacement)を毛嫌いしていた。それは、撮影の際に描写される雰囲気が決してADRでは、醸し出すことができないからだと思う。『フルメタル・ジャケット』では映画全体で2つのせりふだけで、映画『アイズ・ワイド・ショット』では、マスクを被っていたシーンのせりふで4つか5つくらい。映画『シャイニング』でも同じくらいだったよ。
そういえば以前スタンリーは、15ショットぐらい撮ったシーンのせりふの音だけを取ってマッチさせていたこともあった。例えばせりふが「I love you very much」だとしたら、15種類の「I」、15種類の「Love」というように単語をひとつずつマッチさせ、一番ドラマティックな音を選択していたね。だけどいつも使っていたのは、オリジナルのレコーディングとして使用されたせりふだった。この映画で初めてソニーのミニマイクを使い、拳を使った決闘シーンでは、それでレコーディングされていたよ。あの環境下では、ブーム(普段レコーディングに使われる長い棒状のマイク)を使うことができなかったからね。
Q:この映画では、サラバンド(3拍子による荘重な舞曲)の曲を使用していますが、スタンリーは最初からこの選曲をしていたのか、それとも撮影後にいろいろ試してみて選択されたのでしょうか?
 
(レオン・ヴィタリ)スタンリーが音楽の編集もしていて、いつも聴いていたしね。でもこの映画では1800年以降の曲は使えないことになっていたんだ。そこでシーンの編集をし始めてから、シューベルトやビバルディなどの曲を試し、シーンにぴったり合うだけでなく、その後に来るシーンのペースと感情の表現にしっくりくるような曲を選んでいたよ。そして一旦曲を選択すると、実際にオーケストラを連れてきて2、3か所違うアプローチで演奏させていた。彼はいつも「これほどたくさんの曲があるんだから、いろいろと使ってみないといけない」と言っていて、彼の家(正確に言うと城だが)に図書館分ほどのレコードが保管されていた。だからいつも編集しながら選択をしていたよ。
 
Q:スタンリー監督は、普段カメラマンとして、どのくらい自分でカメラを持ちながら撮影していたのですか?
 
(レオン・ヴィタリ)結構頻繁に自分でやっていたよ。少なくともこの映画の中では、決闘シーンは彼が撮っていた。このシーンでは、俳優と直接話しながら撮っていて、スタッフが周りにいるのに、彼らだけで撮影しているような密接な撮影だった。けれど映画『シャイニング』からは、ビデオのプレイバックができるようになり、少し状況が変わってしまったんだよ。それでも『アイズ・ワイド・シャット』までずっと自分で撮影することもあった。もっとも長いショットやズームを使ったショットは、カメラ・オペレーターに任せていたけれどね。
 
Q:ほとんどすべてのショットにおいて、まるで絵画を鑑賞しているような気分にさせられるのですが、そのことについて話していただけますか?
 
(レオン・ヴィタリ)スタンリーにとって重要だったのはリサーチで、プリ・プロダクション(撮影に入る前の準備期間)でいつも1年くらいの期間をそれに当て、詳細なリサーチをしていた。この作品では、ウィリアム・ホーガース(宮廷内だけでなく一般庶民も描いていた画家)をインスピレーションとしてよく使用していたね。決闘シーンで、バリーがロングショットで立っている姿は、まさに彼の絵画そのものだったよ。従って多くのシーンの形成は、彼の絵画を出発点として始められていたんだ。それから俳優を使って徐々に言及していくんだ。彼のどの映画においても徹底的なリサーチからきていて、例えば『シャイニング』の撮影前に、子役ダニーを探しにわたしがアメリカに来ていたときに、デンバーに行って、カメラでできるだけ多くのホテルを見つけて写真に撮ってくるように指示されたんだ。でも映画にふさわしいホテルの写真が撮れず、ほとんど諦めかけていたときに、どこか不思議なホテルを見つけたんだ。そのホテルに一風変わった部屋があって、それがジャック・ニコルソンとシェリー・デュヴァルが使用していた部屋の原型になったんだ。そういう形で、何か絵画や写真を基に始めることが多く、彼は決して絵コンテを使ったりはしなかった。
 
Q:彼の死後製作されたスティーブン監督の映画『A.I.』については、どう思われましたか?
 
(レオン・ヴィタリ)あなたも知っている通りあの映画は、スピルバーグのプロジェクトじゃなかった。『アイズ・ワイド・シャット』の後に製作されている予定で、わたしも個人的に楽しみにしていた。それまで彼は、長い間友人関係でいたスピルバーグに『A.I.』について随分相談していて、結果的に製作総指揮者のヤン・ハーランがスピルバーグに企画を持ち込み映画化されることになったけどね。
 
Q:さまざまな問題で製作できなかった映画『ナポレオン』について、聞かせてください。
 
(レオン・ヴィタリ)彼はどの映画でも『ナポレオン』について何らかの形で言及をしていたと思う。いつまでもこの企画だけが残っていた。彼は、ナポレオンに関してのすべての書物を読んでいたが、恐らく同じような歴史上の人物を扱うことを避けようとしていた(ちなみに『バリー・リンドン』の数年前に映画『ワーテルロー』という作品でナポレオンが扱われていた)。
 
Q:彼は映画『2001年宇宙の旅』でやったように、常に限界に挑戦しようとしていたのでしょうか?
 
(レオン・ヴィタリ)彼はそういう考え方はしなかった。例えば映画『突撃』『博士の異常な愛情』『フルメタル・ジャケット』は、ひとくくりにすると戦争映画だが、『突撃』では政治、『フルメタル・ジャケット』では兵士の戦時下での狂気で、『博士の異常な愛情』では、マニアックが世界を動かす力を手に入れたときの酷さと、それぞれ違うものだった。従って彼は、ジャンル別に区分するようなこともなかったし、限界に挑戦しようという意図ではなかったと思う。ただわたしにいつも「すべてのジャンルはこれまでに一度は作られてきている。われわれがしなければならないことは、それらよりも良いものを作ることだ」と言っていたよ。だから彼はストーリや俳優の主体性にかんして、撮影の期間でその手間暇かけたことを証明しようとしてきたし、結果的にいつもいいものが制作されてきた。すべての要素において最善を尽くした結果で、人々を驚かせようと思ってやったものではないんだ。
 
Q:スタンリーは、今日の映画界のテクノノジーについてどのような反応をしていましたか?
 
(レオン・ヴィタリ)彼がちょうど亡くなる前くらいから、映画界がデジタルに向かい始めていた時期で、正直彼は、このことに関してすごく注意深く考えていたよ。フィルムとしてアーカイブに保存されるわけじゃないから、デジタルの移行やウィルスに気をつけなければならない。場合によっては、作品全体を失いかねないから、そのことに関して非常に気を遣って勉強していた。でも新しいテクノロジーを歓迎することはあっても、盲目的にすぐにそれに飛びついて使用したりしなかったと思う。


この映画は、今では伝説となったNASAのレンズの使用や、ゆっくりとしたズーム手法でむやみにカメラを動かさずに、当時の環境と雰囲気を表現し、衣装やセット美術は絵画そのままの映像だった。この作品の中で際立ったシーンがあるのだが、それはバリーが初めてレディー・リンドンと対面し、キスまでたどり着くシーン。このシーンでスタンリー監督はシューベルトの曲を使い、彼らの表情としぐさだけでお互い一言も語らずラブシーンに到達させている。よくキューブリックの映画に対して、冷たい感覚を感じる人がいるみたいだが、この映像を観て彼ほど豊かな感情を持った監督はそんなにいない感じた。
そもそもわたしにとって彼の影響が特別になったのが、日本でハリウッド作品を観ながら育っていた少年期に、キューブリックの映画『時計じかけのオレンジ』をテレビで観たときのこと。このとき、映画という媒体の幅の広さに驚かされた。恐らくわたしが観たときは、製作から20年以上たっていたにもかかわらず、今も色あせぬその輝きに真の芸術としての魅力を感じ、その後わたしに、映画の道に進もうと決意させてくれた。今回、彼の右腕として信頼を置かれ、共に働いてきたレオンに話を聞けたことは、わたしにとって至福の喜びであった。
細木プロフィール
海外での映画製作を決意をする。渡米し、フィルム・スクールに通った後、テレビ東京ニューヨ-ク支社の番組モーニング・サテライトでアシスタントして働く。しかし夢を追い続ける今は、ニューヨークに住み続け、批評家をしながら映画製作をする。
ADVERTISEMENT
  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • ツイート
  • シェア
ADVERTISEMENT

人気の記事

ADVERTISEMENT

話題の動画

ADVERTISEMENT

最新の映画短評

ADVERTISEMENT